いつかの君に優しい世界で | ナノ
僕にとっての暇潰し


保健室は思ったより快適だった。静かで勉強もはかどるし、何より誰も干渉してこない。もちろん先生もそうだ。
私たちは互いに別々のことをして、用があれば先生がそれを簡潔に伝えて私に仕事を与える。交わす言葉はほとんどなかったが、通うにつれて短い世間話をするようになり、先生は私を『水野』と呼ぶようになった。

最近は企業見学等で図書館にも保健室にも行っていなかったが、そのおかげでいくつかの企業の人から「その気であれば枠を用意しておく」という返事をもらった。
家には夕方に帰るようにしてうまくやり過ごせたし、そのおかげであれ以来目立ったことは何もない。
全てがうまく行っているように思えた。

***

見学等も終わり久しぶりに保健室に向かう。扉を開けると先生がいなかった。鍵は開いていて電気もついているから、おそらくどこかふらついているのだろう。
先生がいなくてもさほど問題があるわけでもないので、定位置の場所に座って勉強を始める。そこまで勉強にこだわる必要もなかったが、特にやることもないので必然的に勉強か読書をするようになっただけだ。
以前先生にそれについて訊かれ同じようなことを答えたことがある。淡々と言う私に、あの人は無表情で「へえ」と返した。質問をしておいてその反応に釈然としなかったことを覚えている。

ガラガラ、とドアが開く音ではっと我に返り顔を上げる。ノートは少し埋まっただけでほとんど白紙だった。長いことぼんやりしていたみたいだ。
ドアの方に視線をやると、高杉先生がいた。訝しげに私を見ている。

「……なんで居んだよ」
「なんで、とは」
「俺の記憶が正しけりゃ今日は休館日じゃねえだろう」

先生の言う通り、今日は休館日ではない。本当ならここに私がいることはないはずなのだ。

「……なんとなくです」

先生からノートに視線を戻してそう答えると、先生が「なんとなく、ねえ」とこぼす。それ以降黙ってしまうものだから、痛い沈黙に耐えられなかった私はとうとうため息を吐いた。

「……ここのところ企業の見学や説明会が立て込んでて、お財布に余裕がないんです。毎日電車を乗り継いで隣町まで行くのは大変だから──」
「しばらくの間はここに通いたいってか」
「……ええ、はい。簡単に言うとそんなところです」
「バイトはしてねェのか?一番手っ取り早く金が貰えるだろ」
「夏休み前まではちょくちょくやってましたけど、母に辞めさせられました。いい機会だからシフトを増やしてもらおうと思ってたのがバレたみたいで」

先生が鼻で笑って一蹴する。
休館日だけ、という約束を無視して来てしまった手前、あまり強く言い返せない。つい縮こまってしまう。なんだか最近の私は臆病になったような気がする。

「すみません。明日からは自分でなんとかするので、今日だけは見逃してください」
「構わねえよ」
「え」

あっさりと許可を貰えた。びっくりして顔を上げる。先生はいつの間にかデスクに移動していたらしく、何やらファイルを読みながら続けた。

「他のやつらと違ってやかましくするわけじゃねえし、やることはやるし、ちょうど人手が欲しかったしな」
「……」
「金がないから安く済ませたいお前と、こき使えるやつが欲しかった俺との利害が一致したわけだ。……まさか断る気はあるめぇよな?」
「断りはしませんけど、なんだか最近うまい具合に引き込まれている気がしてならないです」
「気のせいだ」

しれっと言い放ってファイルをデスクに放った。
うまく丸め込まれているだけじゃなく、何か別の理由があって許可をくれたんじゃないだろうかと邪推してしまう。私の猜疑に満ちた視線に気づいた先生が、肘掛けに頬杖をついて意味ありげに口角を上げた。

「これは純粋な厚意だ。疑うなんてひでえなァ」
「疑ってるわけじゃ──」
「とりあえず、明日も来いよ。仕事は腐るほどある」

やっぱり先生の都合のいい方に事が運んでいく。もう何も言い返す言葉もなくなって、私は釈然としないながらも仕方なく頷いた。



14.02.25

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