クレイジー・ハイジンクス | ナノ



それから数日、私は高杉さんのところに行っていない。高杉さんが来るなと言ったわけではなく、自主的に足を運んでいないのだ。
襖が閉じるだとか聞いてもあまり実感は湧かないが、あの日の高杉さんはいつにもまして真剣だった。だから、少なくともその扉が閉じることに対して恐怖している。

はあ、とため息をつきながら廊下を歩く。するとどこからか女将さんの困ったような声が聞こえた。確かこの廊下の先に電話があったはず。ひょっこり顔を出すと、案の定女将さんだった。

「話だけでも聞いてちょうだい――あなたになくても母さんにはあるの……ああ、切らないで」

きっと息子だ。女将さんは電話口でおろおろしている。そんな女将さんを見てられなくて、私はため息をついて女将さんのところに向かった。

「女将さん、私と代わって下さい」
「ゆきちゃん……でも」
「いいから」

そう言って女将さんから受話器を奪う。不安そうな顔をした女将さんが受話器を私を交互に見ていた。
私は受話器を耳に当てると軽く咳払いをして、ゆっくり口を開いた。

「あなたが女将さんの息子ですか?」
『……は?誰だお前』

明らかに警戒する受話器の向こうの相手に、私は続ける。

「私は女将さんのところで働いているただの従業員です」
『従業員?ただの従業員が口を挟むんじゃねェよ』
「女将さんが――ああ、あなたのお母様が困っていらっしゃったので、つい」
『あいつは俺の母親なんかじゃねぇ』
「知ってますよ。だから電話を代わってもらったんです」
『はあ?』

間抜けな声を上げた息子は次々と私に悪態をついてくる。
十分に罵るのを聞いて、それまでずっと黙って私はようやく口を開いた。

「女将さんの話を聞いてたらあんた、とんだわがまま息子ですね。約束ドタキャンしといて悪びれるふうもないし、無遠慮というか反省のかけらもないし」
『てめえ……黙って言わせとけば言いたい放題しやがって』
「その前にあんたはお母様にやりたい放題してるじゃないの」
『だからあいつは母親なんかじゃねぇっつってんだろ!』
「それがどうした!」

怒りを含んだその言葉に怒鳴り返すと、息子はひるんだように口をつぐんだ。女将さんも一体何があったのかとあたふたしながら私を見ている。
私は受話器をぎゅうと握りしめると、大きく息を吸った。

「母親じゃない?馬鹿かあんたは。腹痛めて産んだ女だけが母親だとでも思ってんの?あんた生みの親より育ての親ってことわざ知ってる?たった十月の我慢と何十年の苦労と、あんたはどれだけ知ってんの?」
『俺は育ててくれなんて頼んだ覚えはねぇよ。そうやってなんでもかんでも俺に押しつけんじゃねぇ!』
「それでもあんたは、小さい頃あの人を母親として慕ってたんでしょう」

電話越しに息子の息を飲む声が聞こえた。
しばらく沈黙が続き、それに耐えかねた私は畳みかけるように言葉を紡ぐ。

「裏切られたと思うのは当然です。悲しみだって計り知れないけど、あの人は正真正銘あんたのお母さんなんだよ。本当の子じゃないのに、なのにあんたに愛を与えて精一杯育てた女将さんの苦労をどうするつもりなの?」
『……』
「女将さんがどれだけ心配してると思ってるの。母親と家を捨てた親不孝者を気にかけて、ろくに寝てやしない。愛してくれてる母親を捨てて、あんたは心配じゃないの?罪悪感はないの?」
『うるせえ!お前に何が分かるんだよ!』

息を荒げて怒鳴り散らす息子に、私も負けじと怒鳴り返す。

「あんたの気持ちなんか分かってたまるかこのバカ息子!そうやってつまらない意地張って帰るにも帰れなくなってるやつが偉そうな口を聞くな!私に物申したいなら帰ってこい!一発殴ってやる!」

そう息巻いて思いきり電話を切った。肩て息をしながら、ようやく隣に女将さんがいることを思い出した。女将さんの泣きそうな顔を見て、さぁっと顔面を蒼白にさせる。
有無を言わせず、私は勢いよく頭を下げた。

「すっ、すみません!つい感情的になってあんなこと言ってしまって……!」
「いえ、いいのよ」
「……え」

顔を上げると、柔らかく微笑んだ女将さんがいた。ぽかんとする私の肩に女将さんが手を置く。

「本当はね、ちょっとすっきりしたの。私の言いたいこと全部言ってくれて、感謝してるわ」
「う、あ……そう言って頂けると嬉しい、です」

最後らへんは声が小さくなってしまったが、女将さんは聞こえたらしい。また笑った。私は女将さんから目を逸らすと、軽く唇を噛んだ。
言っておくが、決して女将さんの笑顔に見惚れたとか、そういうんじゃない。


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