クレイジー・ハイジンクス | ナノ



ほう、と、女将さんが物憂げにため息をついた。そんな女将さんを見たことがなかったから、思わず動かしていた手を止める。
今はお客様の使い終わった食器を洗っている最中で、そこにふらりとやってきた女将さんは近くのパイプ椅子に腰掛けた。

「女将さん……どうしたんですか?ため息ついて……」
「あら、ゆきちゃん……」

なんでもないの、と力なく微笑むその姿にいつもの覇気はない。それを見て余計に心配するのは当たり前というものだろう。手を泡だらけにしたままおろおろしていると、一緒に皿洗いをしていた梅木さんがそっと耳打ちした。

「息子さんのことよ」
「……息子?女将さんの?」

思わず眉を顰めると、梅木さんはこくこくと頷いた。そして梅木さんもまた重いため息をつく。私はといえば、話が読めなくて首を傾げるばかりだった。
女将さんの息子についてはあまり詳しく知らない。少し前に家を出てそれから音信不通だということくらいだ。私はじゃぶ、と食器の溜まった桶に手を突っ込んだ。

「なんか、近く息子さんが帰ってくる予定だったらしいんだけど、どうしてだか急に帰らないって言い出したんですって」
「なんとまあ我が儘な……」
「息子さんにもいろいろあるのよ」

そう苦笑する梅木さんに、私は首を傾げるしかなかった。
だいたい、息子も我が儘なのだ。あんなに尽くしてくれる母親がいるのにも関わらず家出し、挙げ句の果てにはドタキャンときた。私だったら平手の一つや二つは飛ばしただろう。私だったら女将さんと自分の母親を交代したいくらいだというのに。

――と、いうことを高杉さんに話せば、高杉さんは優雅に煙管を吹かしながら返した。

「……そらァ、お前からすればそう思うだろ」
「私から、すれば」

言っている意味が分からなくて反復すると、高杉さんが頷く。窓の外を見ているためこちらから表情は分かりにくいが、まあさして怒ってはないだろう。

「お前はその息子のことを我が儘だと思ったんだろ?そりゃあ主観的に見ればそう感じるわな。……けど、違う立場から物事を考えてみろ。本当はただの我が儘じゃねェかもしれねえ」
「はあ」
「帰れなくなった理由が必ずあるはずだろう。家を出たのも、それなりに理由あってのことかもしれねぇ」
「はあ……」
「そう簡単に、主観で物事を考えちゃいけねぇよ」
「……心得ておきます」

そう言うと高杉さんは喉の奥でくつくつと笑った。
一応ああは言ったけれど、やっぱりしっくりこない。どんな理由があったにせよ、いきなり家出してやっと帰って来るかと思えばドタキャンって、それは流石にないだろう。女将さんもさぞ楽しみにしてただろうに。

そんなことを考えていると、紫煙を吐き出した高杉さんが不意に立ち上がった。
どうしたのかと首を傾げていると、高杉さんは私を見下ろして眉を潜めた。

「……何やってんだテメェ」
「え?」
「早く立て」
「え、だって、え?どうしたんですか急に」
「今日はここでのんびりしようかと思ったが――気が変わった。お前んとこの旅館を案内しろ」
「えぇ!?」

あまりの驚きにそう叫ぶ。すると高杉さんは「早くしろっつってんだろうが」と私を足蹴にした。なんてやつだ。蹴られた腰をさすりながら仕方なく襖を開けると、見慣れた旅館の廊下に足を踏み出す。
女将さんの息子も我が儘だけど、高杉さんも高杉さんで大概我が儘だ。


(110201)

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