クレイジー・ハイジンクス | ナノ



「雨」
「……」
「あめ」
「……」
「あっめあめ降れ降れ母さんが〜」
「しつけえしうるせえ」

ごつ、と高杉さんが刀の鞘で私の頭を叩いた。そのあまりの衝撃と痛みに思わず変な声が出た。鞘って思った以上に痛いんだね。

「なんだよ別にいいじゃんかよ〜」
「苛々するから黙れ」

痛む頭をさすりながら高杉さんを見る。高杉さんは呆れたようにため息をつくと、弾いている途中だった三味線の演奏を再開した。

今日は仕事が休みで暇だったので、いつものように高杉さんのところで時間を潰していた。別に高杉さんのところを訪ねないで出かけても良かったのだが、あいにくの雨で断念した。観たい映画があったんだけど、と肩を落としたところで、特に一緒に出かける相手もいないのにひとりで映画を観るなんて寂しすぎるだろと考え直して今に至る。
しかし、高杉さんのところも予想だにしなかった雨。これじゃ暇つぶしの意味がない。とりあえずそこらへんに座って窓の向こうの景色を眺めるが、景色と言っても雨と海しかない。高杉さんは高杉さんで、ひとり三味線を奏でている。はっきり言おう、つまらない。

「あーあー」
「静かにしろ」
「……」
「……」
「……私あまり三味線の魅力って分からないんですよね〜よくテレビでナントカ兄弟とかがやっててあれはすげーなと思うけどひとりでベンベラ弾くやつは正直微妙というかなんというか良さが伝わってこな」
「うるせえっつってんだろうが!」

今度は鞘で本気で叩かれた。なんか最近高杉さんの私に対する扱いが雑な気がする。
痛む頭をさすりながら高杉さんをねめつけると、彼は苛立たしげに鞘を置いて乱暴な手つきで三味線を掴んだ。ずいぶんと荒れているみたいだ。

「……なんか嫌なことでもありました?」

ぼんやりとそんなことを思ったのでそれを尋ねる。その一言で、高杉さんの三味線を弾こうとした手がぴたりと止まった。図星だろうか。高杉さんはしばらくの間動かずにいたが、やがて諦めたように深いため息をついて三味線を床に置いた。

「――雨は嫌いだ」
「そうですか?私は好きですけど。小さいころは雨に濡れながら裸足で遊んだりしましたよ」

裸足で地面を踏みしめたときのひんやりとした感触がたまらない。地面がざらざらしてて、足をくすぐるように流れる雨に夢中になっていたものだ。
昔を思い出しながらそんな話を高杉さんにしたのだが、高杉さんは上の空で窓の外を眺めている。どんよりとした雲から降る雨は、私の知っている雨よりも重くて辛気臭く感じられた。
それに比例するようにこの部屋もなんだか息苦しい。こんな空気、私には無理だ。

「平和ボケしてるお前にゃ分かるめェよ」

拒絶するような言葉。暗にお前には関係ないから話しかけるなと言われているようで、少し腹が立った。
むっとした私は勢い良く立ち上がると、高杉さんの手を掴んで引っ張る。苛立った声を出して抵抗しようとする高杉さんを無視して、そのまま部屋を出た。

床を踏み鳴らしながらずんずんと旅館の廊下を進む。幸い誰にも鉢合わせすることがなかったので、第三者からすれば『見えない誰かを引っ張る私』を見られなくて済んだ。

「てめえ……離せってのが聞こえねえのか」
「……」
「おい、ゆき――」

高杉さんの言葉を無視して前に進む。離れの奥のさらに奥まで進んで、人けのない小さな庭にたどり着いた。そのまま止まることなく濡れ縁から出て庭に足を踏み入れる。濡れた地面に素足が気持ちいい。高杉さんも私に引っ張られて、裸足で庭に突っ立っていた。決して弱いとは言えない雨が二人に降り注ぐ。私たちの服はあっという間に濡れてぐしょぐしょになってしまった。

「……なにしてんだ」
「濡れてます」
「そうじゃねェ」
「雨のなか外に出てます」
「そうじゃねェっつってんだろ。……何をそんなに苛ついてんだ」
「苛ついてんのは高杉さんの方でしょ」

