クレイジー・ハイジンクス | ナノ



膝を抱えてじっと壁を見つめる。もうどのくらいの時間そうしていたのか分からない。高杉さんは高杉さんで煙管を吹かしながら窓の向こうを眺めていた。

あの話のあと、そっと目尻を拭った女将さんは、にっこりと微笑んでごめんなさいね、と謝った。私はといえばショックで何も言えず、首を振るしかできなかった。

「女将さんが謝ること……」
「でも、あの子に辛い思いをさせたのは事実だもの。本当に、可哀想なことをしてしまったわ」
「……」

その言葉に私は眉を寄せた。何か、違和感のようなものを感じる。違和感というか、なんというか。

「……女将さん、全部自分が悪い、みたいなこと考えてませんか」

ああ、そうだ。全て自分自身が悪いんだと、自分で自分を追い詰めている。だから気分だって落ち込むし、息子を必要以上に気にかけてしまう。私の言葉に、女将さんが驚いたように目を見開かせた。

「どうして……」
「話を聞いてて思ったんですけど、女将さんは息子に対して少し過保護な気がします。気にかけすぎている……というか。女将さんは息子に優しすぎるんです」

だから息子に対して何も言えなかった。自分たちが血を分けた親子ではないことも、何もかも。
この人は優しすぎるのだ。家に帰って来ない息子を心配して心配して、きっと泣いている。それではいけないのだ。この人には母親として、しなければならないことをやっていない。

「……女将さん、息子のことあまり怒らないでしょう。特に家を出て行ってから」
「どうしてそんなことまで」

困惑しながらも頷く女将さんに、内心ため息をつく。それではいけないのだ。息子も、女将さん自身も成長しない。

「失礼を承知で言うと、女将さん、息子を本気で怒った方がいいですよ。そりゃもうこっちがヒステリック起こすくらい。でないと二人とも成長できません。息子は、怒らない女将さんに甘えています。女将さんも息子そのものに甘えてるんです」
「お互いに依存し合ってちゃだめです。息子だってたまには怒って欲しいと思ってると思うんです。だってそれが親子だから。裏切られた傷を背負いながら、本当は息子だって女将さんを気にかけてるはずです。だから突然帰らないなんて言い出して……。多分、怒って欲しかったんじゃないでしょうか」
「いい加減つまらない感傷に浸ってないで、息子を怒鳴ってくるべきですよ」

そこまで言って、私はハッと口をつぐんだ。自分ってばなんてひどいことを。
慌てて頭を下げて謝ると、女将さんが私の肩をそっと叩いた。彼女は優しく微笑んでいる。

「いいの。ゆきちゃんが謝る必要はないわ」
「でも、部外者なのに不躾なことを……」
「本当のことだもの、怒られて当たり前よ」
「けど私」
「ゆきちゃん」

顔を上げると、女将さんはふんわりと笑ってみせた。今までの中で一番きれいな笑顔だった。

「ありがとう」

すっきりした表情だった。そのあと、女将さんは「ゆきちゃんに相談して良かったわ」と笑った。ふんぎりがついたみたいだ。私も胸を撫で下ろす。
すると女将さんが懐から何かを取り出して私に見せた。よく見ればそれは写真で、端っこが擦り切れたりしている。何度も出しては見ていたのだろう。
どれどれと写真を覗き込む。そこには、可愛らしい男の子がこちらに向かって笑っていた。まだ小学校低学年くらいだろう。無邪気な笑みがあった。幸せに溢れた一枚の写真。すぐに例の息子だと分かった。
自然と笑みが零れるなか、今までずっと黙っていた高杉さんが息を飲むのが聞こえた。

それ以来、一言も喋らずにあらぬ方向を見つめている。

――何かあったのだろうか。聞きたいけど、彼の纏う空気がそうさせない。何故か躊躇ってしまう。口を開きかけては閉じ、を繰り返していると、不意に襖が開き、知らない男の人が入ってきた。もちろん私の姿は見えていない。
男の人は会議が始まる、とだけ伝えると、さっさと部屋を出て行ってしまう。高杉さんは生返事をするだけだ。会議が始まるというのに、その場から動こうともしない。

――本当にどうしてしまったのだろうか。


(110313)
残渣(ざんさ)…ろ過したあとに残った不純物

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