いつかの君に優しい世界で | ナノ
退廃に響く


「水野」
「はい」
「これまとめとけ」
「……分かりました」

数冊のファイルを手渡され、先生はそのまま保健室を出た。たぶん喫煙所にでも行くんだろう。しょっちゅうふらりと出て行っては、戻ってくるときには煙草の匂いをつけて戻ってくる。今回もきっとそうだ。
黙々と作業をこなしていると、不意にドアの開く音がした。こんな早くに先生が戻ってくるはずがないのでおそらく怪我人だろう。顔を上げるとやはり先生ではなかった。クラスメートの女子だ。これはこれで厄介である。

「……なんでアンタがここにいんのよ」

彼女は私を見て開口一番にそう言った。不満げな顔は隠す気もないようだ。唇はへの字に曲がり、細い眉をぎゅっと詰めて私を睨んでいる。

「保健委員だから」

それだけ返すと、彼女が苛立たしそうに頭を振る。

「そうじゃなくて、夏休みなのになんでわざわざ保健室になんか来てんだよって言ってんの」
「先生が雑用係が欲しかったみたいで」
「だったら別にアンタじゃなくてもよくない?一番先生を嫌がってたのはアンタじゃん。今さら来られても迷惑なんですけど」
「……それで」
「は?」
「用件は?見たところ怪我というわけでもなさそうだし……先生は今いないので用件があるなら承りますけど」
「はァ?」

馬鹿にしてんの?と睨まれた。馬鹿にはしてないが鬱陶しくはある。そう言いたいのを我慢して首を振ると、舌打ちが聞こえた。
これ以上相手にして、さらに刺激するといろいろと面倒だ。適当に理由をつけて帰ってもらおう。そう思案していると、そんな私の態度が気に入らなかったのか、彼女が無遠慮に室内に入ってきた。きつい眼差しで私を一瞥すると、いきなり視界の端から平手が飛んでくる。乾いた小気味良い音が室内に響いて、私は椅子から転げ落ちた。

「殴られるのは、慣れてるんでしょ?」

彼女がせせら笑う。

「男に媚び売って、同情誘ってんなよ」
「それはお前もだろ」

この場からは聞こえないはずの低い声がした。彼女が飛び上がって振り向いて、ひっ、と引きつった声をあげる。彼女の視線を追った先には高杉先生がいた。何故。いつもならまだ喫煙所にいる時間なのに。

「せ、んせい……」
「媚び売る暇があるなら勉強しろ。大学落ちるぞ」
「ちがっ、あたし媚びなんて売ってない!」
「なら無駄にくっついて仕事の邪魔すんのやめろ。それから、下着で寄せて上げてんの丸分かりだから」
「……っ、」

彼女が耳まで真っ赤にさせながら悔しそうに唇を噛む。バレるの、そんなに嫌だったのか。彼女の胸を眺めながらぼんやり思った。

「適度な距離とまともな話をしてくるなら俺も追い出しゃしねえんだけどな」
「なによ!いっつもこいつばっかり贔屓して!」
「そいつほど無駄口叩かないまともな雑用係、他にいねェだろ。自分を偽ったりもしねェし」

そう言った先生の視線が今度は私の胸に行く。セクハラだ。これは紛うことなきセクハラだ。
彼女はなにやら言葉にならない何かを喚いたあと、私をひと睨みして部屋から出て行った。喚く姿が母に似ていて、少しだけ嫌な汗がにじむ。

彼女という名の嵐が過ぎ去り、室内に沈黙が流れる。それをごまかすように床に散らばっていたファイルやペンを拾い集めた。

「……怪我は」

そう訊かれ床から顔を上げる。先生は何事もなかったかのようにけろりとしていた。デスクのコーヒーを飲みながら私を見ていて、なんとなく気まずくて再び俯く。

「特に、何も。平気です」

それだけやっと答えてまたペンを拾う。先生は小さくため息をついていた。

「……いつから居たんですか?」
「お前の、用件のくだりから」
「……ずいぶん早いお帰りですね」
「あいつが保健室に行くところが見えて、嫌な予感がして来てみりゃこのザマだ」
「……」

無言で机にファイルとペンを置く。そこでタイミングよく先生が私を呼ぶので見てみれば、その手にはしっかりと手当ての道具が揃っていた。
まあ、あの一言で先生が納得するはずもない。断ったところで引き下がるような人ではないし、ここは大人しく従うべきだろう。

何も言わず無言の圧力をかける先生にとうとう根負けして、私はため息をついて歩き出した。



14.03.09

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