いろいろ | ナノ



これの続き


いつものように買い物をすませて家に帰る途中、石垣の上でのんびりしているオレンジの猫に気をとられていたせいで、自分に猛進してくる車に気づかなかった。ひらりと逃げる猫を視界の端に捉えたところで、私の世界はぷっつりと途切れてしまった。

ざわざわと木々がうごめく。車に跳ねられてこんなところまで飛んできてしまったのか。
試しに指を動かしてみる。なんとか動いたが、それ以外体は動こうとはしなかった。体じゅうが痛む。
このまま野垂れ死ぬのかとぼんやり思ったところ、でオレンジのものが視界の端をよぎった。良かった、あの猫は生きていたんだと安堵した。細く息を吐いたとき、首筋に冷たくて鋭いものが触れた。

「あんた、こんなとこで何やってんのかなー?」

低い声。語り口は楽しそうだけど、声音は静かで棘があった。
目だけで声の主を見る。オレンジの髪の毛が真っ先に視界に入った。あ、とか細い声が漏れた。
目立つ髪の毛に、誰も信じないと言わんばかりの鋭い目つき。昔の面影があった。

でも、どうして。あの子がいなくなってから――たぶん向こうに帰ってから――まだ一年と半年も経っていない。たった一年弱でこんなに育つものだろうか。
もしかしたら彼の親類かもしれないとも思ったが、そういえば血の繋がりのある人間はいないとあの子自身が語っていた。それならこの人は一体。
驚きと疑問で固まる私を、オレンジ頭の彼は目を細めて首筋の鋭いものをさらに強く押し当てた。

「真田の所有地に堂々と入り込むなんていい度胸してるねえ。ま、俺様に見つかったのが運のツキってやつだね」

自分のこと、俺様って呼ぶんだ。昔との差に思わず頬が緩む。
それを見た彼は苛立たしげに眉を寄せて私の肩を蹴り上げた。うつ伏せだった体が仰向けになり、私の顔が露わになる。

「なに笑ってんだよ。あんたこれから俺様に痛いことされるって――」
「さ、すけくん」
「分かって……ん、の……」

厳しい顔つきだった佐助くんの面持ちがだんだんと崩れていく。最後にはぽかんと口を開けたまま動かなくなっていた。それについ笑うと、はっとした佐助くんが瞬きを繰り返してゆっくりと唇を開いた。

「……なまえ……?」
「ひさし、ぶり」
「え、ちょっと待って、なんで」

にっこり笑ってみせる私に、佐助くんは「なんで」を繰り返していた。私の方が分からないよ、とこぼすと彼はそっと私の顔を覗き込む。

「……ほんとになまえ?」
「大きくなったね」
「なんで、そういうなまえは全く変わらないじゃないか!あれからもう十年以上も経ってるのに!」
「……十年以上?」

唖然としつつも頷いた佐助くんに、今度は私が眉を顰める番だった。私のところでは一年半も経っていないのに、こちらでは十年以上も時が流れている。
状況がうまくつかめないまま佐助くんはゆっくりと私の半身を抱き起こした。まだ体は痛むが、奇跡的に怪我はない。体を支えながら佐助くんがぼんやりと呟いた。

「さわれる、幻術じゃない。……本物だ」
「失礼だな。私は正真正銘のなまえです。なんなら、佐助くんが私の家で初めて食べたご飯でも言おうか?」
「うん、本物のなまえ」

お互いにくすくすと笑い合って、それからようやく佐助くんが動いた。
軽々と私を抱き上げると、掴まっててね、と笑って走り出した。ものすごい速さだ。並の人間の速さじゃない。走るというよりは、飛んでいる感覚に近い。以前私に忍の見習いをしていると話していたけど、どうやらそれは本当だったみたいだ。
なんだか保護者のような気持ちで佐助くんの横顔を眺める。成長したんだなとしみじみ思った。

「……あの、佐助くん」
「んー?」
「どこに行くの?」
「俺様の上司のところ。ちゃあんと働いてるんだよ」

なまえ、心配してたもんなーと懐古する佐助くん。低い声で名前を呼ばれるのはなんだか慣れない。私が知っている声はもっと高かった。本当に、大きくなったなあ。

「……ここは」
「此処は真田の領地。国を治めるのは甲斐の虎、武田信玄公」
「たけだ、しんげん……」
「なまえとは違う、俺様の住む世界だよ」
「……」

よく分からない。状況を飲み込めない私を横目に、佐助くんが眉を下げて苦笑した。

「びっくりした?」
「ちょっとだけ」
「さらに驚くかもだけど、これから真田の旦那に会ってもらうから」
「え、ちょっと待って、佐助くんの言う上司って、まさか……」

真田さんは領地を持っているのだから、きっと偉い人だ。思わず強張る体に、佐助くんがからからと笑い声をあげた。

「だーいじょうぶだって!ちょっと真面目で、なまえほどでもないけど気安い人だし。人となりは保証するよ」
「……でも、なんでそんな偉い人と……」

そうこぼすと、佐助くんは笑みを浮かべて私を見た。

「そりゃあ、恩人を見捨てるわけないでしょ?恩返し」
「お、恩人だなんてそんな」
「なまえがあのとき手を引いてくれなかったら、俺は死んでたかもしれないんだから。それくらいさせてよ」

さっきと打って変わって真面目な口調とその目に、思わず何も言い返せなくなってしまった。
口をつぐむ私を見た佐助くんは私の背中を優しく叩くと、さらに優しい声で言う。

「大丈夫だよ。俺様がいるから」
「うん……」
「――今はややこしいことになってうちにいるけど、しばらくすれば元の場所に戻れるよ」
「……それ」

いつかに私が言った科白。佐助くんは甘く微笑んで、私の体をそっと抱き込んだ。

「なまえは俺様が守るよ」

その柔らかい暖かさは、あのときと違って大きく逞しくなっている。もう小さな佐助くんはいない。
それが少し寂しくも頼もしくて、私は涙をごまかすように彼の肩口に顔をうずめた。



(131208)
このあとの話の展開を想像しては悶えているのは他ならぬ私です

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