4 皆


 駅前で零した小さな舌打ちは蝉の喧騒にすっかり交ざってしまった。僕はミナという女のコに一言二言、スマホにメッセージを素早く打ち込んで、ポケットにスマホをしまう。今年、八月まで、女のコに遊ぶ約束をドタキャンされたのはこれで八回目だ。一ヶ月に一度はドタキャンされているということになる。去年はそんなことなかったんだけれど?駅の改札前の壁にもたれて、溜息をついた。
 折角田舎っぽい館から街まで来たのに、電車賃が無駄だ。男ひとりなんてとてつもなくつまらないけど、何もしないで帰るというのはなんだか嫌で、とりあえず、駅から歩く。ミナちゃんとぶらぶらする予定だった商店街がすぐそこにあるので、適当にぶらぶらしてからでも帰ろう。
 灯りのしゃれている革製品の店とか、よくわからない雑貨屋とか、テレビで紹介されたらしくて行列のできているかき氷屋とか、そういうのを横目に、アーケードの下をひとり歩く。それにしても暑い日だ。商店街が賑わっているのはいいけれど、その分人の熱気と気温の高さが十二分に相まって暑い。連なる店の中から流れ出るクーラーの冷気で生かされているようなものだ。
 実は色々あってヴァレちゃんに千ポルンほどお駄賃を今朝もらった。何があったかというと、僕が朝食を食べに食堂に行こうと思っていたときに急にヴァレちゃんが話しかけてきて、「メルトが直にここを通るまでわたしと談笑して」って僕の手に千ポルン札を押し込んできた。察するに、二人は喧嘩したらしい。大体一緒にいるイメージのあるふたりだけれど、色々なんやかんやあったらしい。とにかく、ヴァレちゃんのメルトちゃんへのいじわるに僕が使われた。ヴァレちゃんも酷いことを考えるものだと思ったけど、誰かが女のコの頼みはなるべく断るなって言ってたから、つきあってあげた――明日僕とお茶行く?って言ったらスッパリ却下されたけど。
 そのためお金には余裕があったので、適当にカフェチェーン店に入る。店内はやっぱり涼しい。僕はカプチーノを頼み、窓際の丸いテーブルの席に座る。
 僕は窓際の席がとてもすきだ。聞いている相手の話がつまらなくなっても、窓の外をちらりとでも見られれば、気が紛れる。今日はひとりだけどね。珈琲カップを口に運ぶ。商店街を歩く人々を眺めながら。
 こう、窓の外を眺めていておもしろいのは、商店街を歩く人が皆、楽しそうだというわけではないということ。例えばあの五歳くらいの男児を連れながら赤子を乗せたベビーカーを押している主婦は、悪いことをしたらしい息子を眉を歪めて叱っている。あの青年は、服を選んでいる彼女をつまらなそうにスマホをいじりながら店の外で待っている。あの少女は、親とはぐれたのか、道端でさめざめと泣いている。そういうものなんだ。僕も、カプチーノの泡のエスプレッソで茶色くなった部分を見つめる。
「おい」
 ふと頭上で声がして、僕は顔をあげた。何だか知っている声だなあと思ったら、見慣れないTシャツを着、アイスティーを片手に持っているシャロだった。
「何してんの、シャロ」
 思わず目をぱちくりさせる。館ではそこそこよく喋る相手なのだが、彼が燕尾服ではないラフな格好で外に出ているところなんて初めて見た。
「おまえこそ女と一緒じゃねーのに何してんの」
 ぬ、とシャロも眉間をひそめた。質問をはぐらかされてしまったのと、聞かれたくないことを聞かれたのとで、僕は溜息がもれた。
「ミナちゃんにドタキャンされたの」
「じゃあここ座ってもいいよな」
「慰めの言葉くらいかけてよ」
「別に慰めが必要なヤツを相手にしてねえんだろ」
 彼は有無を言わさない七歳上の態度で、テーブルを挟んで僕の真向かいに座った。うわあと僕は顔をしかめる。
「男の顔見ながらなんてカプチーノがまずくなる」
「おまえもカプチーノなんてかわいいの飲むんだな」
「それ、僕を口説いてるみたい」
「は?」
 シャロは顔をモアイ像みたいにして、こっちを睨んだ。僕はけらけら笑った。シャロの睨みは館の内でも外でもきつくてこわい。ふうと息をついて、僕は話題を戻す。
「てかほんとに何でそんな格好してここにいんの」
 カプチーノを飲んだ。一人で飲んでいたときよりまずいようなそうでもないような気がした。シャロもアイスティーを二口くらい飲んだ。ちらりと窓の外に目線を投げながら。はあ、と息をついて、めんどくさそうに答える。
「有給だから」
 有料休暇なんて制度が雛伊ちゃんの執事にもあるなんて知らなかったけど、それはさておき、僕は少し身を前に乗り出してつっこんだ質問をしてみる。にっと口角をあげて。
「なら、誰かと会う予定?」
「うるせーな」しっしとシャロは僕の顔の前で手を振る。「色々あんだよ」
 シャロは相変わらず窓を見ていた。むぐ、と僕はカプチーノの泡を食べた。雲みたいな泡だった。もしかしたらミルクはこんな泡になりたくなかったかもしれない。雲も雲になどなりたくなかったかもしれない。でも色々あって、ミルクはカプチーノの泡になり、雲は雲のまま空を漂う。
「色々、かあ」
 僕も頬杖をついて、そっと窓の外の人々を見つめた。時折、雲をのせた次第にぬるくなっていくカプチーノを飲みながら。

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