クレイジー・ハイジンクス | ナノ



「女将さん!」

廊下を走って走って(途中行く人たちに怒られた)、ようやく見つけた女将さんは事務経理の最終確認とやらをしていた。

「あらゆきちゃん……そんなに息を切らせてどうしたの?」
「女将さんにお願いしたいことがあって……」
「お願いしたいこと?」

女将さんはかけていた眼鏡を外すと、小首を傾げながら私を見た。私は荒い呼吸を整える間もなくすごい勢いで頭を下げる。頭上から、女将さんの困惑したような声が聞こえた。

「しばらくここで働かせて下さい!」
「まあ……」

女将さんのぽかんとした表情が目に浮かぶ。けれど、やらねばならないのだ。私自身のためにも。
高杉さんにまた会うのもそうだが、ここはとても居心地が良かった。女将さんを始め、梅木さんや他の女中さんたちとも気が合うし、何より働いている時の彼女たちがとても輝いて見えた。私もここにいれば、みんなと同じようになれると思ったのだ。

「でも急に……一体どうして?」
「私がここに来たのは昨日お話した通りです。仕事もろくに就かずフラフラして、挙げ句の果てには平田とかいう男とお見合いをしたくなかったんです。でも、結局私は逃げてました。ならちゃんと働いて、母にも一泡吹かせたいと思ったんです。昨日ここに来て、こんな場所で働けたら、とずっと思っていました」

断られるのなんて百も承知だ。そうなれば残念だが高杉さんとは会えなくなる。けど大事なのはそこではないのだ。大事なのは、働きたいという私自身の気持ちだ。

「自分の気持ちだけでこんなこと言って、都合がいいのも百も承知です。けど思うんです。ここでみんなと働いて、苦労を知って、そしたら何か変わるんじゃないかって」
「……」
「お願いします!雑用でもなんでもします、だから、せめて一週間だけでも……」
「いいわよ」
「そこをなんとか!って……え?」

思わず顔を上げると、優しく微笑んだ女将さんと視線がかち合う。

「だから、いいわよって言ったの」
「なんで――」

すると女将さんはくすくすと笑って私のところまでやってきた。

「あなたの気持ちはよく分かったもの。うちで良ければ、一週間でも一ヶ月でもどうぞ」

その言葉に、私は感極まってつい潤んでしまった。いい大人が何泣いてんだ。涙を堪えるために下唇を強く噛むと、それに、と女将さんがまた笑う。

「そんなに必死で頭下げられたら、誰も断れないわ」

その言葉に、私は恥ずかしさも相俟ってへらりと笑ってしまった。
なんだか、光が見えた気がした。


(101224)

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