Silver spoon wars
ふしぎなお茶会、きらめく銀の匙

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 あめだまのぐだぐだした汚いあとがき 2020年6月アンソロジー『虹』ver.

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 こんにちは。あめです。今回もぐでーんと喋らせて頂きたいと思います。

 わたしは学ぶことがすきです。でも勉強するのはきらい。
 勉強というと、「勉強しなさい!」とか「勉強をがんばる」とか、勉強にはいつもどこか義務感が漂う気がするのです。なんと言えばいいんでしょうか。自分からせねば!という気持ちが湧き起こる義務感というよりは、勉強しないと〇〇できないというような、外部からの影響ありきの義務感をわたしはその語から感じます。それもそのはず、これはよく知られた話ですが、「勉強」という語は、本来は気が進まないなあということを仕方なくするという意味だったのです。いやいややるということですね。
 いやいややっても、学びっておもしろくないと思うんです。古代の人たちが学問と共に高度な文明を築けたのは、学者になれば儲かるとか、将来安泰とか、そういう理由のために学問の道を歩む人がいたから、ではないと思うんです。たぶん、昔の「学者」とか「文化人」とか言われる人は暇だったんですよ。人々が暇になると文化が発展する。暇になったから星を眺める。暇になったから歌を詠んでみる。そうして暦学やら天文学やら文学やらが発展する。まあ、暇じゃなかったら、生きるのに精一杯だったら、学問や文化なんて必要ないし生まれないですよね。暇なら、やりたいなあと思ったことをやれる。星を眺めるのがすきだなあ。あの星は昨日よりこっちに動いたなあ。あれ?あの火星、逆行してない?なんでだよ!そうだ!きっと火星はこういう軌道で地球の周りを回ってるからだ!なるほど!おもしろい!って。なるんじゃないかなあ。

 わたしはそういう学びがすきです。自ら考えて学ぶ。なんで惑星は逆行するのか、どのような言葉を使えば美しい歌が詠めるか。現代の中学生の端くれごときに、そんな学問の歴史の1ページを飾るような大きな爪痕は残せないですが。自分の知識や経験や発想を組み合わせて色々と悶々考える。わたしの趣味です。
 その学びには、やはり「勉強」的側面も必要になってきます。何せ、知識が手ぶらの状態ではそういう学びはおもしろくないです。そういう学びをしようと思っても考える材料が少なすぎると、思考の可動域が狭まってしまいます。材料と材料の組み合わせのパターンが少なくて。材料の中には「知識」と「経験」、ふたつがあると思います。手っ取り早く増やせるのは「知識」です。本を読む。学校の授業を受けて、理解し、自分の血肉にする。経験を増やすには、とにかく生きるしかありません。ある意味、知識を増やすよりは簡単かもしれませんが。ただ、経験を増やすには、ただ時間を自分の横を気ままに流れていくものとしてぼうっと見送るのでは、得るものは少ないでしょう。しかし、経験をつかもうと躍起になって血眼になって流しそうめんの水流を見ていてもいけません。見つめるナベの湯は沸きません。日頃のふとした場面を捉えて、たまにあ、と気づくぐらいで丁度いいと思います。

 今回のアンソロジーでは、その「知識」と「経験」は中1のものを使っています。知識は、物理の授業での光のお話です。スペクトルの一種が、虹、という話。経験は、当時のクラスメートの男子達が、帰りがけの空に出た虹を見て「スペクトルだ」とはしゃいでいたのを見たというもの。それを発想でつなぎ合わせる。
 虹を見て中学生くらいの子が「スペクトルだ」と言うのには、中学生特有のあの若々しい背伸びを感じます。習いたての言葉を、使ってみる。僕はわたしは、この言葉を知ってるんだ。そういう、健気な、懸命に大人びようとしている姿勢。あたしって、ただものじゃないのよ。ちゃんとアイデンティティがあるの。彼らはそうやって、時たまゆらいでしまう自我を必死に守り抜こうとする。いいですねえ。わたしはそういうのがすきです。シュミ。
 つまり、種明かしをしてしまうと、わたしはこの今回のアンソロジーの副題を「自我」として書きました。ココ目線は他我のはなし、フールちゃん目線は自我の話です。他我も一種の自我であるそうです。確かにそうですね。他人をどう見るか、という自我。なるほど、と思います。

