Silver spoon wars
ふしぎなお茶会、きらめく銀の匙

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※ティアさんとは?????という感じですごめんなさいほんとうにすみませんごめんなさい

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(ティアは月光を見つめているのかしら、月光に見つめられているのかしら)
 ぼんやりと少女がそんなことを思うのは、彼女の瞼が重たすぎるせいなのか、それともいつのまにかこじらせてしまったお年頃の病のせいなのか。
 今宵の月は満月だ、と同い年の館の住人から聞いたので、ティアはめずらしく自室のカーテンと窓を開け放ち、窓の縁に頬杖をついて夜を眺めていた。眠る庭の草木、遠くでほのかにともる家灯り、空に巨大な影をつくる山々。靄のように漂う闇。けれど、完全な闇ではない。真暗で真黒なものなどこの世には存在し得ない。夜空に星が浮かぶから、夜空に月が浮かぶから、日光を反射してできる月光が夜空を照らすから。
 そんなこと、ティアはちらりとも考えることなく、ただただじっと月光に見入る。月光は気まずさからか肩を縮めて小さくなるように雲の陰に隠れた。
『あなたって月光みたい』
 いつか、どこかの本で読んだような、少し首筋がかゆく、こそばゆくなるような台詞がティアの頭にひびく。同時にふと、やんわりとした瞼の重みを感じた。その重さに逆らうように少女は目を擦り、もう一度ぼうっと窓の外を一眺めすると、ゆっくりと窓を閉めた。ふわりと微風に揺れていたカーテンが静かになるのと同じように、少女もまた、布団にくるまって動かなくなった。
 ゆらり、月光は雲の合間から顔を覗かせた。そしてまた、ティアの部屋の掛け布団の海にゆらゆらと光を落とした。

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 4月8日 △曜日
 机の端の月の満ち欠けカレンダーによると、今日は満月らしいです。このカレンダーはたしか、頂き物でしたっけ。今朝、ティアさんに話しかけて頂いたので、そのことについてお話してみました。月とかそういうモチーフ、お好きかなあと思って。よく闇とかなんとか仰っていたような……。あまりお話したことがないのでよくわからないのですが。
 かくいうわたし自身は(この日記を書いている時点では)まだ今日の月は見ていません。ティアさんはもう見たのでしょうか。覚えていてくだされば、の話ですが……。

 4月9日 ×曜日
 昨日の満月は窓からくっきりと見えました。満月があると星は見えづらいって言いますけど、たしかに、昨夜の空は心なしか、見えた星の数が少なかったように思います。
 今日もティアさんとお話をする機会がありました。わたしがピアノ部屋から出ますと、たまたまティアさんがいらして、昨日ロゼちゃんが言ってた満月を見たよと言ってくださいました。昨日の朝にお話したこと、覚えていてくださったんだなと思ってうれしかったです。いいお方ですね。

 4月10日 ○曜日
 なんとなく、久しぶりに弾きたくなったのでベートーヴェンソナタ集を引っ張り出してきました。館に来た当初に、主様が使っていいよと下さったものですね。主様もどなたかから譲り受けられたのか、年季が溢れ出る茶色ばんだ表紙なんですよね……ウェルさんも使うようになったらさすがに買い換えるべきでしょうか?
 今日もピアノ部屋前にティアさん、いらしてました。ピアノ部屋にお招きしようとしたのですが、聖域?には理由もなく軽々と足を運んではならないと言って断られました。あのピアノ部屋って何か特別なもの、置いてありましたっけ?彼女、たまに不思議なことを仰いますよね。その後は少し廊下で立ち話をしました。

 4月11日 □曜日
 月光をまた、なぞりはじめました。月光を弾くのは一年ぶりとは言え、やはりもう少し手が大きくないとなめらかに弾くのは難しいですね。印刷されているもともとの運指では届かないところが多々。ベートーヴェンの手ってどれくらいの大きさだったんでしょうか?主様(もしくはその前の楽譜の所有者)が書き込んでいる運指もわたしが弾くには無理が……。聞こえ良ければすべて良し、ということを信じて、運指のことはあまり考えないことにしないとこの曲は弾けませんね。
 ティアさんと今日も少しお話をしました。そういえば、同い年でしたね。だから話しやすいのでしょうか。

