あなたは光る風
03 あなたは光る風


 金曜日になると、土手の遊歩道の桜は満開で、もう散り始めている頃合いであった。花びらがひとつふたつ、みつよつ、と舗装された道路へ落ちていく。すでに落ちていた花びらは、人の足や自転車のタイヤなどに踏んづけられて、茶色く、薄汚くなっている。
 おれとロゼは、やわらかな青草に覆われた土手に小さなレジャーシートを広げた。そう、お花見ピクニックである。ふたりがやっと入れるくらいのレジャーシートに、おれたちは肩を並べて座った。ゆったりと目の前を流れる川の向こう岸には桜の木がずらりと並んでいて、後ろを振り返れば、すぐそこの遊歩道に沿って植えられた桜が枝を揺らしている。ここの辺りは人口はそう多くないが、土手のこちら側も、向こう側も、レジャーシートを広げて花見をする人がぽつぽつといた。
「あまり混んでいないな」
「平日だから、ですかねえ」
 のんびりした声で、ロゼは言った。おれは持ってきたランチボックスの蓋を開けた。サンドイッチと、おむすびと、いちごがちょっと。「これ食べたい、」とラップに包まれたたまごサンドイッチをロゼが取った。
「わたしって、いつまで館にいれるのかなあ」
 サンドイッチのラップをはずしながら、ぽつりとロゼが言った。ひとりごと、と受け取って、おれはだまったままランチボックスからおむすびをひとつ取った。向こう岸の桜が、ぼやぼやとした輪郭で川の水面に映りこんでいた。あの桜のすべてが、いつかは茶色ばんで、春の終わりに消えていくのだろう。
「ウェルさんはいつまで館にいるつもりですか」
「わからない」
 おれは少し間をおいて喋った。わからないが、いつか館を出る、ということだけははっきりしていた。ラップをめくっておむすびを食むと、ゆるい紐のようなもので互いに互いを結んでいた米粒が、舌に当たってばらばらになる。唾液が米粒のひとつひとつを包んだ。
 桜が散るとき、おれたちは、また来年も桜が咲くように思う。春が終わるとき、おれたちは、この次に夏が来、秋、冬が過ぎ、また一年後に春が来るように思う。しかし、本当にそういう未来は来るのか、おれたちは誰もわからない。ただ、そうなるだろうと思っているだけである。ただ漠然と、明日も明後日も館に住み続けるだろうと思っているだけで、おれも、ロゼも、他の館の住人も、いつ出ていく事態になるかなど、真の意味ではわからない。おれは、舌で米粒を押しつぶして、ゆっくり飲み込んだ。
 おれたちの前を、モンキチョウが横切った。ふわふわと、頼りなく上下してゆっくりと飛んでいく。ロゼが、口を開いた。
「でも……わたし、信じてみたいんです」と、桜の香りを含む春風に揺れる髪を耳にかけた。「またウェルさんと、一年後に一緒に桜を見れるって」
 おれは、思わずロゼの横顔を見た。瞳にまっすぐ、春の日の光が差し込んでいる。たしかにロゼは、春と、春の向こうを見ていた。やわらかなレーザービームのように、じっと、それらをとらえている。そんなロゼのベビーブルーの髪に、桜の花びらが一枚降り立った。
「ロゼ」
 呼ぶと、彼女はこっちを向いた。視線が穏やかに交わった。おれはロゼの髪の花びらをそっとつまんだ。
「ついてる」
「あ、ありがとうございます」
 そう言って、触れたら解けてしまいそうな淡雪のように、はにかみながら笑った。きっと、おしまいのときは手を繋いでいるだろう、と、その笑顔を見て思った。その、おしまいのときが来るか来ないかはわからなくても、来ることを信じることはできるから。いや、信じなければいけないのだ。今しか生きることのできないおれたちは、未来を信じることではじめて、この「今」の続きの「今」も生きることができるから。桜が散った続きを、春の続きを、まわる星の続きを、そしていつかは、この星の消灯時間の続きも、「今」にすることができるから。
 おむすびを一口、食べた。横のロゼも、たまごサンドイッチをかじった。次は夏を運ぶであろう春風が光る中、向こう岸の桜の花びらが、はらはらと土手へ落ちていった。

踏まれてるさくらのはなびら この次に夏は来るって信じていいの/飴屋かおる子


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