 ところで、テキストというものは公開したとたん自分の元を離れるそうです。テキストは、人に読まれていき、その読んだ人それぞれが、それぞれの好きなように受け取り、解釈して、その人々たちのものになるのです。人間は、あるテキストを得ると、自分の中で何かを付け足さずにはいられないそうです。歌詞を聞いて、ついつい解釈したり、場面を思い浮かべてみたりする。標題音楽を聴いて、もしかしてこの旋律はこれを表しているのかなと考えてみる。人間のおもしろいところです。テキストを理解すると、それにまつわる何かを想像したくなるのです。
 つまり何が言いたいかというと、わたしが今回のアンソロジーをあのようなことを考えながら書いていたからとして、読み手がそれに縛られる必要はないということです。自由に読んでほしいなあと思います。登場人物は何を考えているか?木々はどう揺れたか?そのとき地球の裏側では何が起こったか?文学はそれが醍醐味だと思うのです。

 感想はまた朝、恐縮ですが書かせて頂きますね。いつも長くなってすみません。それでは。(20/06/14 0時)

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 おはようございます。このあとがき、昨日の23時半頃からだーっと書いたので、一夜明けて朝になって読み返すと偉そうすぎて笑っちゃいますね。ちょっと語気がえらそうですがあめはいつもあんなことを考えています。もうちょっとおばかな口調で、なので、安心してください!(?)
 実はこのあとがきじゃなくてもう一個あとがきを書いていたのですが、言い訳がましすぎたのでこっちに変えました。
 まあそんなことはどうでもいいですね。テンションがぎゅんぎゅんに上がっている今、感想を書かずしていつ書くのか!

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あざみさま!
 わたしはイルくんというものをあまりわかっていなかったので、今回のあざみさまの動かすイルくんでなるほど!おもしろい!と思いました。ニーチェとかすきそう(弩偏見)
 そうだよねえ。そういうお墓っていいよねえ。押し殺しちゃったものがせめて天国か極楽かへ行けたらいいもんねえ。でもそういうお墓っていっぱいあった方がいいのかなあ。だめなのかなあ。正解はないのかなあ?
 あざみさまの作品の中でわたしはこの作品に一番美を感じました。なんだろう。美しくないものが美しくあることが美しい?みたいな。何言ってるかわかりませんね。どこかに垣間見える矛盾が美というか。うつくしいなあと思いました。素敵!
 追伸:寧イルって手を繋いじゃうんですね。おばさん的一番のハイライトは実はそこでした。手!!繋ぐの!?!?かわいいなあ!!!!(もしかしてわたしが無知なだけで相思相愛な間柄では当たり前にやるものなのでしょうか)(ともかくかわいい)


かてぃさま!
 わたしは普通にかてぃさまのそれを読んでいました。数少ない、バスに乗ったときのことを思い出しながら。遅延っていやだよねえ。それはやっぱり雛伊さまもおんなじかあ。なんて!
 暢気に読み進めていたわたしですが、急にdetailsタグのアレがでてきてわたしはひょおと息を飲みました。なんだこれは!わたしが「あたしとあなた」を読んだことがあれば何かこの見出し時点で感じ取ることができるのか?だめだ!わからん!これを読むのは最後にしよう!いやでもかてぃさまのが今あがってるアンソロジーの中で最後に読んでるやつ!!
 結局もう一回さゆさゆさまのととーつさまのを読んで心を落ち着けてから最後の4連detailsタグを読ませて頂きました。うーん。かてぃさまってばけもの〜!知ってた。なんていうか、ばけものの語感が似合うんですよね。ば!けものって感じ!が!だめだ。あめの貧相な語彙では伝わらん。褒めているのか貶しているのかさえ伝わらなそう。おこがましいですが、褒めています。とても。
 かてぃさまの一人称視点の地の文がすきなんですよねえ。あのときも思いました。『春、』。わたしはまさに『春、』や『あのはなし』などに見られる、かてぃさまの描く少女的一人称視点に憧れている。とても、少女。うら若い、等身大というか。その等身大の地の文の間に、すんなりとはさまる、小さな会話文。話の流れががらりと変わってしまったり、ぎこちなくなたりせず、調和する。かてぃさまってやっぱりすごいなあ。あー……。これからもかてぃさまの描く少女が見たいです。ずっと!


