いつかの君に優しい世界で | ナノ
柔らかい忘却


放課後、帰ろうとしたところを廊下で鉢合わせした先生に見つかり、強制的に保健室へと引きずり込まれた。

「帰りたいんですけど」
「いいから手伝え、雑務をしろ」
「……このあとバイトが」
「シフト今日じゃねえだろ」
「……」

何故知っているんだ。思わず眉を顰めると、してやったり顔の先生と目が合った。まさか、鎌をかけたのか。まんまと引っかかってしまった。

「バイト、また始めたのか」
「……ええ、まあ」

目を逸らして頷く。
母から再婚の話を聞いた翌日、バイトをまたしても良いかと打診してみたところ、はじめは渋ったもののあっさりと許可してくれた。
母には携帯代や高校の奨学金返済に向けて、あとは進学資金を貯めたいから、と説明した。実際は早くこの家から出ていきたいがための逃げる資金が欲しかっただけだ。母に無理やりバイトを辞めさせられてからの携帯代、企業見学や試験費用等は、全て貯金を削って出していたのだが、そろそろ底を尽きそうだった。
あれこれとそれらしい理由を考え、ダメ元で尋ねたバイト再開の相談は案外あっさりと許可が下りたのだった。

「自分が再婚するから浮かれてるんじゃないですか」
「……再婚」

静かに繰り返されたその言葉に、思わず作業していた手を止めた。しまった。余計な一言を。
いまさら後悔したところであとの祭りだ。先生がじっと私を見つめる気配がする。私は目を合わせない。

「再婚、するのか」
「……はい。するみたいですよ」
「そのことに関して、お前はどう思ってる」
「別に、何も」
「本当にどうとも思わねえのか」

その一言に、ため息が漏れた。
どう思うも何も、嫌に決まってる。でも私が反対したところで母が再婚をやめることはないだろうし、むしろ何故反対するのかと穿鑿してくるだろう。そうなれば面倒だ。今後のことを考えても、母の再婚に同意しておくのが一番手っ取り早い。
そのことを掻い摘まんで先生に説明すると、彼の顔はあからさまに不満を湛えていた。

「お前はそれでいいのか」
「いいも何も、そうしないと私に自由は来ないんですってば」
「違ェよ。その再婚相手ってのは、おおかたお前の寝込みを襲った野郎だろう。それでも構わねえのか」
「だから、それは──」
「結婚するってことは」

私の言葉を遮って先生が口を開く。その気迫に思わず口を噤むと、さらに続けた。

「お前の母親と野郎が籍を入れるってことは、野郎の戸籍にお前の母親が移るってことだ。子連れの再婚となれば、基本的には相手方の戸籍の方に当然子供も移る。養子縁組をしてな」
「え──」
「母親と再婚相手が入籍しても、子供の戸籍は動かねえんだよ。だから普通は養子縁組届ってのを役所に提出して、相手の戸籍に子供を、つまりお前を移すってわけだ。──分かるな?」
「ええ、……はい。でもそれって」
「簡単に言やァ野郎との繋がりが深くなる。相続権も持てるぜ、良かったじゃねェか」
「……良くないです」

先生のわざとらしい笑みと、その内容に身体が震えた。あいつと、養子縁組だなんて。同じ戸籍に入れられるなんて。
再婚の際の戸籍のことなんてちっとも考えてなかったせいで、私の頭は盛大に混乱していた。そんな私を見透かしたかのように、先生は続ける。

「そう怒るなよ、冗談だ」
「冗談にも程があります──!」
「落ち着け。ちゃんと断ればそのままの戸籍でいられる」
「……え」

あっさり言われたその言葉で、頂点まで昇っていた怒りがすっと落ちていった。ぽかんとしたまま瞬きを繰り返す。
……そうだ、養子縁組の届けを出さないと向こうの戸籍に移せないというのなら、その逆だって可能なはず。あいつの戸籍に移りたくないのなら、届けを出さなければ良いだけの話だ。

こんな簡単なことに頭が回らないなんて、どれだけ切羽詰まっていたんだろうか。
でも、これで一番の問題は解決したような気がする。私にさえ関わってくれなければ、母もあの男も好きにすればいい。

「ちょっと調べりゃすぐ分かることだろうが」
「それはそうなんですけど、その、再婚とかあまりにも唐突な出来事だったので……つい頭から抜けてしまって」
「少しは冷静になれ」

呆れたような口調でコーヒーを飲む先生を傍らに、とうとう気落ちする。
最近、こんなことばかりだ。近頃はいつもの冷静さがどこかに行ってしまって、つい感情的になる。前の私だったら再婚の話を聞いたときにすぐさまあれこれ調べていただろう。
何故こんなことになってしまったのかはさっぱり分からないが、おそらく先生が関係しているのは間違いない。彼のせいで、私はおかしくなっているのだ。

「大変重要な情報をありがとうございます。戸籍の話、今日あたり母に頼んでみます」
「ああ。うまい言い訳考えとけよ」
「はい。そこらへんはお手の物ですので大丈夫です」

言いつけられていた雑用がちょうど終わったので、最後にファイルを集めて先生に手渡す。パソコンに向き合ったまま「ご苦労さん」とファイルを受け取る先生に、私も軽く会釈をして保健室から出る。戸を閉めた途端、何故かほっとした。
理由はきっと体育祭でのことがあったからだ。何か苦言でもあるかとも思ったのだが、本人は至って普通だった。後ろめたさで先生と目を合わせることは少なかったが、あまり気にする必要はなかったのかもしれない。

ふう、と息を吐いて廊下を進む。
悩みの解決口が見つかったことで、一気に肩が軽くなった気がする。岐路につきながら、母にどうやってもっともらしい理由を話そうか、そればかり考えていた。



15.07.11
※穿鑿(せんさく)

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