いつかの君に優しい世界で | ナノ
咀嚼いらずの断末魔


新学期が始まってしばらくすると、体育祭というイベントに向けて校内全体がせわしなくなる。体育委員をはじめとする役員や応援団の団員はもちろん、リレー等の選手の選出で盛り上がる。特に私たち3年生は、最後の体育祭ということで気合いが入っているように見えた。
しかし、私個人からすれば3年生だからといって何か思い入れがあるわけでもなく、いつものようにわいわいと騒ぎながら選手決めをするクラスをただ静観するのみだった。
保健委員なので何かの役員に入ることもなく、特別足が速いというわけでもないのでリレー選手に選ばれることはない。出るとすればあまり重要でないような短距離走くらいだ。本当に、思い入れも何も見つからない。

結局、花形競技である総合リレーの選手と応援団員が決まらず、その日の話し合いは終わった。担任が時間をみてクラスでまた話し合うよう言って、教室から出ていく。休み時間中も選手決めの話題で持ちきりだった。

次の授業が移動教室だったため、いつものように早めにクラスを出て目的の教室に向かう。その途中あった二階の渡り廊下で、高杉先生を見かけた。
私のいる渡り廊下は、普段から使っている校舎と特別授業で使う校舎を繋ぐもので、通常校舎側を見下ろすと、ちょうど保健室へと続く廊下が見える。そこに先生はいた。
周りには女子生徒が何人かいて、先生を囲んでなにやら楽しそうに話しかけている。当の先生はいつもの無愛想な態度を決め込んでいた。

「……」

夏休みが終わり、私と先生はただの生徒と養護教諭になった。滅多なことでは関わることもなく、どちらかが話しかけることすらない。夏休みに起きたことそのものがイレギュラーだったのだ。今の状態が普段あるべき状態であって、夏休み以降もあんなふうに続ける意味はない。

とはいえ、夏休みが終わってから、私とあの人は確実に何かが変わったと思う。
私は以前のように先生に対してあからさまな嫌悪を示すことはしなくなった。いろいろしてくれたのだから当たり前だ。何か声をかけられればそれに答え、雑用を頼まれれば素直に従う。ただそれだけ。
先生はといえば、クラスの生徒曰わく、前よりも態度が柔らかくなったという。意味もなく保健室に集まる生徒を嫌いはするが、実力行使をしてまで追い払うことはなくなったらしい。彼に集まる女子生徒がいい例だ。前の先生なら近づくことすら嫌っていただろう。
周りで騒いでいるであろう生徒を追い払うこともなく、ただ放っておくなんて先生も成長したものだ。ぼんやりとそう思いながら特別棟に向かった。

***

放課後、まだ家に帰るのが躊躇われたため、教室に残り授業で出た課題をやっていた。ほとんどの生徒は部活に行っていて、教室に残っている生徒は少ない。
夏の気配の消えない室内で黙々と課題を進めていると、ふと、机全体を影が覆った。動かしていた手を止めて顔を上げる。仏頂面をしたクラスの女子生徒が3人、私を見下ろしていた。そのなかには前保健委員だった子もいて、なんだか嫌な予感がした。

「……なに」
「特に用があるわけじゃないんだけど。水野さんさあ、夏休み、ずっと保健室にいたってほんと?」
「……」

つい顔をしかめてしまいそうになった。いったい誰がそんなこと言いふらしたんだろうか。とりあえず、確かにその通りだったので頷くと、途端、三者からの嫌味が飛び交う。その様子を無表情で眺めていた。

「ちょっとチョーシ乗ってない?あんだけ嫌がってたくせに、結局先生に媚び売ってんじゃん。気持ちわる」
「ほんとは水野さんも先生狙ってたんじゃないの?だから夏休みの間ずっと保健室に通いつめてたんでしょ?」
「……別に。ただの雑用係として呼ばれただけだけど」
「だからそれがむかつくって言ってんの!フツー毎日行くかなあ。おかしくない?もしかして、保健委員嫌がってたのも演技?」
「まさか」
「じゃ、なんでずっと先生んとこいたわけ?保健委員、嫌だったんでしょ。まさか先生のこと好きとか?」
「……あ、そうじゃなくてぇ」

ひとりの女子が、にんまりと意地の悪い笑みを浮かべた。その顔が母を彷彿とさせて、お腹のあたりが気持ち悪くなる。

「もしかしてさあ、家に居られないとか?けっこう噂だったもんねー水野さんの家って……」

その一言で、全身からサッと血の気が引いた。ひゅう、と喉が鳴って、鼓動が速くなる。私の様子が変わったのを知ってか知らずか、彼女たちはどんどん続けていく。

「逃げた結果が前のときのアレだったのに、結局また逃げるんだあ……しかも保健室……」
「悔しくないわけ?あんだけ嫌がってた場所に逃げてさ、恥ずかしいと思わないの?なんとか言いなよ、猫かぶり」
「つーかまだお母さん怖いの?だったらウケるー。あんた今幾つだっての!ねえ、お母さんが怖いから保健室に毎日いたの?そうなの?」

冷や汗が滲む。じっとノートの課題を見てやり過ごそうとしたけれど、無理だった。手が震えて、指先は冷えてもう感覚がない。頭上から聞こえる女子たちの声が母と重なっていく。気持ち悪い。頭がぐらぐらして、今にも吐きそうだった。
これは彼女たちの鬱憤晴らしなのだと分かっていても、それでも冷静になれはしなかった。聞き入れまいとする努力は全て無駄だった。もう何も聞きたくない。

きゃらきゃら笑う女子たちにとうとう限界がやってきた。頭の中で何かが切れて、私は弾かれたように席を立つと、荷物をまとめて教室から走って出て行った。後ろからはまだ声が聞こえる。ずっとついてくる。
それを振り払いたくて頭を振った。途中、誰かにぶつかったが、謝ることもせずただひたすら下駄箱まで走った。少しでも立ち止まってしまったら、あの声が私を追いかけて離さなくなるんじゃないかと思うと、怖くてできなかったのだ。

──あんだけ嫌がってた場所に逃げてさ、恥ずかしいと思わないの?
その言葉が私の胸を刺す。心臓から血が溢れているのでは、と思うくらい痛くて苦しい。
やっと普通に戻れると思ったのに。逃げてもいいのだと思えてきたのに。部外者のたった一言で、また全てが壊れてしまったような気がした。
ああもう、気持ち悪い。



15.03.31

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