いろいろ | ナノ



彼は、いつものように席に座って窓の外を見ていた。窓からこぼれ落ちる橙の光が、明るく、けれど物寂しく教室全体を包み込んでいた。ふと、彼が目を細めた。それはまるで誰か――母親や、或いは心を許した相手にあやされ、安心しているかのような表情だ。

「高里くん」

声をかけると、突然名前を呼ばれた彼――高里は、声の主を探して視線を彷徨わせた。そしてすぐに互いの視線がぶつかる。黒い短髪に黒い瞳をした彼は、自分を呼んだ彼女をひたと見つめていた。……いや、眺めているようにも見えるだろうか。魂の抜けたような瞳でこちらを見る彼に彼女はさして不快になるでもなく、薄く色素の抜けた髪の毛を揺らしながら自身のポケットを探っている。
やがてそこから取り出されたのは小さな飴玉だった。普段は無表情でいる彼も、突然のことに驚いているらしく、少し目を見開かせ彼女と飴玉を何度も見比べていた。

「あげる。毒なんか入ってないよ。……いらない?」
「いえ、」

おずおずといった具合に彼は彼女の掌の飴玉を摘んだ。それを見て彼女は満足したように微笑む。

「少しいいかな」
「はい」
「高里くんの髪の毛って、染めてないんでしょう。今時染めてないのに黒い髪の毛を持つ人なんていないよ。羨ましいなあ」
「ありがとうございます」
「高里くんさ」

そこで彼女は一度言葉を切った。溜めているようにも見えるし、何かを考え込んでいるようにも見える。正直、彼自身にとってはどうでもいいことだった。

彼と関わるとろくなことがないと、みんなが口を揃えて言う。彼を批判すれば必ず周りに怪我人が出た。それを彼の報復だと騒ぐ輩もいれば、祟りだと言う者もいる。けれどどちらにせよ、彼と一緒にいて良いことなんて一つもないということは共通している。だから彼は教室の中で常に孤立し、異端児として腫れ物のように扱われた。別に彼も気にすることはなかったし、これからもそうだと思っていた。だからこそ、こうして何気なく話しかけてくる彼女には少なからず驚いていた。

彼女は小さく唸ると、軽く小首を傾げる。

「高里くんさ、たまにこう、……不意に安心したような感じにならない?」
「……」
「ああ、言い方が悪かったかな。ええとつまり、誰かがそばにいて、自分を守ってくれてるような感覚……といえばいいのかな」
「……守ってくれてる、ということではないけど」

それは初めて彼が発したまともな言葉に思える。すると彼女はやっぱりね、と薄く微笑んだ。白い八重歯がちらりと唇の端から覗く。彼は妙にその八重歯に視線を囚われてしまった。

「たまに見えるの。高里くんが小さく笑うと、そばには必ず何かがいて、彼をあやしてくれる。その逆かもしれないけど」
「……逆」
「うん。その何かが高里くんをあやしてるから高里くんが笑うのかもしれない。うん、きっとそうだ」

一人納得した彼女は何度も頷いている。彼は自分の掌の飴玉をもてあそびながら俯く。
それが一体どうしたというのだ。確かにその通りだが、それが自分に何か関係があるのだろうか?もしかしたら、失われた記憶に関係することなのだろうか。それよりも、見えるとはどういうことなのだろうか。一体彼女には何が見えているのだろう。
そんなことをぐるぐると思案していると、不意に彼女が彼の手を握った(彼が驚いたのは彼女の手が冷たいということだ。やはり女の子は総じて手が冷たいのだろうか)。

「あのね、これからもっと良くないことがたくさん起こるけど、絶対に挫けちゃだめだよ。すぐに貴方を理解してくれる人が現れるから。その人と辛いことを乗り越えるの」
「……あなたは?あなたは一緒じゃないんですか?」

このまま彼女と別れるというのはなんだか後味が悪く、言ってしまえばまだ一緒にいたかった。これだけ自然と自分に話しかけてくれる人なんて今までいなかったから。
すると彼女は困ったように眉を下げて微笑んだ。再び覗く八重歯。

「私はもう行かないと。……もう会えないね」
「会えないんですか?」
「うん、でも大丈夫。貴方にはあの人がついてるから」
「あの人って――」
「だめだめ、これ以上は教えられないなあ。何しろ高里くんてばおねだり上手だから、教えたら怒られちゃう」
「一体どういう……?怒られるって、誰に……」
「それじゃあね」

それだけ言って彼女は駆けて行ってしまった。彼に残されたのはぐるぐると渦巻くたくさんの疑問と、掌の飴玉一粒だけだった。
包みを広げてその飴玉を口に放り入れてみる。しかし、全く味がしない。一瞬眉を潜めたのだが、よく舌の上で転がしてみれば、何故だか懐かしい気持ちになる。不思議と和やかになれた。
足元に大きな生き物の気配がして、誰かに頭を撫でられているような感覚がする。その心地よさに自然と笑みがこぼれる。ふわふわと暖かくて優しい気分に包まれながら、彼はゆっくりと瞼を下ろした。


それから数日して、彼は一人の教育実習生と出会うことになる。彼女とは、あれから会うことはただの一度もなかった。



(120204)
十二国というより魔性の子寄りの高里くん

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