「――さっきの、見ただろ」
帰り道を黙って歩いて行くなか、不意に高杉くんがそう口を開いた。
さっきの、とは恐らく高杉くんが女の子と仲良くやっているときのことだろう。胸がえぐれていくのを感じながら、小さく頷く。 高杉くんは「そうか」とだけ呟いて口を閉ざした。私も特に言いたいことなんてないからじっと俯いて歩き続ける。こんなにも長い10分間は初めてだ。好きな人と一緒に歩いているだけなのにこんなにも息苦しくなるなんて、私はこのとき初めて知った。
「あの、そろそろ家が近いから」
もういいよ。そう言うと高杉くんはひどく驚いたような顔をした。まるでそう言われるのが予想外だったみたいだ。 それでも歩き続ける私たち。もういいって言ってんのに高杉くんはいつ帰ってくれるんですか。って、ああもう家が近い。あとちょっとで私の家に着いてしまう。
言葉にならない感情は私のなかでぐるぐると周り続けている。 早くどこかへ言って欲しいのに、まだ一緒にいたいという気持ちがない交ぜになって私の心を覆っていく。どうすればいいのか、私自身が分からなくなっていた。 ほら、もう目の前は家だ。
「あ、あの、ありがとう」 「……ああ」
俯いて礼を言う。街灯で顔が真っ赤なのがばれないといいけど。高杉くんは素っ気なく返しただけだった。お互いにもう用事はないはずなのに、なぜかその場を動こうとしない。 名残惜しい気持ちの私としては嬉しくもあり、なんだか悲しくもある。まだ私に何かあるのではと期待する反面、そんなことあるはずないのにと私を静観するもう一人の私。
もう家に入ってしまおうと、こっそり息を吐いたそのときだった。
「なあ」
不意に、高杉くんに声をかけられた。どきりと心臓が跳ねて、思わず顔を上げる。いつもとどこか違う高杉くんがそこにいた。
「キス、したいか」
――俺と。その言葉を聞いた途端、かあっと体が熱くなるのを感じた。きっと高杉くんは私をからかってるんだ。それなのにどくどくと熱を持ち始めているのはなぜだろう。
「……し、したくない。そんな、他の人としたあとのキ、キスなんて」
顔を真っ赤にさせながら必死で言った。私はそんなに軽い女じゃない。 からかわれているんだから、もうちょっと気の利いた断り方をすれば良かったかな、なんて考えていると、しばらく黙っていた高杉くんの声が降ってきた。
「――なら、誰ともキスしなきゃお前は俺とキスしてくれんのか」
キスしてくれんのか、だなんて、変なの。まるで私がキスをさせてくれないみたいな、高杉くんがおあずけを食らってるみたいな言い方じゃないか。 それでも一応、彼の言っていることに間違いはないので小さく、本当に小さく頷くと、高杉くんの手が私に伸びてきた。
ゆっくり頬を撫で、輪郭をなぞられる。親指がそっと唇に触れてびくりと体が震えた。そのまま顎を掬われて、あ、と口にする間もなく唇をふさがれた。 思考が止まった。目の前には高杉くんの精悍な顔立ち。まつげ長いなあ。
何もできずに立ちつくしていると、啄むように何度も唇を合わせられ、ちゅ、と可愛らしい音をたててようやく離れた。
ぼんやりと唇に手を当てている私を見下ろしている高杉くんは、その切れ長な隻眼を細めると柔らかな笑みをこぼした。
「じゃあな」
それだけ言って去って行く。背を見せて歩き出す高杉くんを見て、ようやく事態を理解した。 声にならない悲鳴を飲み込んで、その場にしゃがみ込む。真冬だというのに体は熱い。
「な、なんでこんな……」
きっとからかってるんだ。でも、もしからかってるならあんな優しい笑みは見せないんじゃないかな。だって他の子と一緒にいるときでさえ見たことのなかった、柔らかい笑顔。からかいじゃなければこれは一体。
意味深なこと言ってキスされてあんな笑顔を見せられて、私の脳内はパンク寸前だ。 でも、もしあれのなかに少しでも、ほんの少しでも彼の本心が含まれているのだとしたら、
「ちょっとは期待、してもいいのかな……」
消え入りそうな私の呟き。答えは彼だけが知っている。
END 白城悠ちゃんへ!
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