クレイジー・ハイジンクス | ナノ



「結構広いんですねー」
「お客様がいないから広く感じるだけよ」
「わ、この骨董品いいお値段したんじゃないですか?」
「さあ……私が生まれるずっと前からあったらしいから」

雨が止むまで、とお言葉に甘えていたところ、どうやら豪雨らしく明日まで強く降るそうだ。女将さんがここに泊まればいいと提案し、もちろん断ったのだが押しの強い女将さんと弱い私とでは結果は見えている。
結局泊まることになった私は今、女将さんに旅館の案内をしてもらった(余談だが、周りの女中さんの反応と本人の確認から、女将さんはやはり女将さんだったようだ。私ってすごい)。

「お客さん来ないなんて冗談でしょう」
「そうねえ……最後に来たのは一ヶ月前だったかしら」
「……よく経営できますね」

思わず本音が漏れてしまった。隣の女将さんはにこにこ笑いながら歩いている。
ふと気がつくと、ずいぶんと奥へ来てしまったようだ。壁や襖の模様も、今まで見てきたものよりも質素で飾り気がない。

「ここは住み込みで働いてもらってる子たちの部屋なの」

あちらを母屋と例えるなら、こちらは離れといったところか。確かに質素ではあるが、それでも襖の模様や飾りは綺麗だし、ここも客間として使えそうな気がする。創設者はとてもいい趣味をしていたのだろう。そういうのに疎い私でも、この旅館が如何に風流で気品のあるところがよく分かる。
思わず呆気に取られたまま辺りをきょろきょろと見回していると、女将さんがぽつりと呟いた。

「――息子も、あなたと同じくらいだわ」

**

それから夜。大きな浴場で女中のみんなとお風呂に入り、すっきりした私は女将さんにあつらえてもらった部屋に向かった。離れの奥で、確か紅い花が描かれた襖の部屋だ。記憶力だけはいい私はあっという間に旅館の間取りは覚えたから、なんの問題もなく目的の部屋に到着した。

「それにしても女将さんいい人だなあ。普通はここまで良くしてくれないのに」

そこが少し疑問に残るが、いい人に変わりない。ご飯も美味しかったし。明日は早く起きて、もう少し詳しく中を探索させてもらおう。そう考えながら襖に手をかけたところで、ふと隣の襖が気になった。
淡い金色に伸びる黒い線。その華奢な線は花を描いていた。なんの花だろうか。百合にも、水仙にも似たその花の花弁は青に近い紫をしている。それが背景の金色に映えて綺麗だった。
これもきっと誰かの部屋なのだろう。途端に好奇心が頭をもたげた。部屋を見てみたいという冒険心と、勝手に見知らぬ人の部屋に入ってはいけないという常識が、襖を開ける手を躊躇わせてしまう。

「ええい、ここは度胸!失礼しまーす!」

そう叫んでスパーンと襖を開ける。その目に映ったのは。
月光に照らされた、質素な部屋。小さな机と、その上にある古びた本。開け放たれた窓からは満月の月と満点の星空が見えた。そして、窓の縁に腰掛ける一人の人物。その人は弾いていた三味線の手を止めると、ゆっくりとこちらを向いた。左目は包帯で見えず、たった一つの右目が鋭く私を捉えた。

「――誰だテメェ」

静かに発せられたその言葉に、はっと私は我に返った。

「しっ……失礼しました!」

開けた時よりも素早く襖を閉めると、何度か深呼吸を繰り返す。おかしい、何かがおかしい!何がおかしかったのか。それを考えようとしたところで不意に背中を軽く叩かれ、思わず変な声をあげてしまった。恐る恐る振り返ると、そこには女将さんの姿。

「どうしたの?そこはゆきちゃんの部屋じゃないけど」
「おおお女将さん!この部屋って……」
「息子の部屋だけど……それがどうかしたの?」
「息子……?」

えっ、隻眼で三味線弾いてて目つきすこぶる悪いあの男が女将さんの息子!?息子グレすぎだろォォォ!そう言いかけたところで、何かが引っかかった。

「あの、その息子さんって、最近帰ってきてないんですよね……?」
「? そうだけど……それがどうかした?」
「いや、あの、なんでもないです……ちょっと誰の部屋か気になって」
「でも何もないのよー」

そう言って女将さんはなんの躊躇いもなく襖を開ける。私が声をあげる前に開けられた襖の向こうは、本当に必要最低限の机と棚しかなかった。埃っぽくはない。薄暗い部屋の窓はぴったりと閉ざされ、その向こうから激しい雨音がした。それに唖然とするのは私である。

「え……?」
「ね?何もないでしょ?」

残念だった?と笑う女将さんに慌てて首を横に振る。女将さんは困ったように眉を下げて襖を閉めた。

「家出息子がいつ帰ってきてもいいように、毎日掃除してるの。……おかしいでしょう」
「いえ、そんな」

自嘲ぎみに笑う女将さんにそう答える。しかし頭の中はそれどころじゃなかった。
あの人は一体誰だ。女将さんが毎日掃除をしてるなら、必ずあの人に気づくはずだ。それに今夜は豪雨のはず。なのに最初開けた時は月明かりの眩しい晴れた夜だった。かすかに潮騒の音もしていた。どうして。

女将さんが行ってしまったあと、私は再び襖に向き合った。何度が深呼吸をしてから襖を勢い良く開ける。最初のは私の見間違いでありますように。私の祈りは、裏切られる形で姿を現した。そこにはやはり小さな机と本、月と星の覗く窓があった。しかし、今度はあの男の人がいない。窓際にぽつんと三味線が転がってあるだけだった。

「どういう――」

そう呟いて部屋に入った瞬間だった。

「動くなよ」

首に当てられた鋭くて冷たい何かと、真横から聞こえる低い声。

「テメェ何者だ?」

その言葉と同時に、襖の閉められる音がした。それが、私を絶望へ導く音に聞こえて仕方なかった。


(101124)

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