いろいろ | ナノ



あの女に初めて出逢ったのは随分昔のことだった。神社の境内で一人遊ぶ俺に近づいてきた、唯一の女。
その日は太陽がじりじりと地面を照りつけるような暑い夏の日で、あそこに居場所のない俺はいつものように境内にいた。木の枝でがりがりと地面を抉っていた俺の頭上にかかった影。顔を上げると、小さな女が立っていた。じっと俺を見るその目から視線を外せなくなる。俺が言葉に詰まっていると、女が首を傾げながら口を開いた。

「痛くないの?」

女が何を言いたいのかすぐに分かった。そして、小さく失望もした。この女も、みんなと同じような顔をするのだろうと。話す気なんてさらさらなかったし、話したところで哀れむような眼差ししか貰ってなかったから、俺はその言葉を聞いてすぐに顔をしかめた。

「お前に関係ないだろ」

あの頃の俺は周りの餓鬼と比べればかなりマセていて、かなり大人びていた。ぷいとそっぽを向くと、女も俺と顔を合わせようとする。何度かそれを繰り返すうちに苛つき出した俺は、何か言ってやろうと女を睨んだ。その瞬間こちらに伸びてくる小さな掌。叩かれる!思わず身を固くする俺の頭に乗せられる、暖かい掌。俺は、彼女に撫でられていたのだ。

「痛い痛いの、飛んでけー」

誰かに頭を撫でられるなんてこと一度もなかった。母親でさえしなかったこと。その柔らかな、暖かい掌に鼻の奥がツンとしたことを覚えている。ああ、俺は触れてもらえるんだ。腫れ物のように扱われないんだ。ただただ、純粋に嬉しかった。誰かと触れ合えることに。たまらなくなった俺は、勢い良く女に抱きついた。

「わっ、どうしたの?」
「うるさい」
「まだ痛い?」
「うるさいったら」
「いい子いい子」
「うるさ……っ」

ぼろりと暖かい涙が頬を伝う。一つしかない視界はぼんやりと霞んで、女の顔さえよく見えなかった。けれど笑っていたと思う。いや、笑っていたというのは自分だけの妄想で、本当は笑ってなかったのかもしれない。一番向けて欲しかった人の笑顔を、俺は重ねていたのかもしれない。

「……母上は、いつも俺を邪険に扱う。俺はそれが堪らなく怖いんだ」
「うん」
「本当は俺だって、僕だって撫でて欲しいのにっ、けれど母上はっ……」
「いい子いい子」
「くっ、うぅ……ふっ……」
「大丈夫だよ。痛いのは時間が経てばちゃんと良くなるからね」

俺は頭を優しく撫でる掌に身を委ねながら、思いきり泣いた。

日が暮れて辺りが涼しくなる頃、ようやく泣き止んだ俺は途端に顔を赤くさせた。汗だか涙だか鼻水だかよく分からないぐしゃぐしゃな顔を急いで拭いて、あまりのいたたまれなさに俯く。恥ずかしかった。知らない餓鬼とはいえ、女に無様な姿を見せてしまった。ちらりと女を窺うと、さっきと同じように笑みを浮かべて俺を見ている。蜩が鳴き始め、赤い空が地面をも赤く染めていく。

「なあ」
「うん?」
「これ……気持ち悪いとか思わないのか」
「気持ち悪くなんかないよ。怖くもない」
「……なんで」

思わず訝しげに女を見ると、女は「だって」と続けた。

「それ、かっこいいもん」

そう言って笑い、そっとそれをなぞる。周りが気味悪がるそれをかっこいいと言ってくれる人がいたなんて。思わず呆ける俺に、女がまた笑った。

「かっこいいよ」

***

それから長い月日が経ったある夏。その日は暑く、太陽がじりじりと地面を焦がしていくような感覚を覚えた。
ふと昔の思い出を片手にあの境内へ向かう。かなり古く廃れてしまった境内は、それでも手入れがされているらしくあの日のままそこにあった。懐かしさから小さく笑みが零れる。ざく、と砂利道を鳴らして進むと、女と逢った場所へと出た。そこで瞼を下ろし懐古していると、自分ではない足音が背後から聞こえた。

「随分と懐かしい御方ですね。私の胸で泣いていたことが昨日のことのように思い出されます」
「止せよ。昔の話だ」
「まぁ。涙と汗と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにされた方が何を仰いますか」
「Ahー……忘れて欲しいもんばかり覚えてやがるな」
「ちゃんと全て、覚えてますよ」

久しぶり、その声につられるように振り向くと、あの日と変わらない笑みを浮かべる女が立っていた。女は俺に近づくとそっと俺に手を伸ばす。俺はもう、身構えたりはしない。やがて女は俺の右目のそれを撫でると、変わらない笑顔でこう言った。

「かっこいいね」


(101021)

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