贋作の私でもよければ
窓という窓を締め切っていた保健室は蒸し暑かった。先生は全ての窓を開け換気をし、上着を脱いで小さく息を吐いた。どことなく疲れているように見える。
なんとなく感じる居心地の悪さから入り口付近でじっと動かないでいると、それに気づいた先生が眉を顰めて私に中へ入るよう促した。
「さっさと入れ、不審者かお前は」
「不審者って……。そっちが無理やり連れてきたのに」
「じゃあ何事もなかったように、素通りして欲しかったか」
「い……一応、感謝はしてます」
先生は小さく鼻で笑うと、ロッカーに上着をしまってデスクの椅子に腰掛けた。私も促された手間、大人しく部屋に設けられていた椅子に座る。中身の詰まった鞄を長机に置くと、少し鈍い音がした。
「不服って顔だな」
先生がエアコンを作動させながら言った。
「そりゃあ、あの連行の仕方には異議申し立てしたいですよ。下手すれば拉致ですよあれ」
「その言い方だと、ここに連れてくるまでの過程に文句があるんであって、ここにいること自体には問題ないと受け取っていいんだな?」
それには何も答えなかった。悔しいが、その通りだったので。
黙秘が肯定を意味するのだと理解した先生は小さく頷き、肘掛けに頬杖をついた。いったい何を考え何に納得したのか分からないが、知らない方がいいだろう。そんな気がする。
冷房のきいてきた室内は徐々に涼しくなっていき、先ほどの籠もった熱は消えていく。額に浮かんでいた汗も引いているが、それとは別に、手のひらの汗だけは未だにじんわりとにじみ出ていた。
何故なのか。理由は簡単だ。むしろ、答えが目の前にあるというのに分からない方がおかしい。
「……あの」
「なんだ」
「理由、訊かないんですか」
流しの横でコーヒーを淹れていた先生の動きが止まった。
普通なら、あんな場面に出くわせば誰だって何があったのかと理由を尋ねる。それなのに先生はといえば、何を訊くわけでもなくただ黙っているだけだ。
私に対して無関心であるが故の行動ならまだ理解できるが、そんなに無関心な人間であればまずあそこで私を拉致するようなことはしない。何かを予測、理解した上で黙っているというのはどうしても嫌だった。私のなかの何かが気持ち悪いのだ。
先生は静かに振り向くと、流し台に体重をかけてコーヒーを口に含んだ。
「──訊いて欲しいのか」
「そうじゃなくて、普通の人なら根掘り葉掘り訊いてくるから……」
「訊かれないことに違和感がある、ってか」
小さく頷く。なんだか、まるで私が悪いことをして怒られているような感じだ。小さく縮こまって次の言葉を待っているところなんかは特にそうだ。別に私は、何も悪いことなんてしていないのに。
もういっそのこと、問い詰められた方が気が楽になる。それなのに先生は黙ったままだ。早く、早く、と急く心のどこかで、やっぱりまだ何も尋ねてこないでほしいという気持ちもある。自分のことなのに、自分が分からなくなってきた。
「──顔がな」
「え……」
先生が下に向けていた視線を上げて私を見据える。
「お前、“訊いてくれるな”って顔してんだよ。気づかなかったか」
分かりやすい。そう言って先生はコーヒーを飲んだ。
確かに訊いて欲しくなかった。私としては、あまり感情や考えを面に出していないつもりだったが、この人相手だとなかなかどうしてうまくいかない。いった試しがなかった。やっぱり苦手だ。
内心で小さくため息をつくと、そういえば、と先生が口にする。
「夏休みの間、いつもどこに居る?常日頃から家にいるわけじゃねえだろう」
「……図書館に。地元と学校のは工事が入っているので、隣町まで行ってます。いつもはそこでやり過ごすんですけど、今日は休館日で……」
へえ、と頷いて椅子に腰掛けた先生は、少しの間考えるような仕草を見せた。本当に僅かな沈黙の後、それならと私を見やる。
「なら、休館日にはここに来い」
「……へ」
突拍子もない発言に思わず変な声が口から漏れた。
「ここって……保健室ですか」
「それ以外にあんのか」
「いやそれはさすがに……。どこか別のところを」
「そんなとこ探す時間ねえだろ。受験だって控えてんだぞお前」
「いやでも、またみんなに何言われるか」
「慣れてんだろ?」
これ以上返す言葉がなくて、言葉に詰まった。急激にしぼんでいく私の勢いに、先生がさらに追い討ちをかける。
「俺ァ一応、曲がりなりにも教師だ。何かある家庭の生徒を見過ごすわけにもいかねえだろ。逃げ場を与えるのも仕事のうち。休館日の日はここで過ごしゃなんとかなんじゃねェの」
「……」
雑な物言いだが言ってることは確かにその通りだ。要は休館日さえしのげればいいのだ。別の場所を探すあても、その気力もなかった私からすれば有り難いことだ。母のあの恐ろしい顔に怯えるよりは、ここの方がまだマシだ。
ここは頷くしかなかった。
「これから企業見学や試験もあるのであまり頻繁に利用はできませんけど……」
「構やしねえよ。その日を乗り切ればいいだけの話だ」
あっさり言った先生が、ふと何かを思い出したように続ける。
「もちろん、そのぶん働いてもらうがな」
そう言って意地悪く笑った先生につられて私も小さく笑う。なんだか、久しぶりに笑ったような気がした。
14.02.18