さゆりさま!
 あめごときにはやや難しかったようです。最初、一回読んで、うん?と首を捻りました。もしかして何か読み飛ばしたかも、と思ってもう一回、メモに貼り付けて拝読しました。でもやっぱり、うーん。むずかちい!
 わからないことひとつめ。○○ちゃん。わからないことふたつめ。回想なのか、雲の下へのたちまちの瞬間移動。わからないことみっつめ。虹の手前にあったもの。
 るぴるぴちゃんは本当は誰にも話しかけてないんじゃないかとか、るぴるぴちゃん自体がただの空想だったとか、虹の手前に副虹が見えたとか。色々考えてみたけど、話したくなってしまうとるぴるぴちゃんが言っていること、シンイくんは確かにるぴるぴちゃんの腕を掴んだということ、副虹は虹の手前にはできないこと、それらで考えたことは否定できてしまいます。
 でもあめにもわかることがあります。わたしがこのみっつの疑問を理解できなかったとして、それらをさゆさゆさまの描く虹がしっかりつなぎとめ、でもその輪郭をぼんやりと淡くさせていること。エモ。感じ取れました。もう少しあめが疑問を自力で氷解できれば、もっともっと読んでいて楽しかったろう!と思います。残念でならない!あめの理解力。くそう。
 ですが今ひとつだけ思いました。タイトルが『幻』ならば、じゃあ虹の手前に見えたのは蜃気楼?何の?えっと……。だめだ。お手上げです!もう少し考えたいと思います!さゆさゆさまの!文章!!骨の髄まで楽しむために!!


めるつさま!
 りくここでしたね!!!!わたしはるんるんでした、いや、今もるんるんです。推しカプ四天王のうちのひとつなので!
 とてもりくここだったし、ココでした。りくここのココはなんだかんだ言ってリクさんの全部がすき!だとわたしが勝手に思ってる(勝手に、思ってる)んですけど、めるつさまの丹念で細やかで美しく繊細な描写と合わさるとりくここが混ざるともう、まさに、りくここ。ワア。
 特にあれ。睫毛。睫毛って、なぜふとしたときに刮目しちゃうんでしょうね。わたしだけかなあ。友達の睫毛とか見ちゃうんですよ。あと、この前読んだ恋愛小説で主人公が恋に落ちた瞬間も主人公は相手の睫毛を見ていました。人の睫毛、ココも見るんだあ、しかも、リクさんの……(嗚呼…神よ…めるつさまとりくここに出会わせてくださったこと誠にありがたく…おもい…ま…す…)
 それでそれで、わたし、めるつさまの描写、「目線がかち合う」というのが一番すきなんです。実はそれがすきすぎて、わたしはそれをどこかのおはなしで真似したことがあるのです……(おいこら!)そう!思い出した!ヴィーナスの如く、で、ひないさまとパァルちゃんの目が合っちゃうところだ……でもなんていうか、めるつさまのと比べると一目瞭然ですが、あめの書いた方がかがやき?きらめき?が薄いですね。あたしがめるつさまの真似をしても猿真似にすぎんということです……めるつさまはそれほどに、偉大…!!


ももづさま!
 わたしはいつもCP名、キャラ名などを見ずに読んでしまうのですが、読み始めて1秒、こてこての関西弁で、おあっとなってブラウザバッグしてキャラとCPを見てしまいました。みやひなみや!!!!ワー!!!!!
 こってこて!昨夜も零したのですが、ハイヒールりんごさんの声でめちゃめちゃ都の声が再生されていく。たっのしいんですね。ワア。やっぱりネイティブは違う!関西弁ネイティブ。あ〜〜!!!!都の地の文はこう!こう、バリバリ方言だ!という感じ!!
 おもしろいなあと思ったのが、方言の雰囲気。和歌山の人と面と向かってお話したことはないのですが、ひとくちに関西弁と言ってもやはり県と県では結構違うんだなあって。興味深い!
 50円引きクーポンって、ついつい使うの忘れちゃうじゃないですか。イなオンの初売り抽選会!みたいなので50円引きクーポン当たっても、あ〜50円かあ……ってなっちゃう!で、財布にしまっておく。またいつか忘れたころに財布から出てくるんですけど、大体期限が切れているか、今日で切れるか。でももう買い物行ったし、50円だけだし……ってなっちゃったり、絶対に使ってやる!!と奮闘したり。そういう50円の微妙さがお話になったときおもしろいかな!と思ってとーつさまに裏テーマとして託してみたんですが、お手本!!!!というのが読めました。わあお。きれいすぎる。これだよ50円引きクーポンってやつは!!!
 とっても楽しかったです。は〜〜!!たのしかった。とても。とーつさまのみやひなが読めたし、50円引きクーポンを使ってくれたし。よかったなあ。幸せな6月14日でした。


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 7月からのあんそろって前ぼんやりと考えてたあれになるのでしょうか。とりあえずあめは毎度参加する予定です。というかもう次が7月なのかあ。夏ですねえ。受験生の夏って、塾にいること多かったから涼しくてよかったなあ。そう暢気なことも、受験生になったときは言えないんですけれども!
 それでは今回はここら辺でお暇しますね。


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