クレイジー・ハイジンクス | ナノ



明日、大きな商談をするとかで、結構なお偉方がうちの旅館に来ることになっていた。大事な上客の来館ということもあり旅館内の空気はどことなくそわそわしている。
そんな方々のおもてなしをするため、女将さんと梅木さんが主導になって動くことになっていた。出迎えからお見送りまで基本的にこの二人で行い、それ以外の従業員は二人のサポートをするらしい。
頑張るわよ!と意気込む梅木さんを応援しつつ、裏方の私は大変そうだなあと呑気に構えていた。

――が、当日、女将さんの「梅木さんは風邪により参加不可能です」という一言で全てが一変する。
この日のためにあれこれと早朝から準備していた従業員は途端にざわついた。そりゃそうだ。仲居さんのなかで一番有能だった梅木さんがダウンし、彼女をカバーできるほどの代理はいない。女将さんだけで全てするなんて不可能に近い。
すわ予約取り消しか、と皆が戦慄したそのとき、女将さんが凛とした表情で言い放ったのである。

「なので梅木さんの代わりをゆきちゃんにしてもらいます」

……いや、なんでやねん。

家出息子の起こした騒動に私が関わったこともあり、周囲から見た私の立ち位置がどういうわけだか『息子の嫁(予定)』みたいな感じになっていて、通常なら「いやありえねーだろ」という女将さんのこの発言も何故かすんなり受け入れられてしまった。
きっと上客相手の接待を旦那もしくはその女将がする、という方程式とともに、『将来の旅館の旦那=高杉くん、その嫁=私(予定)』というアホ理論が展開されているのだろう。しかもそんなアホ理論がほとんどの従業員に浸透していたせいで、周りから納得の声が挙がったほどだ。いや私は納得してねーよ。
外堀を埋めていた女将さんの策略により断れる雰囲気ではないことを肌でひしひしと感じ取った私は、とうとう絶望したのだった。



「アホだ!みんないかれてやがる!」

梅木さんの代理として急遽私が入ることになり、女将さんに仕事内容を教えてもらったのだが如何せん多すぎて正直覚えられる自信がない。
大丈夫よお客様がお見えになるのは午後だからそれまでに覚えておいてね、と微笑んで女将さんは準備と称して姿を消した。そしてその場に取り残された私は、自室にてそう叫んだのである。

「みんな頭お花畑だ!正常な判断ができてねぇ!普通こんなこと下っ端にやらせるかよ!だいたい若旦那の嫁(予定)ってどういうことだ!そんな話ひとつも聞いてねーぞ!本人を置き去りにして話が進みすぎィ!」

思いつく限りの悪口を喚きまくり、荒れた部屋の真ん中でゼエゼエ息をする。ずっと握りしめていたしわくちゃのメモ書きを広げ、頭を抱えたままへたり込んだ。
ああ高杉さん、どうか話を聞くだけでもいいので戻ってきてください。土下座の体勢で念仏のように唱えるも意味がなことは知っている。ぬあああ、と呻いて瞼を閉じた。

スパーン!と開いた襖の音にびっくりして飛び起きる。どうやら少しうとうとしてしまったようだ。目を瞬いて辺りを見渡すと、入り口に見知った人が立っていた。

「……あれ、高杉くん。どうしたの?」

そう尋ねた私に、高杉くんは顔を顰めた。

「そろそろ時間だってのにお前がどこにも居ねえからだろうが」
「――え!?いま何時!?」
「もう昼前」
「あ、あっ、うわああっ」

頭が真っ白になった。貴重な時間を睡眠に費やしてしまったという事実に直面しパニックに陥る。盛大にため息をついた高杉くんは、混乱して叫ぶ私を担ぎ上げるとそのまま部屋を出て歩き始めた。

「どうしよう時間がない!」
「お前が寝るからだろうが」
「だっていつの間にか寝てて!覚えようと思ってたのに!うわあああ!」
「諦めろ」
「うわああああ」
「黙れ阿呆」
「……」

