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「クララって、最近ミコトと仲良いの」
 キリネにそう聞かれたのは、駅ピのある駅にミコトくんと行った次の日だった。え、なんで、とぼくは苦笑いをした。応接室の窓の向こうで、桜が散っていた。
「昨日、一緒に出かけてんの見た、××駅で」
「まあ、うん、一緒にいた、かな」
 我ながら、歯切れの悪すぎる返答だった。
「ずりいじゃんか、三人でも遊びに行こうぜってば〜」
「絡み方だりぃよ、キリネ」
 とか言いながら、蒼はソファに座るぼくの首に抱きついてきた。そう言う蒼が一番重いよ、とか言えれば良かったな。ぼくはただ愛想笑いをしていただけだった。
 そうやって、今日の昼間に起きたことを回想する。ぼくとミコトくんは、夜の四階のラウンジにいた。あの日みたく月明りはあったけれど、消灯時間は過ぎていなくて、今夜は電気がついていた。花瓶の中身は差し替えられていて、桃色のスイートピーが生けてある。
「はあ、もう、やだ」
「何が」ミコトくんが、窓の外を眺めながら言う。欠けた月が出ていた。
「ムカつくって、こういうことなんだなって」
 ぼくは苛立っていた。この部屋の明かりはなんだか強すぎる気がする。この電灯のせいで、昼のようで、日中のできごとを次々と思い出してしまう。ぼくは幼馴染のことが好きだ。揺るがない事実だ。ああ言われて初めて、ミコトくんと出かけたことが後ろめたくなった。ふたりから少し離れすぎたかもしれない。でもキリネだって、ぼくらの知らないところで恋愛をしていたことがあった。そんな風に幼馴染のことを引き合いに出してしまう自分が嫌で、苛立っている。ぼくのからだを、電灯の明かりがしっかりと捉えている。
 いいこと教えてやるよ、と、ミコトくんがぼくの隣のソファに座った。
「ムカついたら、想像の中で殺すんだよ」
 さらっとミコトくんは殺す、というワードを口にした。ぼくは思わず、彼の横顔を盗み見る。綺麗な鼻筋と、善人みたいに透き通っている瞳とが鼻につく。良いと思えるのは、ちょっと血色の悪い肌色くらいだった。
「そいつを殴り殺すとか、絞め殺すとか、刺し殺すとか、なんでもいいけど、具体的な殺人場面を、映画みたいに頭の中で自分に見せてさ。そうすれば、そのうち怒りも収まるだろ」
 淡々とミコトくんは喋る。ミコトくんは割と誰にでも馴れ馴れしい態度を取るのだけれど、そういう風にアンガーコントロールをしていると知って、なんだか腑に落ちた感覚だった。人を乗っ取ってしまうようなやつなんだから、現実はしていなくても、想像では人を殺すくらい何べんもやってもおかしくないだろうなと思った。
「ぼくのことも殺した?」
「一回だけ」
「百回くらいはやってんのかと思った」
 はは、とミコトくんは笑った。「楽器店に行った日、ラヴェルを弾けってリクエストされたじゃん。あのときは、絞首台に立たせた」
「あのさあ、シャレになってないよ」
「なってるじゃん。夜のガスパール、第二楽章、絞首台」
「わかってるって、説明しないで」
「他の人のことも殺した?」
「みんな、数回ずつ」
 じゃあ、ぼくの幼馴染もきっと殺されたんだろうな。ミコトくんはみんなに怒りを抱いているのか。可哀想なやつだ、と思った。そう思うことでぼくは安心できた。ぼくは可哀想なやつではないからだ。
「それは、白くんとかも?」
「俺と白の関係、なんだと思ってんの」
「なんだと、って、――友人、とか、知人とか」
「キョーダイ、だよ」
 え、と、聞き間違いかと思った途端、ラウンジのドアが開いた。ぼくたちはふたりとも、ドアの方を振り返った。キリネと蒼がいた。
「あ、ここにいたー、クララ」
「ロゼが探してたよ、なんか、鍵がーって」
 あ、ピアノの、とぼくは呟いて立ち上がった。ロゼくんが帰省していた間に借りていたピアノ部屋の鍵を、まだ返してない。ポケットに手を突っ込んだら、やっぱりピアノ部屋の鍵が入れっぱなしになっている。じゃ、とミコトくんが視界の端でひらりと手を振る。行かないと。
 わかった、ありがと、とふたりに告げて、ぼくはロゼくんを探した。すぐに見つかった。彼女はピアノ部屋の前に立っていた。
「ごめん、遅くなって」
 じゃら、と彼女の手の中に鍵を渡す。
「いえ、全然。クララさんもピアノを弾かれるんですね」
「ちょっとね」
「ちょっと」
