いつかの君に優しい世界で | ナノ
沈黙する瞼


「どういうことですか」

腕を組んで先生を睨む。先生は気だるそうに椅子にもたれて、保健室の入り口に立つ私を眺めていた。
同じような光景を昨日も見た気がするけど、それはきっと気のせいではない。

「……お前それ昨日も言ってなかったか」
「記憶にあるのなら話が早いです。まさか本当にこんなことするなんて思いもしませんでした」
「俺は一度決めたことは必ず実行するタイプだ」
「私を巻き込まないで下さい」
「お前も当事者だろうが」
「違います」

何が面白いのが分からないが、先生はくつくつと笑っていた。不愉快極まりない。これ見よがしにため息をついてみせたがあまり効果はないみたいだ。

「お前がどんなに文句言ったって、もう既にお前自身が承諾したんだからそんなこと言う資格ねェだろ」
「でもあれはほぼ無理やりだったでしょう」
「それでも『お前』が頷いただろ」

言葉に詰まった。先生がどんな卑怯な手を使おうと、頷いたのは確かに私自身だ。私が自分で、自分の意志で頷いたのだ。これについて彼に文句を言うのはお門違いというやつだ。
悔しくて唇を噛むと、先生はしてやったりとでもいうふうにいやな笑みを浮かべていた。

「……いやな人」
「俺からすりゃ褒め言葉だな」
「私、先生みたいな人嫌いです」
「別に嫌っててもいいから仕事だけはちゃんとしろよ」
「……」
「話はそれだけか。ならさっさと帰れ」

冷たくあしらわれ、もうどうすることもできずに踵を返した。その瞬間先生がさっきとは違い、楽しそうに笑っているのを視界の端で捉えて無性に腹が立った。腹が立ったし、悔しかった。
自分はあまり感情を表に出さない方だと自負していたが、そうでもないらしい。今の私はとんでもなくひどい顔をしているだろう。廊下をすれ違う生徒が私の顔を見てぎょっと後ずさるのがいい例だ。それくらい感情が高ぶっているのだろう。
教室に戻るとクラスの人まで驚いて私を凝視した。それにまた苛立って、どうすることもできないこの連鎖にむしゃくしゃする。

苛立ちの対象は先生でもなければ周りの人たちでもない。自分自身だった。もし昨日きっぱりと断っていれば、こんなふうになることもなかったのだ。
重いため息をついて頭を抱える。保健委員の子が引き継ぎについて話しかけてきたが、なにぶん冷静ではなかったし、彼女も不機嫌そうだったので話は手短に終わった。用件が済んで離れていく彼女の、恨みがましい視線を受け流す。あのとき、どんなに噂を流されても構わないから断っておくべきだったと今さらながら深く後悔した。

***

嫌なことというのは、総じて連続で起こるものだ。玄関にある見知らぬ靴を見てそうひとりごちた。
リビングから母の楽しそうな声が聞こえる。男がいるのだ。

それを理解すると、リビングの二人にばれないようそっと靴を脱いで、足音を立てずに階段を上がって部屋に戻った。もう今日はリビングに行けない。夕飯も抜くしかない。
部屋に入るとすぐに鍵を閉めて、南京錠も掛けた。南京錠は前に自分でつけたもので、なかなか役立っている。今日もこれでなんとかやり過ごせるだろう。

服を着替えて、そのまま倒れ込むようにベッドに寝転んだ。
課題を終わらせないと。お風呂は明日の朝に入ればいい。その前に少し寝よう。どうせ夜中には眠れなくなるのだ。寝られるうちに寝ておかないと体が持たない。
下から聞こえる賑やかな声を遮るように布団の中に潜り込んで、私は浅い眠りについた。



13.12.22

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