Silver spoon wars
ふしぎなお茶会、きらめく銀の匙

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 こりゃとんでもねェことになるぞ、とおれは下唇を舐めた。途端に気持ちわりー味が口の中に広がる。なんだこれ、おれ毒でも舐めちまったのか?おれは顔を歪めるとぺっぺと短く鋭い息を吐いた。吐いて、そしたら思い出した。めずらしく今日はリップクリームを塗ってたんだった、おれ。普段はリップクリームなんで塗らない。せいで唇の上に油がもったりと乗ってるみたいで気持ち悪い。そして味もヤバい。箪笥の中に何年も放置してた科学反応でイカれたんじゃねーの、これ。それとも元々こういうもんなのか?まあいーや、とにかくこのリップクリームはここ数年でトップレベルの不味さだ。二度とこんなもん塗らねーぞおれは。けっ。

 さて、ここはどこで、おれは一体何をしているのか気になっているという読者も多いだろう。そんな読者たちの疑問にこの街を牛耳る大商人煙羅が直々に答えてやろう。まず、ここは街の中心部からちょっと外れたところにあるマーケットだ。中心部の大通りは生鮮食品や食べ歩きが中心だが、そこから一本外れた通りになると街並みはまたひとつディープになる。例えば釣り道具の店、例えばアクセサリーショップ……そしておれは世界各地から集めた武器を中心に、あと雑貨を少し。店を出していると言っても、ちょっとしたバザー的なものを想像してもらって差し支えない。シート的なものを地面に引いて、木の枝で簡易的な柱を作り、日よけの布を被せる。大きいものはシートにそのまま、細々したものは木箱に布をかけた台に並べて置いてある。日よけの布も木箱にかけた布も、色は全部赤だ。おれ、赤が好きなんだ。中国では赤ってオメデタイ色なんだぜ?商売繁盛って感じがするじゃん?まあその辺はテキトーだけど。
 で、次におれは一体全体なにをしているのかという問題だ。簡潔に言おう。店を畳んでいる。畳んでいると言っても、店をやめるわけじゃない。一時避難というやつだ。今この地域にそれはそれはでっかい台風が近づいている。聞いたところによるとここ100年間で最大のものになるらしい。や、50年だったっけ?まあその辺はわかんねーけど、とにかくでっけー台風なわけだ。そんなバカでかい台風が来たら、おれのカワイイ設備の露店なんて吹き飛ばされちまうだろ?だから、こうして店を畳んでいるというわけだ。いつもは柱や日よけはそのままにして商品だけ持ち帰るが、それらもこの台風が過ぎ去るまではこの地区の町内会長も兼ねているという知り合いのおっさんの家に置かせてもらうことになってる。あのおっさん、すげーいい人なんだぜ。ちょっと酒くせーのがアレだけどな。
 てなわけで昼過ぎから黙々と店じまいをしていたおれだが、こう、ずっと作業してるとやっぱり体の節々が痛んできちゃうわけだな。いや、おれはまだ全然イケるけどよ、それでも痛いもんは痛い。何事にも休憩は必須というわけだ。おれはシートの上に胡座をかいて煙草をふかし始めた。そういや、腰痛によく聞く漢方があったな____ちげえ、あれはシンイに売っちまったんだ。あー、どうしよ、おれ。

 そうしたら突然、見覚えのある人影がおれの前にやってきて立ち止まった。立ち止まったのとおれが煙草から口を離したのは全く同じタイミングだった。不自然なくらいに、そうだった。
「 ねえ、 」
 と、奴は言った。正確には言ったように見えた。周りの騒音が騒がしくて、しっかり聞き取れなかった。でもそんな感じだった、ような気がした。途端奴の瞳が不思議な色に光った。太陽の光をめいいっぱい溜め込んだダイヤモンドのように光った。おれはしばらくそれに見とれていた。
「 ___なんだよ、ライ 」
 む、とおれは顔を歪めると、そっぽを向いてまた煙草に口をつけた。煙管の先からまっすぐに煙が上がる。その煙は白と灰色をゆるりと混ぜたような色をしていた。

「 ねえ、 」
 と、またライは言った。それしか言えねーのかよ。しかも気づいたらライはおれの目の前にしゃがんでいた。そのせいで今度ははっきりと声が聞こえた。奴の胡散臭い笑顔もさっきよりずっと近くになる。___なんだよ、とまた繰り返すのも癪に触るってやつだ。おれは知らんぷりを決め込んだ。

 ライはこの地区でナンバーワンに胡散臭い男である。その胡散臭さと言ったら半端なものではない。おれはこいつの通った道がわかるぞ。これは大マジだ。え?おまえもそんなに変わんねーよって?馬鹿め、おれの紳士的な佇まいに気づかねーのか?通り魔事件のように嘘をつきまくるこいつと一緒にすんじゃねェ、だいたいな…

