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 今日は変な夢を見た。わたしが透明人間になる夢だった。別に透明人間と言っても、透明なだけで、実体はきちんとあった。鏡には映らないし、自分でも自分の輪郭を見ることはできないけれど、自分の手首の辺りに指を当ててみれば脈を感じられる。わたしは生きていた。いつもと同じように。
 だからわたしは、いつものように地下の書架で本を読んでいた。透明な指先がページをめくると、ひとりでに本が動いたようでおもしろかった。
 しばらく本を読んでいると、地下室にメルトがいないのがなんとなく気になって、わたしは本を読むのをやめて、なんとなく庭へ向かった。庭には色鮮やかな花が咲いていた。夢だから、チューリップとユリとコスモスとポインセチアが一つの花壇に同居していた。奇天烈な光景だったけれど、わたしはそれをスルーして、噴水へ向かった。なんとなく、メルトがいるような気がしていた。
 結論から言うと、そこにメルトはいなかった。ただ噴水の水が空へ上っているだけだった。わたしはその水の流れに手を伸べた。透明なわたしの手指、腕によって水の流れは二つに割かれた。水滴が昼の日光にきらきら飛び散って、わたしの服に少しかかる。水のかかったところだけ、周りのかかっていないところに比べて色濃くなる。そこに水があった証拠のように。
 わたしは噴水を後にした。そういえば、ここまで来るのに誰とも会わなかったわ、と思う。ちょっと残念だった。メルトがどこにいるか聞きたかったのに。
 パンジーの咲いている花壇の当たりで、夜風にわたしはふっと立ち止まった。いつのまにか夜だった。
「ヴァレちゃん、」
 そう言うメルトの声が聞こえた気がして、わたしははっと振り向いた。けれど、そこには項垂れているひまわりがフットライトにほの暗く浮かんでいるだけだった。
 そこで目が覚めた。わたしはハードカバーの本を頬の下敷きにして、書架の机に突っ伏していた。メルトがわたしを揺り動かしていた。
「ヴァ〜レ〜ちゃ〜ん〜〜、」
 わたしは凝ってしまった首をんん、と動かして、机に突っ伏したままの体勢でメルトの顔を見た。確かにメルトだった。
「ヴァレちゃんやっと起きた!ねえ、あたしの話聞いてよお、あたしねえ、透明人間になった夢みたの!」
 そんなことを言って、赤い唇を忙しなく動かして、どかっと書架の赤い椅子に腰かけて、「こんな夢を見たの、」なんて話始めたのを見て、わたしは口の辺りに手を当てつつくすっと笑った。そのとき手が視界に入ったのだけれど、もちろんその手は全く透明なんかではなかった。血の通ったうすだいだいの色をしていて、わたしは生きていた。
「もう、何笑ってるのよー、聞いてよお」
 メルトが椅子に座ったまま地団太を踏むのを見て、わたしはまたくすっと笑った。なんかおもしろいから、聞こえないふり見えないふりして、からかってあげようかしら。
 そう思って、わたしはハードカバーの本を手に取りなおした。メルトの話を右耳から左耳に流している風を装いつつ、メルトの話をちゃんと聞きながら本を開く。きっと今、庭では、ジンチョウゲの木が春風に揺れて、噴水の水が空へとあがっているのでしょう。これがわたしの日常であり、色鮮やかな日々なのだ。

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