私を担いで歩く高杉くんをみんなが微笑ましそうに見ている。こんなんだからどんどん話がこじれていくんだよ。至って平気そうな高杉くんが憎らしい。

**

意気消沈する私が運ばれたのは、離れの一角にある部屋だった。乱暴に降ろされてまず目に入ったのが部屋に準備されていた着物一式だ。衣桁にかけられた着物に目が奪われる。言葉が出ないほど綺麗だった。

「……これ、まさか私が着るの?」

当たり前だろうと言わんばかりの高杉くんの表情に、今度は青ざめる。
こんなすごいもの、着られない。だいいち似合わない。絶対に汚せないし、そんなプレッシャーできっと動けなくなってしまう。もっと分相応なものの方がいいに決まってる。
そう言うと苛立ったような面持ちの高杉くんが舌打ちをして、無理やり私の服を脱がしにかかった。

「ぎゃあ!やめてー!」
「時間が無ェんだから早く着ろよ」
「私そもそも着付けとか出来ないから!無理無理無理!女将さんは!?」
「ババアは用事があるんだと」
「……う、うわああああ!」
「誰もテメェに欲情しねえから安心しろ」
「そういう問題じゃな……ああああああ!!」

***

結局、高杉くんにより服を脱がされた私は、脱力状態のまま髪の毛をセットされ化粧まで施されてしまった。そして現在、着付け中である。

「地獄だ……」
「下着まで脱がしたわけじゃねえし、肌襦袢まではお前にさせただろ」
「違うんですよ、そうじゃない……」

ぶつぶつ言う私を無視して高杉くんはてきぱきと手を動かす。そんな様子をぼんやりと眺めながら、ふとあることを思い出した。

「そういえば私、さっき変な夢見てさ……あっつあつのお揚げにくるまれる夢だったんだ……」
「……稲荷寿司とかのアレか」
「そう、きつねうどんとかのアレ……。お出汁の匂いがすごかった……」
「……」

無言で帯を締められ、高杉くんとの距離が縮まる。そのとき不意に彼からふわりと懐かしい香りがした。どうしてだろう。高杉くんの匂いは、お揚げとも、向こうの高杉さんとも違うのに。全然違うのに、どこか懐かしくて落ち着く。

「いやお揚げは違うけども!」
「急にどうした」
「いや、お揚げは比較対象じゃなくてですね」
「とうとういかれやがったか。――おら、終わったぜ」
「あっ、ありがとう、ございます……」

おそるおそる姿見で確認してみる。顔の美醜はともかくとして、別人のような私がいた。思わずぽかんとしてしまう。化粧も髪も着付けも全て高杉くんがひとりでしたのだ。凄いとしか言いようがない。
そんな高杉くんは数歩距離を置き、上から下まで出来映えを確認していた。鏡込しに目が合い、なんだか照れくさくなって顔を背ける。挙動不審な私に、高杉くんは「まあ、いいんじゃねえか」と言ってニヤリと笑った。
その勝ち誇ったような憎らしい顔が向こうの世界の高杉さんを思い起こさせて、また懐かしさがこみ上げる。

「ちゃんと、できると思う?」
「さあな。努力次第だろ」

ばっさり言い捨てた高杉くんは、さらけ出されたうなじをそっとなぞり、帯の具合を直しながら続ける。

「お前ひとりで全部やれってわけじゃねえんだし、そう気負うなよ。何かあればババアに聞け」
「……ババアって……」
「丁寧にやってりゃ相手も満足するだろうよ。いつまでも辛気臭ェ面構えしてると不愉快だぜ」
「あい」
「俺が全部してやったんだから安心しろ」
「あい」
「終わったら寿司奢ってやる」
「ウッス!」

回らないほうね!と意気込むと、高杉くんが笑った。それにつられて私も笑う。
高杉くんがそう言ってることだし、外見は大丈夫だろう。あとはもうなるようになる。頑張ってみよう。やっとそう思えた。
――とりあえず、土壇場で寝込んだ梅木さんにはあとで文句を言っておくことにする。



同じ香りを纏う


(160505)

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