いろいろ | ナノ



砂と血の混ざった重い風が頬を撫でる。あたりは蒸気のせいでじっとりしていて、視界もすこぶる悪い。私の前にいた彼が、ふと思い出したようにこちらを振り返って口を開いた。

「――なまえ」

乱暴に揺らされ身体がびくりと跳ねる。はっとして上半身を起こすと、夢で見た彼がいつもの無愛想な顔で「起きろ」とだけ言って部屋を出た。
時間を確認して慌てて着替えてリビングに向かう。テーブルには朝ご飯が並べられていて、彼ももう既に食べ始めていた。

「ごめん、今日は私が当番だったのに」
「気にするな。お前も仕事が忙しいんだろ」
「そうだけど……」

気落ちしながら席につくと、彼に「そんな顔して飯を食うな、食欲が失せる」と睨まれてしまった。
もそもそと朝食をとっていると今朝の夢のことをふと思い出し、目の前にある料理を眺めた。パンとサラダにベーコン、卵とスープ。あり合わせですぐに作れるものばかりだ。思わず苦笑した。

「ねえ、今朝、おかしな夢見たんだ」

彼はさして興味がなさそうに相槌を打った。

「なんかねえ、私たちは鳥籠みたいな狭い壁の中で暮らしてて、外にはおっかない化け物がいるの」
「そりゃあ世も末だな」
「それで、その化け物と戦ってる人たちがいるんだよ。誰だと思う?」
「さあな」
「あのね――」

私が嬉々として先を続けようとしたところで、急に背中に激痛が走った。驚きでうまく反応できずにいたところで再びもう一度激痛が襲う。
意識が沈み、またふわふわ上っていく。そこにいたのは、

「……兵長」

不機嫌そうな兵長だった。

「いつまで掃除サボってやがるんだテメェは……さっさと起きろ」
「ええ?」

ゆっくり起き上がる。そこはいつもの古城で、私以外の人たちは掃除に勤しんでいるようだった。
背中の痛みを感じながらぼんやりした頭で考える。つまりこれが現実で、あの平和な世界こそが夢だったということか。

そう結論付けると途端に身体の力が抜けた。がっくりと肩を落としうなだれる。それを見た兵長が苛立たしげに舌打ちをした。

「……兵長、私さっきまで夢見てたんです」
「それがどうした」
「こんな残酷な世界じゃなくて、壁も巨人も諍いもない、平和な夢。あるのは暖かいベッドと、本でしか見たことのないたくさんのご飯と、穏やかな生活」
「……」
「そこで私は誰かと一緒に暮らしてたんですね。……誰だと思います?」
「……さあな」
「兵長、あなたですよ」

私と兵長はまるで恋人同士のようで、兵長も現実とは違って優しかった。夢の中の私たちは本当に幸せそうだった。平和だった。

「……おい」

彼に声をかけられて初めて、自分が泣いていることに気づいた。泣いているのだと自覚するとさらに涙が溢れてきて嗚咽が止まらない。
いけない、こんな、人類最強だと謳われる人の前でこんな惨めな、弱い姿を見せてはいけない。きっと不快に思うに違いない。そう思ってなんとか我慢するのだけれど、そうすればするほど涙も嗚咽もひどくなった。
頭上でため息が聞こえる。やっぱり呆れさせてしまった。謝ろうと口を開いても漏れるのは自分の咽ぶ声ばかりだ。

「ごっ……ごめ、なさ……ひぐっ、う」

足音がして、あれ、と思ったときには兵長が隣にどっかり腰掛けていた。そしてそのまま乱暴な手つきで頭を撫でられる。ああ、もう、やめてください。そんなことしたらもっと涙が止まらなくなる。
兵長はそんな私を知ってか知らずか、撫でることをやめてはくれなかった。

「我慢する必要はねえだろ。無理するな」

優しい言葉に、縮こまって硬直していた身体がほぐれていく。こんな兵長、これじゃまるで、夢の中の彼みたいだ。隣にそっと体重をかけてみる。私の顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃなのに、兵長は嫌がりもせずに頭を撫で続けていた。
――夢みたいだ。夢の中の私と兵長のようだ。
それなら、今だけ兵長が優しくしてくれるなら、ほんの少しだけでもいいから、甘えてもいいだろうか。

「……兵長」
「なんだ」
「わ、私、もっと、平和な世界、にっ……う、生まれたかった」
「そうだな」
「さっきの夢みたい、に、生きて、みたかった……」
「……そうだな」

頭を撫でる兵長の手のひらは暖かい。それが嬉しかった。暖かみが感じられる。まだ私は生きている。
その暖かい手が肩にまわり、優しく引き寄せられた。彼は何も言わない。ただずっと私のそばにいた。

我が儘を言うつもりはない。ただの戯れ言だ。たった一度でもいいから、死に怯えぬ暮らしをしてみたかった。ただそれだけなのだ。






(140319)

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