いつかの君に優しい世界で | ナノ
ミザントロープの落とし穴


内定が決まった。いくつか受けていた企業のうち三社から内定通知が届いた。
まさかこのご時世にこんなに内定をいただけるなんてなあ、と担任が感慨深そうにこぼす。昼休みのまったりした職員室で、担任の呟きに私も同じく同意した。

「私も驚いてます。企業の反応からしてひとつくらいは内定もらえると思ってましたけど、まさかこんなにとは」
「早いうちから手を打ってたのがきいたかな。水野頑張ってたもんなあ」

俺も鼻が高いなあと笑いながら、担任が私を見やった。

「それで、どこを選ぶ?」
「……ええと、まだそれは……」
「まあそうだな、そんなに急いで決める必要もないか。まだ時間はあることだし、ゆっくり考えるといい」

言葉を詰まらせる私にそう言って、彼は内定通知書を手渡した。それを受け取って職員室を出る。退出する間際、すれ違いざまに他の先生からもおめでとうと言われた。なんだかむず痒くなって、俯きながら歩いた。

内定か、とひとりごちて通知書の入った封筒を眺める。
正直、家から遠くて寮があればどこだって良かった。基準はいつだってその2つだったのだ。
幸い内定をもらえた会社はどれもその希望通りのものだったので、あとは給料、仕事内容や社会保険等のことも鑑みてじっくり考えることにしよう。卒業後の逃げ道は確保できたのだ。焦ることはない。
そう自分に言い聞かせ、封筒は鞄に大切にしまった。

***

家に帰ると、珍しく母が先に戻ってきていた。キッチンに立ち、夕食を作っている。滅多にないその出来事に激しく動揺した。
就職内定という嬉しい報告があった直後のことだったので、まさか感づかれたか、母に何かバレてしまったのでは、と勘ぐってしまう。鞄の中にある封筒のことがひどく気にかかった。

「あらゆき、おかえり〜。ちょっと遅かったんじゃないのぉ?」

私に気づいた母が鼻歌混じりに声をかけた。語尾が伸びている。機嫌はいいみたいだ。ということは、まだ私の隠し事がバレたわけではないらしい。
内心ほっと安堵しつつも全神経はまだ鞄の中に集中している。なんとか笑顔を作りながら、頷いてみせた。

「うん、ちょっとね。学校で大学のこと調べてたの」
「へえ〜?近場のとこに進むんじゃなかった?」
「そうだけど、ちょっと興味のある内容だったから専門学校も面白そうだなって。家からも近いし。もう大学に願書出しちゃったから、意味ないけど」

ふうん、と頷いた母は、特に変わった様子はない。うまく嘘に引っかかってくれたようだ。安心した。
けれど、即興で吐いた嘘なんていつボロが出るか分からない。早くこの話題から切り抜けたくて、「それよりもさ!」と少し大袈裟に声をあげた。

「今日はずいぶんと早く帰ってこれたね。機嫌もいいみたいだし……何かあったの?」

そう言うが早いか、母はにんまりと笑みを浮かべて私を見つめた。──なんだか嫌な予感がして、背筋が粟立つ。
あのねえ、と母が嬉しそうに口を開いた。

「母さんねえ、再婚するの」
「──え……?」
「前から付き合ってたひといたでしょ?あの人!ゆきも何度も会ってるから知ってるでしょお?」
「うん……」

急に鼓膜が膨張して、音がうまく拾えなくなったみたいだ。楽しそうに話すその声もただの雑音にしか聞こえず、ぐわんぐわんと頭に響くだけだった。
さいこん、再婚。──再婚って、あの男と?あの、私を襲ったやつと?私を値踏みするような目で見ていたあいつと?頭がぐらぐらして、血の気が引いていくのが自分でもはっきり分かった。

「でね、ゆきも見知った人だし、そろそろ新しい家庭を持とうかって話になったのよお」
「そう──それは……良かったね」

茫然としてうまく答えられない。私のあまりにも感情の籠もってない返答が気に入らなかったのか、母が眉を顰める。何かを探るような目つきで私を覗き込んだ。

「……なあに、ゆき。何か気にくわないことでもあった?母さんが再婚するの反対なの?」
「っ、違うよ!ただ……ただあんまり突然だったからびっくりしただけ!」
「ふうん」
「だって母さん何も言ってくれないんだもん、急に再婚するって言われたらそりゃあ感情が追いつかないよ!私だって嬉しいよ、……もちろん。あの人ならきっと大丈夫だよ」

慌ててそれらしいことを言って取り繕った。しばらく猜疑的な目で私を見ていた母は、私の必死な訴えに納得したのか再び鼻歌を歌って夕飯作りにとりかかった。

母が背中を向けたのをいいことに安堵の息を漏らす。踵を返して部屋へ向かうと、そのままベッドに倒れ込んだ。小さな呻き声がもれる。
まさか、こんなことになるなんて。あともう少しで全てうまくいくと思ってたのに、あいつが母と再婚だなんて。
再婚するということは、母と籍を入れて一緒になるということであって、つまり私も同じ屋根の下で暮らすということだ。もしかしたらまた前回のようなことが起こるんじゃないかと思うと、猛烈に吐き気がした。

冗談でしょ。嘘だと言ってほしい。あと少しだったのに。あの男に全部ぶち壊される。それだけは阻止しないと。でもどうやって。
肺に溜まった二酸化炭素を吐き出すと、私は嫌なことから逃避するように目蓋を下ろした。こうしている間だけは現実を見なくて済む。そうして、夢の中へと潜り込んだ。



15.06.12

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