いろいろ | ナノ



先日の騒動により荒れた主の部屋の片づけをしていた。大量に保管されていた面はすべて没収、使役していた妖たちは解放されて暴れ、仲間はどんどん死に、天によって私の主も討伐された。
生き残った神器たちは皆奥の部屋で治療を受けていた。もちろん私も怪我を負ったが、比較的軽傷だったのとじっとしていられない性分だったのとで、ひとり黙々と主の部屋の掃除をしていた。
天つ守らが好きなだけ荒らしていったその部屋はだいぶ片づいていて、元通りとまではいかなくとも、それに近いところまでは進んだように思う。
散らかった床を掃いて拭き清め、棚も整理して同様に。続けて机の整頓をしようと、インクのこぼれた瓶と汚れた用紙を退け、無事な書類をかき集めた。そのときふと、少数の神器だけを連れて出ていく主の姿が頭を過ぎり、動かしていた手を止める。

彼が天に討たれた、と聞いたとき、またか、と思ったのを覚えている。私は周りより比較的長いこと仕えていた神器だったから、彼が身罷るのはそう遠くない昔に何度も経験していた。
けれど、それでもやはり悲しい。命がなくなってしまうのは、寂しい。彼は代替わりについて、自らの命に対して淡泊なように見えたが、昔、自身の代替わりについて知ったあの日の夜、怯えたような目をして私にしがみついていたのを今も覚えていた。
――きっとあの方も、死ぬのは怖かったろうに。

指先にぬるりとしたものが触れ、はっとする。ひびでも入っていたのだろう、端によけていたインク瓶の底からインクが漏れていた。インクは机の一部を汚し、端から床に滴り落ちていた。じわじわと大理石の床を浸食していく黒い液体が不気味で恐ろしくて、私は慌てて手拭いを手にした。
インクの処理は思ったより手こずった。伸びるし手拭いはすぐ黒くなり使い物にならなくなる。手はあっという間に汚れた。ひとり床を磨き続ける自分がなんだか虚しくなってくる。鼻の奥がつんとしたとき、ドアが開かれた。驚いて顔を上げる。そこにいたのは、

「わか、さま……」

ずいぶん幼い、私の唯一の主だった。その後ろには邦弥殿もいる。若様の稚い瞳が私を見据え、ゆっくりと頭を下げた。

「こんにちは」

控えめに頭を下げた若様は、ちらりと部屋を一瞥してから、再びこちらに視線をやった。

「お掃除ですか?」
「はい――あの、申し訳ありません。お見苦しいところを……」
「いえ、わざわざご苦労さまです」

投げかけられたその視線に恥入るようにうつむき、汚れた手拭いと手を見えないよう隠す。若様が物珍しそうにとたとたと部屋を見て周りはじめた。気まずくなって、邦弥殿に助けを求めた。

「やはり恵比寿さまは……」
「代替わりなされた。――道司破門の話は?」
「ええ、存じております。では、巌弥殿は」
「今は毘沙門天さまのところに」
「そうですか……」

囁くように言って、また目を伏せた。黒く染まった手拭いを握りしめた私の手の甲に、小さな指先が触れる。びくりと肩が震え、急いで手を後ろに回した。それを見た若様がひどく悲しそうな表情を浮かべる。

「あ、あの、若様、御手が汚れてしまいますので」
「大丈夫です」
「しかし」

くん、と弱く袖を引っ張られ、口を閉じた。これは、幼いころに彼がやっていた、拗ねているときや構って欲しいときなどにしていた癖だ。やはりこの若様も無意識の癖は同じなのだな、と頭の端で思った。思わず口元が緩む。
若様は、私が手を隠したあたりをじっと見つめていた。何かを思案しているようで、それに首を傾げると、彼は決心したように頷いた。不思議に思って「どうされましたか?」と静かに尋ねた。若様は私の袖を緩く掴んだまま、じっとこちらを見つめていた。

「僕、貴女に身の回りのお世話をしてもらいたいんです」

思ってもみなかった突然の提案に、思わずぽかんとしてしまう。わけが分からずおろおろと混乱する私と、それ以降何も語らない若様に、邦弥殿が頬を緩ませるのが目の端に見えた。

「若様、それはあの、――私が側仕えに?」

はい、と若様が頷いた。迷いのない答えに、さらに困惑する。再び助けを求めるような視線を邦弥殿に向けたが、主たっての希望を不意にするわけにもいかず、これは黙殺された。

「若様、あの、そういうのは道司の邦弥殿に任せるのが妥当なのでは……」
「はい。でも、邦弥も忙しいですし、それに」
「……それに?」
「うまく言えないんですけど……。怪我してるのに先代のために部屋を綺麗にしてくれているのを見て、思ったんです。この人なら、先代同様に僕を大切にしてくれるって」

そんな、と声をあげた。主を大切に思わない神器などいない。それは私も例外ではなかったが、それでも側仕えを自分があてがわれる理由が分からなかった。しかし、と、まだ頷かないこちらに業を煮やしたのか、若様が眉を詰めてさらに強く袖を握る。

「だめなんですか?僕、貴女にしてもらいたいんです。怪我していて、使用人でもないのにこんなに手を汚して、この人ならって思ったんです。先代の……僕のためにこんなに尽くしてくれるんだから、きっと」
「わ、若、落ち着いてくださいませ」
「でも」

小さく言って、彼は俯いた。私の袖を握る力は未だ強い。

「貴女にしてもらいたいんです……」

呟くような言葉に、思わず口を噤んだ。ちらりと見た邦弥殿には、「あまり若様を困らせるな」と視線で訴えかけられた。
ぐっと言葉に詰まる。
若は泣くのを必死にこらえているような顔で私を見ていた。ここまでくれば私の取る道はひとつしかない。ひとつ息を吐いて、彼を見据える。

「……承知しました」

そう頭を下げた途端に彼は顔を綻ばせた。

「ほんとうですか?」
「ええ、若のお気持ちはじゅうぶん伝わりました」

主人を困らせる神器などいない。本当に彼が私を必要としているのなら、それに応えないわけにはいかなかった。
嬉しそうに笑う若に頭を垂れる。後ろで軽く結っていた髪もそれに従い滑り降りてきた。ふわりと頬をくすぐるそれが心地良い。

「私で良ければ、なんなりと」

そう言って顔を上げる。私の主である幼い恵比寿神が、満足したように頷いた。
彼による新しい時代が、始まるのだ。



(140819)

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