Silver spoon wars
ふしぎなお茶会、きらめく銀の匙
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あめだまのぐだぐだした汚いあとがき 2020年4月アンソロジー『曲パロ』ver.
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あんそろお疲れ様です。う〜〜〜ん曲ぱろというのはわたしには無理だったようです…;; 色々ためしてみたんですが書ききれたのがあれだけだったのであれがあれであれ以上のものはないです。ごめんなさい
今回は薊さまのお子様・ティアちゃんをお借りしたはずなのにどこの猫を借りたんだ??というような文章ができてしまいました。てぃろぜてぃならぬ猫ロゼ猫ですねごめんなさい。飴玉中二病ワード辞典には「闇の力」しか記載がないのにティアちゃんを軽率にお借りするという失態をおかしたことについては全世界の飴玉からお詫び申し上げたいと思います。
この文章のできた過程、つまり紆余曲折を語るということははもう飴玉の開き直り(つまり飴玉の一番悪い癖)を晒しみんなのきもちをげろげろのげろげろにさせてげろげろの海がぎんさじにできるということになりかねないというかなる!!!!(断言)のでやめておきます……
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以下、解説的なもの。
さて、選んだこの曲は14歳も年下で身分が伯爵令嬢と雲泥の差がある教え子・ジュリエッタにベートーヴェンが捧げたピアノソナタですね。ソナタ形式なので第3楽章まであります。
第一楽章は針葉樹に囲まれた夜の湖を彷彿とさせます。第二声部(=三連符)は水面の揺れでしょう。闇夜に紛れていては水面の静かな揺れなどわからないはずですが、湖は月光に照らされているのでその表情を見ることができるのでしょう。前奏の後、第一声部(月明かり)が出ることによって曲が、ああ、始まってきた、という感じがします。始まっ「た」、ではなく始まって「きた」と言いたくなるのはこの曲には「た」と断定できるような勢いというのがあまり感じられないからです。ゆるやかに始まり、粒の際立った三連符で曲の雰囲気が高まったかと思えば、再現部に入り、静かに終わっている。じっとりと重い夜の空気を残して。と、いうのを意識して、最初の部分はあめだまには珍しく三人称視点です。語り手は、そうですね、誰でしょうか。わたしは太陽な気がしてるのですが、そうでないような気もします。
第二楽章は短いですがとてもかわいい曲ですよね。第一楽章の余韻に浸らせる隙を与えることなくぱんと華やかに始まります。この弱起がたまりません。特に後半部の!!!そのズンとくる弱起に追い討ちをかけるような低音がぴたりとはまるとわたしはスキップしたくなります。弾きながらスキップができたらなあ!と弾くたび思うのですが、そもそもわたしはスキップが得意ではありませんでした。ですからわたしは第二楽章を弾きながらスキップするのではなく、第二楽章を聞きながらぽんぽんと軽やかに読めるロゼの日記を第二場面にいれることで心にスキップをさせることにしました。念願の夢が叶った気持ちです。文章自体はあいかわらず陳腐ですが、これはこれで満足です。
第三楽章はまたがらりとかわって荒々しい曲です。ふんわりと第二楽章が終わったかと思うと、間髪入れずにバン!と勢いよく始まります。暗く重い雰囲気は第一楽章と似ていますが、息遣いや勢いはまったく違います。真逆!初めて聞いたときは誰しもが衝撃を受けると思います。あれを聞いてるときの胸の音は、たぶん、最後のティアちゃんの心音とぴったり重なるはずです。あの曲、荒々しいけれど、怒っているわけではないと思うんですよね。何かに気づいた心が動揺して、あ!!!!と思った瞬間を細分化したらあんな音がしてあんな曲になるんじゃないかなあ。と、思ったり、します。(そう言っている割には、なんて陳腐な文章!あとがきを書きながらげろげろしてます)
さいごに。タイトルの una corda はソフトペダルを踏むときの記号です。あまりソフトペダルはすきじゃないのですが、このふたりにはソフトペダルが必要かなと思って。
なぜこの曲を選んだかといえば、うーん、歌詞がある曲だとどうしても頭がキャパオーバーしちゃって文章がかけなかったんですよね。歌詞をぱろるのか音楽をぱろるのか曲想をぱろるのかわかんなくって思考回路がショートしました。歌詞だけが音楽じゃないと思っているので(で、でた〜〜〜!!!!!ひらきなおり魔!!!!!!!)
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それからティアちゃんの口調なのですが、100質等を見ているとすべてですますになっていますがロゼとは同い年だということで勝手にタメになっています。解釈違いでしたらごめんなさい……
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気をとりなおして(自分のことは棚に上げ)感想祭りです!!!!!
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次回のアンソロはもうちょっとげろげろしない文章がかけたらいいなあと思います。大いなる反省。げろげろ。それでは!おつかれさまです!