3 海に鼓動


 たしか、海に行こうと言ったのはレイの方だ。いや、大抵いつも何か提案するのはレイの方だ。「今度一緒に水族館行こう」「みんな誘って山登りしてみたい」「雨だから四音縛りでしりとりしようよ」「悠陽が好き、わたしと付き合ってください」「ジェットコースター乗って、そのあとアイス食べよう」、全部、ぜんぶ、レイ。それに、俺はいつも頷いた。
 基本的にはとっつかれるのが嫌いな俺だが、レイは何かと俺を誘う割にはいざ行動すると二人で行動するというよりは個々のことを尊重して行動するのが主だったので、レイと行動する時間は好きだった。彼女は自由奔放といえば確かにそうだが、放っておいてほしいときは放っておいてくれるし、放っておいてほしそうなときは放っておく。意外にも呼吸が合ったのだ。
 よく晴れた日、助手席にレイの乗る車を俺が運転して、ふたりで海へ向かった。レイはスマホをBluetoothで車に接続して、車内に音楽を流した。俺はその曲を知らなかった。でもそれは別に良かった。レイが好きな曲を聞けばいい。
 そうやって何曲か曲が流れて、トンネルの続く道を抜け、山中の道路を下る車窓からちらりと海が見えた頃、俺にも耳覚えのある曲が流れた。どこで聞いた?たしか、海へ行きたいと言い出す少し前からレイがよく口ずさんでいたような気がする。
「レイ、これ、なんていう曲」
 少しだけ興味が湧いた。しかしレイの返事はない。ハンドルを握りながら、ちらりと助手席に目線を流す。レイの横顔は瞼と唇が斉しく閉じられており、寝息と共に胸が数ミリずつ上下していた。俺は曲名を知らないのにメロディーラインだけ知っている曲を耳にしながら、またハンドルを握りなおした。
 山を下りきって海沿いをしばらく走ると、目的地に到着した。それほどポピュラーな海水浴場ではなく、駐車場には警備員が立っておらず、そもそも警備員が必要なほど混雑しているわけでもなかった。じゃりじゃりいう地面に車を停めると、レイはひとりでに起きて音楽を流すのを止めた。
「この海でいいんだよな?」
「いいの、人が少ない方が落ち着くでしょ」
 車を降りると潮気がむっとした。「海だねえ」、という声とばん、とドアを閉める音が車の反対側からした。俺もドアを閉めて、レイがくれた革のキーホルダーのついたキーで車をロックする。
 浜辺に人はあまりいなかった。ちらほらと地元の人と思われる子連れもいたが、夏のこの時期にしては人が少ない。海の家がないからだろうか。それよりも、海にたかる人々の光景よりはるかに、強烈に夏を印象付けたのは、むくむくと水平線から湧き上がる入道雲である。レイもそれに気づいて、「ねえ!」と雲に指をさす。その手には夏の日がくっきりと陰影をつけた。無邪気に彼女は、わらう。
「あのね、わたし、雲になりたいんだ」海がざわめいた。「もっと高いところへ行ってみたいの」
 途端、彼女のわらう顔がひどく遠く見えた。俺の知らないわらい方をしている。確かにそこにあるのに、海の鼓動に簡単に攫われて、いや、溶け込んでしまって、遥か沖の方へ連れて行かれているような。
「そうか」
 俺は曖昧に口角を上げるしかできなかった。行こう、とも行くな、とも言えないまま。
「そのときは悠陽も一緒に行こ、あられちゃんも一緒に行く?」
 ふふっと赤いビーチサンダルを彼女は脱ぐ。俺は初めて、レイにうんと頷けなかった。
 レイは波打ち際へと熱い砂浜を走った。遠くから押し寄せる波に合わせて揺るやかに鼓動が速くなる。俺は、もう一度風が吹いて海の匂いが鼻をつくまで、レイが足首を海に浸しながら俺を呼ぶまで、入道雲を見つめたまま動けなかった。

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