今までを思い返してみれば分かると思うが、襖を挟んだこちらと向こう側は全くの別世界だ。次元から違う。パラレルワールドと言ってもいい。つまり私たちとは違う世界がもう一つあるということだ。
ここまで聞けば、高杉さんの言葉に不自然なところがあることが分かるだろうか。
この別世界において、高杉さんの知り合いがいるなんておかしい。
それはつまり、高杉さんの世界にもその知り合いがいるということだ。
同一人物が高杉さんの世界と私の世界にいるなんてことはあるのだろうか。にわかには信じられない話だ。
「……それ、本当ですか」
「ああ、写真を見てすぐにあいつだと分かった。あのふてぶてしい面はあいつしかいねぇ」
「つまり、高杉さんの世界にもその知り合いが存在するってことですよね」
「そうなる」
「……」
「信じられねぇか?なら俺とお前が会ってる今この状況はどう説明する?こんなことがあるんだ。何があってもおかしくねぇだろう」
そう言われてしまえば何も反論できない。確かに襖が別世界に繋がること自体ありえないのだ。パラレルワールドに何があってもおかしくはないのかもしれない。
そこまで考えて、私はふとある考えに至った。
「てことは、高杉さんのところにも私はいるんですか?」
「いるだろうな。お前んところに俺の知り合いがいるくらいだ」
「なら、私のところにも高杉さんがいるかもですね」
「……多分な」
私の知らないところでもう一人の私が生活しているのだと考えると、なんだか笑えてしまった。
くすくす笑っていると、高杉さんがぽつりとこぼす。
「お前が来なかった間、ずっと考えてた。もしかしたらあの襖は、俺とお前を逢わせるために繋がったんじゃねぇか、ってな」
「……随分とロマンチックですね。ちょっと鳥肌」
「殴るぞ。――お前と出逢って、俺の中の世界は確実に変わった。お前も俺と逢って、何か変わったかもしれねェ。それが狙いだったのかもしれねぇ」
「……狙い?誰の……」
「さァな。俺も全知全能じゃねぇから分からねえ。もしかしたら、俺ら自身がそれを望んでたのかもな」
その望みを聞き入れた襖が、私と高杉さんを引き逢わせたのだろうか。
確かに高杉さんと出逢ってからいろんなことが変わり始めた。仕事も見つかったし友好関係だって広がった。高杉さんもそうなのだろうか。そうだと嬉しい。
「お前が出て行って扉が閉まったら、俺はここでお前を探す。お前も、俺とすれ違ったら蹴りの一発や二発くらい入れてくれ。きっとろくなことやってねぇに違いねェから。そうして、お前の世界で俺を正してくれや」
「……はい」
「俺もここでなんとかやっていく。お前もお前の世界でうまくやれよ。なんでもすぐにへこたれんじゃねえぞ」
「分かってますよ……」
苦笑を漏らすと高杉さんも笑う。楽しそうな声だった。ちらりと盗み見た高杉さんの顔は、あどけない少年の面影を残していた。きっと、これが本当の高杉さんの笑顔なのだろう。
そっと高杉さんから離れる。名残惜しいが、もう時間だ。私の優しく頭を撫でていた高杉さんの手がするりと離れていく。
襖の前まで行くと、そういえばと振り返った。
「また子さんたちに挨拶できなくて残念です」
「ああ、俺から言っとく。でもまあ、すぐ逢えるだろ」
お前の世界にも俺たちはいるからな。そう笑った高杉さんに、そういえばそうだ、と私も笑う。
襖に手をかける。いつも通りするりと開いた襖の向こう側はお馴染みの廊下が広がっていた。
もう一度振り返ると、煙管を吹かしている高杉さんと目が合う。
「さようなら、は無しですからね」
なんせ私たちはお互いの世界に存在するんだから。
そう言ってみせると、高杉さんがにやりと笑った。
「お前もだいぶロマンチックだな。すげえ鳥肌」
「張り倒しますよ」
お互いに笑いあって、私は襖を閉じた。
ぱたん、という音のほかに、どこからか別の扉が閉まる音が聞こえた。
「――ありがとう」
それ以来、高杉さんと私を繋ぐもう一つの扉が開くことはなく、高杉さんと会うこともなかった。
(110525)