「 ねえ、あしたは、晴れだね 」
「 は、はァ? 」
 こいつ、おれが親切丁寧に読者の皆様に解説をしている間に、とんでもねー爆弾発言をしやがった。さすがのおれも思わずがばっとライの顔を見ちまった。おれのカワイイふわふわの髪もいっしょにライに向き直った。しかも勢いのあまり顔に思いっきりあたりやがった。いてーよ。それでもライは気にせずへらへら笑ってやがる。
「 …あのなあ、なに言ってンだ?今この街に超ド級の台風が近づいてんだよ、だからこうしておれも店閉めてンだろ?わかるか? 」
  おれはしっかりと奴の目を見て語ってやった___はずだが、気づいたらもうライは消えていた。まるで最初からそこにいなかったかのように消えていた。おれはぱちぱちと瞬きをする。やっぱりいなかった。次第に街の騒音が耳に戻ってくる。おれがさっきじっと見つめていたはずのその瞳の色ももう思い出せない。なんだ今の、幻想か?幻想にしてはやけに立体的だったような。それに、「あしたは晴れる」と言った奴の声はやけに立体的に頭の中に残っている。まぼろしなんかじゃない。

 おれは溜息をつくと、またシートの上に座りなおした。このシートは薄いから敷いていても地面のコンクリートの感触が直に伝わってきて痛い。普段は座布団を敷いているが、もうとっくに箱に詰めちまった。おれはもう一度煙草に口をつけた。煙はまたまっすぐ上がった。
 大体、あいつの嘘はわかりやすすぎるのだ。今日はテレビでもラジオもどこもかしこも迫り来る台風の話をしているというのに。そんな時にあしたは晴れるだなんて、そんな嘘猿でも信じないに決まっている。真っ赤な嘘、というやつだ。そうだ。真っ赤な嘘だ。あいつの嘘はこの店の日よけの布の色よりも、きっと奴の血液よりも赤い。この世界のどんな赤よりも赤いに違いない。真っ赤な嘘なんてついてあいつはなにが面白い。嘘は赤すぎてはダメなのだ。そうだ…せめて、ピンクくらいでないと。
 そこまで考えて、世界で誰も信じないなら、せめておれくらいはあいつの真っ赤な嘘を信じてあげていいんじゃないかという気持ちになった。どんな真っ赤な色でも、そこに一滴の白をたらせばそれはピンクになる。どんなに赤に近くても、白が混ざっていればそれはピンクと言っていいだろう。
 
 そういえば、おれは3日ほど前に仕入れていたある商品の存在を忘れていた。おれはいつになく俊敏な動きで立ち上がると、商品の入った箱の中をがさがさと漁る。__ほどなくして見つかった。可愛らしいピンクに丸いリボン。手のひらに収まるサイズの星型のパクトは、一見すればただの女児向けアニメの変身道具にしか見えない。ただこれはそんなちゃちいもんじゃねえ。そう、これは、明日の天気を完璧に予測することができるパクトなのだ!てってれー。なんとなんとその命中率はまさに百発百中。昔強いと言われていた海賊は必ずと言っていいほどこのパクトを持っていた、らしい。

 おれは少々もたついて、パクトを開けた。長らく閉まっていたせいか、ちょっと開けにくかった。それでも爪を使ってなんとかこじ開ける。使い方は簡単。中央の凹みに向かって息を吹きかけるだけである。そうするとメーターが回る。メーターは大きいものと小さいものの二つあって、大きいメーターがオレンジをさしたら晴れ、灰色なら曇り、青なら雨、水色なら雪。小さいメーターはさした方向へ風が吹く、という意味で針が赤く染まれば染まるほどその風は強い。わかりやすいようでわかりにくい情報量である。
 そしておれは、パクトの凹みに向かって息を吹きかける__前に一度練習をした。ふうと前方に息を吹きかけてみる。何回かやってみて首をひねった。これって口をすぼめて息を吹くのが正解か?そのまんま吐けばオッケーなのか?なんとなく、吹く風の勢いとか温度とか違いそうな気がしねーか?ちょっと考えて、おれは口をすぼめてみることにした。だって、なんか強めに息を吹きかけた方がパンチのつよい結果が出そうじゃん?まあわかんねーけど、百発百中っていうくらいだからこんなことで悩む必要ねーか。

 よし、と意気込んでおれは凹みに息を吹きかけた。メーターがからからと僅かな音を立てて揺れる。揺れの幅がだんだんだんだん小さくなって…止まった。針の指す色は…オレンジ。
 瞬間、おれはなんとも言えない感情におそわれた。こういう場合、おれはあいつを信じてよかった!喜ぶのか正解なのか?それとも現代の天気予報のショボさに落胆するべきなのか?そもそも、本当に晴れるのか?いやいや、このパクトの精度は百発百中だ。じゃあやっぱし晴れるのか?現状からどうやって晴れるっていうんだよ。海上で突然消滅でもしちまうのか?そんな超ド級のことがこれから起きるのかよ。ぐるぐると思考を巡らせながら、おれはしばらく、手のひらの上に乗る星型のパクトを見つめていた。


 結局、台風はやってきた。海上で突如消滅するような超ド級の天変地異が起こることもなく、どデカイ台風はどデカイままおれの住む街にとんでもねェ大雨を撒き散らし、好き勝手に風を吹かした。この天気だと、商店街も近所の学校も大方休みだろう。〇〇線は現在運行を停止しています、××町の方は避難してください___つけっぱなしのラジオから、台風の状況を伝える声が聞こえてくる。おれは窓の外とパクトを交互に見つめながらため息をついた。メーターの針はまだオレンジを刺している。なんだよ、結局晴れなかったじゃねーか、とおれは下唇を舐める。今度はなんの味もしなかった。ねえ、あしたは、晴れるね。奴の声が、まだ頭の中に残っていた。




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