あと少しで山場が終わる、というところで集中力が切れてしまった。ふう、と一息ついてそばにある湯飲みに口をつけた。その途端、お茶の冷たさに一瞬体が縮み上がる。 いつもならどれだけ時間が経っても暖かい緑茶が飲めていた。なまえがこまめにお茶を交換していたからだ。今回はそれを忘れてしまったらしい。まあ普段から何もないとこで転んだり大事な書類を焚き火の中に捨てるような女である。お茶を淹れ忘れることくらいありえなくもない。 まったく、と呟いて、土方はなまえに声をかけた。
「おい、お前この茶……」
そこまで言って、ようやくそこに誰もいないことに気づいた。そういや俺が追い出したんだっけか、と思い出してから少し邪険に扱いすぎたかと頭を掻く。机の上の灰皿は煙草の吸い殻でこんもりと山ができていた。これも、なまえがいたならすぐに捨てられていたはずである。
「……」
はあ、と重いため息をつき、土方は部屋を出た。気分転換を兼ねてなまえにつらく当たったことを謝りに行こうと思ったのだ。 しかしどこを探しても彼女の姿は見当たらない。周りに尋ねてみても知らないと首を振るばかりだった。
「ったく……あいつどこに行ってんだか」
そう呟いて煙草をくわえたときだった。
「あれ、土方さん。何してんですかィ?仕事は?」
そこにいたのは今まで巡回という名のさぼりをしていた沖田だった。沖田は気だるそうにしながらこちらにやってくる。
「すげえくまですぜ。少しは休んだらどうですか」 「お前が俺に押しつけた仕事をやってくれんなら休んでやるよ」 「やっべーそういや大事な用事が」 「待てやコラ」
逃げ出そうとする彼の肩をがしりと掴むと、そういえば、と沖田が思い出したように口を開く。
「土方さん、さっきからうろちょろしてやすけど誰か探してるんで?」 「ああ……総悟、お前なまえ見なかったか」 「なまえ?それなら見やしたけど」
あっさりと頷いた沖田になまえの居場所を尋ねると、これまた案外すんなり教えてくれた。
「ちょうど俺が屯所に戻る最中にばったり会いやしたぜ。少し大きめの鞄持って暗い顔してたんで話を聞いたら、土方さんがひどいこと言ったらしいじゃないですかィ。出て行くしかないって落ち込んでやしたけど……」
土方さんも女心をわかってやれよ、と締めくくったところで、土方は走り出した。 なぜ彼女を追おうと思ったのかはわからないが、土方が焦っていたのは確かだった。自分のせいでなまえを傷つけてしまったのだから焦るのは当たり前だ。しかし、それ以上に胸でくすぶっている何かが土方を焦がしていた。
なまえは気立ての優しい、気の利く女だ。一緒にいて楽しくないわけではない。ただ自分に対する接し方には勘弁願いたいところが多々あって、鬱陶しく思うことが少なからずあった。 それがどうだ。なまえがここを出て行くのだと知った途端、ひどく動揺する自分がいる。彼自身の奥底にあった小さな感情の芽が、ゆっくりと自分を主張しつつあった。
屯所を出てしばらく走った。喉が焼けつくように痛む。手足が鉛のように重くなってきたところで、向かい側から歩いてくるなまえを見つけた。途端に萎えていた力が再び戻り、強く地面を蹴る。こらえきれなくなってとうとう叫んだ。
「なまえ!」
突然名前を呼ばれ、びくりと肩を震わせたなまえが土方を捉えた瞬間、あっと気まずそうにうつむく。
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