 4月12日 ◇曜日
 去年弾いていた月光の感覚を大分取り戻してきた、気がします。と言っても、月光の中で一番すきな第二楽章ばかり弾いているんですが……。××先生が「第一楽章、第二楽章、第三楽章、この全部でひとつの曲なんだから全部練習しなさい」と仰っていたのを思い出しますと、後ろめたさで胸が痛くなりますね…あいたた!
 この頃ピアノ部屋を出ますと廊下にティアさんがいらっしゃるんですよね。奇遇でしょうか。うれしいです。そういえば、ティアさんから興味深いお話が聞けました。明日、月の出はないそうなんです。明日の朝沈むのは今夜これから出る月で、明日は月が沈んだらもうそれきり出てこないとか。明後日の0時を少しすぎたあたりに、次の次の月が出るらしいんです。太陽は一日一回必ず地平線から出てきますけど、月はそうじゃないんですね。ひとつ賢くなりました。

 4月13日 ☆曜日
 今日はピアノ部屋を出てもティアさんがいらっしゃらなかったんです。なんだか寂しかったなあ。今朝、窓から月が見えて、なんだかティアさんのこと、思い出しちゃいました。ティアさんも同じだと ……うーん、やっぱり、今日は書くことがないのでこのへんで。

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 皿洗いをしていると、キッチンの流しの水の音に紛れて、ピアノの音が聞こえたような気がした。ロゼちゃんが弾いているピアノかな。最後のお皿の洗剤を流して、水切り籠に入れて水を止めた。やっぱり、最近ロゼちゃんが弾いているらしい曲、踊りだしたくて足が疼くような、軽やかな3拍子の曲がかすかに聞こえてくる。曲名は知らないけど、なんとなくロゼちゃんみたいな曲だなあ、と、思う。無口な子だなあと思ってたけど、ここ最近お喋りすることが増えて、そんな感じがした。ピアノのことはにこにこしてよく喋ってるの。きっと、だいすきなんだろうな、ピアノ。そのときの表情とか、あの曲みたい。
 水で濡れた手をふきんでふいて、ティアはキッチンを出たの。ロゼちゃんがいるピアノのお部屋は2階にあるので階段をあがる。ちゃらーちゃちゃ、ちゃちゃっちゃちゃ。だんだんピアノの音が、僅か、星屑程度だけれど、階段を上るごとにはっきり聞こえてくる。それに合わせて、黒いワンピースの裾が揺れる。
 ピアノのお部屋は階段から一番遠い部屋。だからかいつもひっそりしてる。みんな、あんまりピアノ部屋がどこか知らないみたいだけど、ティアの闇の力にかかればピアノ部屋を見つけ出すなんて容易いことだった――と、言っても、たまたま廊下をふらふらしてたらロゼちゃんが使われていないはずの部屋から出てきて、そのとき始めてその部屋がピアノ部屋だってわかったんだけれど。運も闇の力のうちよ。たぶん。
 一回ピアノのお部屋がどこか分かれば、もうピアノの音がどこから漏れているのかは考えなくてもわかる。だからティア、迷わずピアノ部屋の前でタチ度たる。そのまま、ピアノの部屋のドアの前でほんの少し漏れてくるピアノの音に耳を傾ける。ただ、廊下に立って耳を傾ける。それだけ。ピアノの部屋には入らない。ロゼちゃんの練習を邪魔したら悪いもの。彼女の聖域だよ?だからこうやって、外から盗み聞きするだけでもいいの。でも、欲を言えば、いつかちゃんと、ロゼちゃんの演奏、聞いてみたいなあ。
 そうして聞き入っていると、いつのまにか、ピアノの音が止んでいる。はっとして凭れていた壁から背中を起こしたのと同時に、ロゼちゃんががちゃりと部屋のドアを開けた。
「あ、ティアさん」
 こんにちは、とそろそろとロゼちゃんは部屋を出てくる。ぴらぴら、ティアは手を振って、
「ねえねえ、ロゼちゃんが最近弾いてるあの曲、なんていうの?」
 と、話しかけた。最近、ロゼちゃんとこうしてピアノのお部屋の前の廊下でお話するのだ。
「ピアノソナタ第14番、月光――ベートーヴェンがつくった曲です」
 ロゼちゃんはドアに鍵をかけながら、すらりとそう答える。月光、とティア、心の中で反芻する。ゲッコウ。ロゼちゃんとは月の話が多いなあ。そもそも、満月の話題から最初の会話が始まったんだっけ。
「ちゃちゃーちゃっちゃっちゃ、の曲だよね?」
「そうです、それです!リズムが心地いいんですよね、フレーズが全部アウフタクトで始まる曲なので――」
 フレーズ、という言葉はなんとなくわかるけど、アウ…アンフ…?アウフタクトって何だろう。でも、とても生き生ききらきらと喋るのが微笑ましい。
