いつかの君に優しい世界で | ナノ
沈黙に喘ぐ心音


「いやー、奇遇だな。まさかゆきがこんなとこにいるなんてよ」
「……どうも」

坂田さんはいつもの気の抜けたような顔でへらりと笑い、自然な流れで私の向かいに座った。
食べかけの間抜けな顔を見られたことと額のことが気にかかり、そっと前髪を撫でつける。坂田さんはそんな私を気にする素振りを見せずにトレーのサンドイッチを覗き込んでいた。

「晩メシ?学生のくせに外食とはリッチだなァおい」
「いや、これ賄いで……あの、私ここでバイトしてて」
「えっ、これ賄いなの?賄いのレベル超えてね?おばちゃん俺もこれ食いたいんだけど!」
「それはバイトさん専用特別メニューなの。残念だけど諦めて」

微笑みながら答える奥さんに、坂田さんが机に突っ伏した。その様子を眺めつつたまごサンドを頬張る。本当は正規のサンドイッチメニューもあるのだが、それはお昼限定ランチなのでどう足掻いても坂田さんが食べられることはできなさそうだった。

「あまりテーブル揺らさないでくださいね」
「ゆきはもうちょっと慈悲の心があってもいいと思う」
「……」
「……」
「…………一切れいりますか」

たっぷり時間をかけ悩みに悩み抜いた結果、サンドイッチの一切れを差し出すと、坂田さんが可笑しそうに小さく吹きだした。

「いや、いらねぇわ。そんな顔されて喜んで貰うほど銀さんがめつくないからね」
「はあ」

適当に相槌を打って、メインともいえるカツサンドにかぶりつく。そんな私を坂田さんがじっと見つめる。
食事中に目の前で凝視されて気分の良い人はいない。坂田さんの視線が気になってつい手が止まってしまう。それを見て不思議そうに首を傾げる彼は、どうして私が居心地悪そうにしているのか、分からないようだった。

「どうしたよ。あっ、もう腹いっぱい?俺が残り食ってやろうか」
「やっぱりがめついじゃないですか。あげませんよ。……食べてるとこ見られるの苦手なんです」
「あ〜悪い悪い」

まったく反省の見えない謝罪にちょっとだけため息をついて、食べかけのサンドイッチを口に運ぶ。
そんな私に向かって、坂田さんはいつものやる気のなさそうな面持ちのまま、ぴっと指を差した。

「ところでそのデコ、痛くねーの?」
「……」

口を開けっ放しのまま、再び固まる。ちらりと視線をやると、いつも通りの坂田さんと目が合う。
──見つかってしまった。気をつけてたのに。思わず下唇を噛む。

「……大丈夫です」
「あ、そう」

その一言に満足したわけではないはずなのに、坂田さんはそれ以上追及してこなかった。そのことに半ば安堵し、半ば不安にもなった。

このひとも何かあると高杉先生のように目敏く見抜きはするが、深追いをしない。ただ、先生と違うのがその雰囲気だった。
先生ならその職業上、きっと気づいたこと全てを覚えている。そしてそれを表面上は面に出さないけれど、ずっと気にかけているのだろう。今後なにかあったとき、すぐ対処できるように。
対して坂田さんは、何かに気づいても、おそらく自分には興味のないことだと振る舞っているように見えた。うっかり地雷を踏み抜いても、さしてどうでもいいことのような、なんでもないという態度をとるのだ。

だから、どちらかといえば坂田さんの方が気が楽だった。先生のあの目に射抜かれて罪悪感を覚えることもなければ、冷や汗をかくこともない。水面下でどう思ってるかは分からないが、それでもこうやってあっさり受け流してくれた方が有り難かった。

坂田さんは今までのやりとりをなかったかのように振る舞い、私はそれを受け入れた。
彼は自分が注文していたパフェを幸せそうに頬張り、旦那さんが私にデザートとして出してくれたアップルパイの切れ端を自分にもくれとせがんで断られ、金欠で顔を青くさせながら帰って行った。
私とのやりとりを見ていた奥さんは、坂田さんを見送りながら「面白いお兄さんね」と微笑んでいる。

「まあ……面白いといえば面白い人ですね」
「ゆきちゃんも、あれくらい自分を表現できたらもっと可愛くなると思うの」
「……」

思わぬ発言に思考が止まる。訝しげに奥さんを見やると、奥さんは笑みをさらに濃くしながら頷いた。

「本当よ。私、嘘なんかつかないわ」
「……買いかぶりすぎです」
「我慢しないで、もっと素直にしてごらん。絶対に可愛いから」
「……」

言われたことのない言葉に、どう反応して良いか分からなくて思わず口が曲がる。視線を逸らした先に厨房から出てきた旦那さんがいて、旦那さんまでもが笑顔で頷いているものだから、私はとうとう感情のやり場をなくして俯くばかりだった。

***

二人のあの視線に耐えきれず、逃げるようにして店を出ると、外は既に真っ暗だった。
もう男は家にいるかもしれない。母は帰ってるだろうか。もし帰っているのなら面倒だ。家に着く前から気が重く、足取りも自然ゆっくりになる。先ほどの奥さんたちとのやりとりのときとは打って変わって正反対な環境に、胸が苦しくなった。

夕飯時の賑やかな声が漏れる住宅街を進んでいく。家が見えてきた。明かりが点いていて、とうとう血の気が引いた。どちらかが居る。二人とも居るのかもしれないが、どっちにしたって地獄だ。
ドアを開けようとノブにかけたところで、突然ドアが開いた。驚いて後退ると、隙間から男が顔を出した。目が会った途端あの嫌な笑みを浮かべて、背筋が粟立つ。その背後から母の声がした。

「ねえ、どうしたの?」
「ちょうどゆきちゃんが帰ってきたからびっくりしたんだよ。おかえり」
「……どうも」

小さく返す。男の後ろから母が私を睨みつけ、冷たく言い放つ。

「……帰る時間にしては遅いんじゃないの?」
「バイトのあとに、賄い食べてきたから……」
「ふうん」

母が目を細めたのを見逃さなかった。ふん、と鼻で笑って、片方の口端を吊り上げる。

「どうだかね。──まあ、それならもうご飯はいらないのね。あたしたち今からご飯食べに行くから」
「え……連れて行かないの?せっかくだし一緒に……」
「いいのよ。ゆきはお腹いっぱいでしょ?留守番してもらって、たまには水入らずしましょうよ」

母が甘えた声で男の腕に絡みつくのを、不快感を面に出さないよう努める。男はしばらく悩んでいたようだが、結局二人で出かけることに決めたようだった。
母の勝ち誇ったような表情が目の端に映り、それがいっそう不愉快にさせた。何故この人は張り合うんだ。そんな男欲しくもない。
男も男で、申し訳なさそうに私を見るけれど、それが母がいる手前の演技だというのくらい分かっている。それがよけい気持ち悪い。

二人を適当にあしらって見送ると、早足で部屋へと向かった。胃からせり上がってくるものがあったが、我慢した。
これを吐き出すということは、穏やかで暖かいあの時間を吐き出すこととおんなじだ。あれをなかったことになんてさせたくない。ずっと自分のなかに留めておきたい。

自室のドアに背を預け座り込む。口元をおさえてうずくまったまま、やっぱり私には無理だと、奥さんのあの言葉を思い出しながらそう思った。



15.11.08

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