 彼女はくすくすと笑った。何がおかしいのかわからなくて、ぼくの首が少しこわばる。
「ピアノ、お好きですか?」
「どうだろうね」
「普段はわたしが鍵を持っていますけれども、合鍵、お作りしましょうか? 不審者にピアノを傷つけられないために部屋に鍵をかけているわけですけれども、純粋にピアノを弾きたい人が鍵のせいで弾けないのは、いささか問題ですよね」
「いや」ぼくは即答した。不愉快そうな声音だった。「いいよ」
 そこでロゼくんと別れた。四階への階段を上りながら、ロゼくんを殺す想像をしてみる。が、できない。どうも殺せない。首を手で絞めようとしたが、手をかけようとした瞬間、ぬるりと彼女の幻影がぼくの指の間からこぼれていく。おかしい、と思って、次はミコトくんを殺す想像をする。できない。ミコトくんの顔すらあやふやだ。金髪だ、というところまでは想像できるが、髪型までは捉えきれない。そもそもミコトくんは殺しても肉体が滅ぶだけでミコトくんは死なないだろう、と思われる。最後に、幼馴染のふたりを目の前に並べてみる。途端、背中がぞくりとする。殺意、って、好意なのかな、敵意なのかな。ぼくは階段を駆け上がった。
 四階の部屋に戻ると、ミコトくんが壁にもたれて立っていた。ぼくの姿を確認するとすぐ、自分の二つの脚で直立した。床とソファには、それぞれキリネと蒼がぐったりと横たわっている。人工の光に照らされた二つの顔は、どちらも人とは思えない、赤黒い、醜い色をしていた。ぼくはふたりの名前を呼んで近づく。返事がない。キリネと蒼の服を着た別人かと思った。そう思えば幸せだと思ったからだ。
「これは夢だよ」
 ミコトくんは静かにそう言った。ぼくは床に横たわっていた蒼の肩に手を触れた。そして、首を触る。温かくもなんともない。触れたそばから、どろどろと、どぶを触っているような、そんなふうに身体が溶けていって、しまいにはヒトの形ではなくなった。薄茶の、なんともいえない濁った色の、どろりとした液体になった。ぼくはキリネにも触れた。同じように、だんだんと溶けていく。ぼくの心臓は、止まる心地など一切せずに、ひたすら強く拍を打つ。ミコトくん。ミコトくん、お前、お前がやったんだろ。ぼく、ぼくが触ったら、溶けた。お前、ぼくじゃない。お前がやった。罪。罪人。人ではないもの。お前が。
 心の中で言葉を並べる。並べて並べて並べて、確信する。ふたりは死んだ、殺された、って。
「これは、夢」
 はっ、と我に帰って、顔をあげる。そうか。夢? 嘘言うなよ、現実だろ。ミコトくんは、がっと窓を開けて、その窓枠に飛び乗った。夜の風が吹き込んでくる。ここは四階。飛び降りたら、たぶん死ぬ。いや、ミコトくんはもう死なないか。待て、それもちがう、ミコトくんの霊魂は死なないけど、ミコトくんの身体は死ぬ。ミコトくんは、ここから飛び降りて身体だけ殺して、透明な霊に戻って生き続けようとしてるんだ。ミコトくんの犯行を、犯人・羽鳥尊は死んだという一文で締めくくらせつつも、自身は罪を背負わず生きながらえる。
「待って!」
 ぼくの呼びかけになんて答えないんじゃないかと思ったけど、ああ、よかった、ミコトくんは振り向いた。この金髪が風になびいているのを見るのも、茶色い瞳がまつ毛の奥で揺らいでいるのを見るのも、これが最後かもしれない。目に焼き付けながら、ぼくはまくし立てる。
「出てくなら、そっからじゃない。西側の階段から一階まで降りて、離れの渡り廊下の手前の勝手口から出よう。たぶんほとんど誰も使ってないから、誰にも見られない」
 言いながら、ぼくはばかだと思った。ぼくの今までの全部を、ぼく自身が否定しているも同じだった。なんでここでミコトくんを一発も殴れないんだ。なんで何があったんだよって怒鳴れないんだ。別にこのままミコトくんが飛び降りるのを待っててもいいし、むしろ闇夜の中に突き落としてもいいじゃないか。ふたりを殺めた人間を助ける筋合いはないし、自己否定に等しい。いや、もう、自然の摂理自体がぼくを否定している気がする。もう三人で生きることは叶わないことは明らかなのに、なんでぼくは成仏しないんだ? ぼくがふたりを愛してるっていうのは、嘘だったのかよ!
「早く!」
 全部が妄言だった。いつからこうなんだ。現実世界で、ふたりの金髪が揺れていた。

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