5 亡霊の嘘


 今の自分は過去の自分の積み重ねらしい。そんなの嘘だ。
 おれには好きな人がいたときがあった。おれには夏の入道雲が好きなときがあった。だが、そんなものはすでに亡霊だ。想う人がいた自分も、自分が想う人も、入道雲が好きだった自分も、好きだった夏の入道雲も。全部ぜんぶ、亡霊。もう、今の肉体には、ない。
 だから、おれは夏の亡霊に支配されて植民地化された従順な青い夏空の下で、自分も宗主国に忠誠を示すふりをして、ひまわりたちにホースで水をやる。地面近くのひまわりの大きな葉が雨に濡れたみたいにきらきらする。反抗期真っ盛りの自分の、晴れ空の亡霊へのわずかな反抗。
「ねこちゃんのこーさま、」
 ざっとレンガの敷いてある庭の小道を踏みしめる足音が背後でする。おれは、振り返る。誰?という顔をして。そういうあだ名で呼ぶ人物なんて一人しかいないのに。知っているのに自分に逆らう。
「ひまわり、もう大体咲いたんですねえ」
 ミントは、花壇の方に、すなわちおれの方へ数歩歩み、にこりとわらって少し濡れたようなひまわりの茎に触れる。おれは何も言わないでいようと思った。亡霊に肉体など与えてはならないから。けど。
「もう、夏だから」
 口が動いた。亡霊の口が動いた。カチカチっとホースのダイヤルを「切」に合わせる。ひゅっと現れてしまった亡霊を押さえ込むように、握りこむようにダイヤルを回した。そんなことを知る由もない彼女は笑みを崩さぬまま空を指さす。
「そうですねえ、入道雲もいますし、」
 おれは空は見ないで、ひまわりたちの下の雑草を抜くふりをして屈んだ。はやくどこかへ行って欲しいと思った。誰に?指を、水をやりたてで湿った土で汚す。
「でも、みんと、あんまり入道雲好きじゃないんですよね」
 その言葉に、おれは四本目の雑草を抜こうとした手を止めた。思わず、顔を上げる。ミントから、笑顔は消えていた。空を見る、細めた目だけ残して。首にくっきり陰影がついている。日差しに茶髪の色が部分的に飛んで見えた。これは、去年、去年の夏、見た。亡霊が現れたのだ。
「おれも」
 気づくとそう零していた。立ったままの彼女が、おれを見下ろすかたちで、顔を空から下へ向けた。もし人の目線が直線で具現化されるとしたら、その線はおれと彼女でぴったり重なっただろう。
 ミントは口の両端を上げた。ゆっくりと、唇が言葉をつくる。「こーさまは、覚えてます?」
 おれは息と唾を飲む。「何を?」
 彼女はひまわりと背丈から何まで同じにして、わらった。
「去年の夏は、みんと、入道雲が好きって言ったこと」
 やっぱり、自分に嘘を、ついていた。亡霊は完全におれを支配している。夏の空も、彼女さえも。

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