そう言ってつんとそっぽを向く。高杉さんが、ぐっと黙り込んだのを視界の端にとらえた。

「……」
「別に、何があったか知りたいとかそういうんじゃないので安心して下さい。ただ単にいつも不敵で腹立つ高杉さんじゃなくて、センチメンタルな高杉さんなのが気に入らないだけです」
「……おまえさり気なく腹立つようなこと言ってんじゃねーよ」
「落ち込む高杉さんは高杉さんじゃないです」

ここで、また高杉さんが口をつぐむ。そしてそのまま俯いて、やがて自然な動作で空を見上げた。雨が頬に打ちつけるのを感じながら、高杉さんはずっと目を閉じていた。

「――雨には嫌な思い出しかねェ」

高杉さんの閉じた瞼に雨が降ってきてふるふると震える。それをじっと見ながら、私は黙っていた。無意味な相槌を打つよりは、黙って彼の吐露を聞いている方が良い。高杉さんはそれきり何も言わなくなった。辺りには沈黙しかなくて、私たちを包む雨音が妙に心地良かった。
ぼんやりと池を眺める。池の近くの紫陽花が雨に映えていて、とても綺麗だった。こんな静かで綺麗な場所あったんだ。高杉さんそっちのけで風景を眺めていると、不意に背後から呟くような声が聞こえた。

「――烏の濡れ羽」
「へ?」

素っ頓狂な声を上げて振り向くと、高杉さんがそっと私の濡れた髪の毛を一房、掬い上げた。手入れを面倒くさがって傷んでしまった髪の毛を、烏の濡れ羽色に例えるなんて。

「……そんな大層なものじゃないですよ」
「そんなことねえ」

静かにそう言われて、私は首を傾げそうになった。さっきまで苛ついててあんなに尖った雰囲気が、今ではすっかり柔らかくなっている。雨が高杉さんの嫌なことでも洗い流してくれたのだろうか。
ふと思い立って、私も高杉さんの髪に触れる。雨に濡れてしっとりとした高杉さんの髪の毛は、私のなんかよりも柔らかくて艶めいていた。

「高杉さんもきれいです」
「……俺は、お前が思ってるほど綺麗じゃねえよ」
「きれいですよ」

途端に顔色を暗くする高杉さんにきっぱりと言い返す。高杉さんは、なんとも言えない表情で私を見下ろしていた。

「別に雨で落ち込むのは構わないけど、それを心配してる周りを拒絶するようなことはしないで欲しいです」

ひとりで抱え込むなとは言わない。でも、ひとりつらい思いをして苦しくなるなら、少しくらいは肩を貸してやってもいい。それで楽になるんだったら、私の肩ならいくらでも貸すのに。
そう言って唇を尖らせる。高杉さんから見ればふてくされてるようにしか見えないだろうが、まあその通りなので黙っておこう。

ぽん、と頭に暖かい感触がして、ちらりと上を向くと高杉さんの手が私の頭に乗っていた。そのまま何度か頭を撫でられる。……何がしたいんだろう。

「なにしてんですか」
「――だいぶ濡れたな」
「え?そりゃあ、まあ……濡れましたけど。それがどうしたんすか」

未だ降り止まぬ雨に打たれながら首を傾げる。高杉さんはしばらく明後日の方を見ていたが、やがて私の頭を軽く叩いて歩き出した。もう帰るらしい。その背中を追いかけるように私も続く。

「さっさと着替えて来いよ」
「え」

びしょびしょの状態で廊下を歩いていると、高杉さんにそう言われた。お風呂入りたいし濡れた廊下も拭かないとだし、そんな早く行けるわけがない。あからさまに顔をしかめると、呆れたような面持ちで高杉さんが私を一瞥した。

「自分が言ったことも忘れてやがんのか」
「いや、その――え?」

何か言ったかな。思い出せないでいると、高杉さんは深いため息をついて頭を掻いた。

「――肩、貸すんじゃねえのか」

こっちを見向きもせずにそう言った高杉さんに、ついぽかんとする。ああ、そうか。ちゃんと聞いてたんだ。良かった、聞いてくれてた。
嬉しくて頬が緩む。高杉さんがそれを見て不細工、と呟いた。

「すぐ行きます。ちゃんと待ってて下さいよ」
「お前が忘れてなければな」

大丈夫。忘れるわけがない。だから高杉さんも、つらいことを忘れられなくていいから少しでもそのつらさが薄らいでくれればいい。そのためなら肩を貸すことなんて安いものだ。

小走りで高杉さんの後ろを追いかけながら見た雨は、もうすぐで止みそうだった。



鵺の逃げ道


(120529)
センチメンタルな高杉さん

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