「――あ、ごめんなさい…喋りすぎて」
 と、ロゼちゃんは眉を下げた。ううん、とティアは首を振る。そういえば、とティアは話をつなげた。
「月光、って、曲、ロゼちゃんに似てるね」
「そ、うですか?」
「なんだろう、ゆらゆらしてて、軽やかで、明るくて――」
 そこまで言ったところで、いつもは相槌を打ってくれるロゼちゃんだけれど、今日は口をぎゅっと閉ざしていることに気づく。ティア、嫌なことを言っちゃったかな。ティアも唇を結んだ。どちらも何も言わない時間が数秒続いたのち、徐にロゼちゃんが話し出す。
「月光、わたしが弾いていたのは第二楽章だけで、他にも第一楽章と第三楽章があるんです」
 初耳。ピアノの前ではティアの闇の力も眠るようで、そんなこと、全然知らなかった。
「第一楽章と第三楽章は暗めの重たい雰囲気で、第二楽章だけ軽やかな感じなんです。どちらかというと、あまり第二楽章はわたしの性格とかに似ていないような気がして……月光の中では一番好きなんですけど」
 ロゼちゃんはそう言葉をゆっくりと紡いで、俯いた。太陽が雲に隠れたのか、窓から差していたはずの日光がなくなって、明かりのついていなかった廊下がぼんやりと薄暗くなる。
 でも、でもよ。知らない?闇の力って、周りが暗くなるほど強くなるのよ。ティアは流れかけた沈黙を打ち破る。
「それなら、やっぱりロゼちゃんにぴったりの曲だと思う、月光の…えっと、第二楽章、は、」
 彼女の背はティアより少しばかり低い。ロゼちゃんはティアをえ、と見上げた。かまわず、ティア、にこっと笑う。
「だって、ロゼちゃん、その曲好きなんでしょう」
「……そうですけど、」
「いつもどちらかというと無口!って感じだけど、その曲のお話してくれたときは目、いきいきだったし、第二楽章はロゼちゃんに似合う曲だなと思う」
 ティアを見上げていたロゼちゃんは、今度は俯いた。
「いつか、ロゼちゃんの弾く第二楽章、ちゃんと聴いてみたいなあ」
 はっと、ロゼちゃんは目を大きくさせた。弱く、「ありがとうございます」と呟いて。その後、ぱちり、とひとつ瞬きすると、言葉をゆっくり、かみしめるように話し出す。
「――あの、」
「うん」
「月光は、月の表面が日光を照り返していて初めてできるじゃないですか__わたしが『月光』に似てるなら、ティアさんは日の光みたいかもしれないなって、ちょっと、思って……」
 ふわりとロゼちゃんははにかんだ。少し耳が赤いのがわかる。ティアは唇を開きかけて、閉じて、開きかけて、また閉じた。なんて言えばいいのかわからなかったの。なんだかとてもうれしいのに、言葉が見つからない。ただただ心拍数だけがぐんぐん上がるのがわかる。血がどくどくしている。
 酸素が足りない魚みたいな口をしているティアを、ロゼちゃんが不安げにゆらりと揺れた瞳で覗き込む。
「……ごめんなさい、わたし、変なこと言ちゃ、い、ました、か……」
「――いや、ううん、大丈夫!我が身に秘められし闇の力ならぬ日の力、ということで……」
 気付いたら自分でも何言ってるかわからないことを口走っていた。困惑の色がロゼちゃんの顔に広がっているのが目に見える。どうしよう!恥ずかしい!顔面に血がのぼっているのが自分でもわかる。ロゼちゃんの前でこんな台詞なんて――、待って、なんでこんなに恥ずかしいんだろう?
「あ、うん、えっと、なんでもない!じゃあね、いつか第二楽章聴きたいな!」
 ティア、ぶんぶん腕と手を振って、あたふたしながらその場を逃げるように離れた。あわ、とロゼちゃんが何か言いかけたのを振り切って。
 と、彼女の方を向けた背中に、声がかかる。
「あした!」
 いつもの、ぽつりぽつりとか細い三日月みたいに静かに喋るロゼちゃんの声とは思えないような大きな声で呼び止められたら、ティア、駆け出したかった足を止めて立ち止まるほか、ない。
「明日、明日のこの時間…お会いできたら…その、あの部屋で、演奏…聴いて頂いてもよろしいでしょうか、」
 ティアは振り返った。3メートル向こうで、ロゼちゃんが、ぎゅ、とスカートの裾を握って立っている。なぜか胸の高鳴りがずっと抑えられない。
「もちろん!」
 窓の外が明るくなった。きっとお日様が、雲の合間から顔を出したのね。

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