何なんだ、この女は。
昨日は最悪な夜だった。
羅刹が逃げ出した、と夜更けに平助が飛び込んで来た時から既に最悪な夜になるのは分かっていたが、予想を遥かに上回った。千鶴のように目撃者を出しただけでなく、その目撃者が総司と斎藤が手を持て余すほどのやり手であり、更に女ときた。その上、
『……藩?』
"あの"珍妙な浪士共と同じ反応をしやがった。頭が痛くなるどころの話ではない。だがそいつは他のヤツらと決定的に違う所があった。
『…は?』
広間で詮議をしていた時にワケの分からない言葉を呟いたかと思ったら消えたのだ。しかも千鶴を連れて。
『ち、千鶴!?』
『土方さん!!千鶴どこいったんだよ!?』
『うるせぇ!!俺に聞くな!』
『でもまずくないですか、土方さん?千鶴ちゃん、恐らくあの女と一緒なんですよ』
『…取り敢えず探すぞ。女は見付け次第、斬り捨てろ』
『『『了解』』』
そう言って意気込んで出た割に、広間を出て間もなく女は見つかった。しかも自ら姿を現して。余程の自信があるのだろう。俺は実際に女の力量を見たことがなかったので総司と斎藤の二人に行かせようとしたら、思いもよらない言葉が聞こえた。
『副長、全員で行きましょう』
『…え、…?』
『一君の言う通りです。あ、でも土方さんはここにいてください。で、彼女の力量が見えたら一人でどうぞ』
『…は?』
二人で、ではなく全員で。
そう言われて一瞬動きが止まったが、二人に加えて平助原田新八の計五人からの攻撃を一本のクナイだけで凌いでいる女に逆に寒気を覚えた。しかもそのクナイは最初に千鶴から離す為、山崎が放ったモノを後ろ手に取ったヤツときた。
相当なんてモンじゃねぇ。とんでもなくデキるな、この女。
『…オイ、お前ら。下がれ』
そう思っているウチに湧き上がる感情を抑えきれず、ついそんなことを口走っていた。俺は新選組副長としての立場がある。決して感情的になることは許されないが、この時はどうしても剣士としての自分を抑え切れなかった。一対一で手合わせをしてみたい。女の流れるような、見た目からは想像も出来ぬ長い歳月を思わせる身のこなしに無意識にそんなことを思い、刀を抜き女に向かって行った。が。
『…どういうつもりだ』
『どうもこうも、一対五。どう見ても分が悪い』
直前まであんなにも機敏に動いていたヤツが、あろうことかなんの動きもせず直立不動でじっと突き付けられた刀の切っ先を、いや。その先にある俺の顔を見ていた。
何故、と頭を疑問が過ぎったがそれは僅かな間に過ぎず。二言三言交わした後に突如、寒気がするような空気を出した女に思わず目を見開いてしまった。
『私は、とある所で護衛兼補佐、という役職をしています』
『…それがなんだってんだ』
『場所は江戸。私の所属する部門は将軍様の傘下にあります』
『!…なんだって?』
女と雖もこの実力なら護衛は務まる。が、まさか家茂公の傘下の護衛をしているとなると相当なモノだ。下手をすれば俺らの首なんて全員分簡単に飛ぶぐらいかなり身分の高い女なのかもしれない。
『…将軍様の傘下ってんなら多少は名の知れた部門だろう。言え』
そんな嫌な考えも過ぎらせながらそう言ったのだが、それに対する答えは予想を遥かに逸れたものだった。
『"しんせんぐみ"、という部門です』
その瞬間、俺の頭には数日前に捉えた奇妙な浪士達のことが過った。最初からどうも格好が珍妙で、異人の服と着物とを混ぜたような服を着ていた奴等は、俺が新選組だというと鼻で笑いやがった。
『此処が"しんせんぐみ"?ありえねぇな』
『…なんだと?』
『第一、隊服着てる奴が一人もいねぇじゃねぇか。ここが屯所で"しんせんぐみ"だ、って嘘を吐きてぇなら、そんぐらいの準備はしとけよ』
普通、こんだけのことを言われれば腹が立って思わず怒鳴り返していただろう。だが、この浪士は嘘を言っているという目を全くしていなかった。それどころか、まるで此方が間違っているような、そんな印象を一瞬受けてしまうぐらいの話し方だった。その受けた印象がどうも引っかかったので、その日の浪士の尋問は切り上げ、屯所内にある牢屋に一先ず入れることにした。…が。翌朝、そこは血の海だった。
『……どういう、ことだ?』
『分かりません。ですが、足跡を見る限り外部犯かと』
『ああ。しかも余程、逃げ切る自信のある奴の、か』
『仰る通りかと。こうもしっかりと足跡を残すとなるとそうなります』
結局、分からないことが多すぎてこの一件は暗礁に乗り上げかけていた。そして、混乱を呼ぶと思ってこの浪士達のことは斎藤と山崎にしか話していなかった。だが、それが功を奏したと言えばいいのか。こうやって、奇妙な女を屯所に連れてくることが出来、更に解決の糸口が見えるような事を言い出した。だから、何やら話しかけた女を再び広間へと連れて行き促したのだが、これがまたとんでもないことだった。けれども、筋は通っていたし、今迄の奇妙なことの説明にも見事、合致する。苦渋の決断だったが、暫く女を、四楓院名前を屯所預かりとした。
だが。軟禁部屋の中で座りながら薄っすらと笑みを浮かべる女を見て、今は俺の決断が間違ったのではないかと段々思えてきた。
「…そうですねぇ…では、率直に申し上げましょう。何故貴方は私と私の世界の浪士との違う点をお聞きにならなかったのですか?」
昨夜の騒動から明けた翌朝。俺は朝餉の後、近藤さんの部屋に寄ってから自分の部屋に戻ろうとしていたが、四楓院に聞きたいこともあったので、自分の部屋に戻る前に寄って行こうと考えていた。そんな時に同じ方向へ向かう斎藤と千鶴を見て声をかけたわけだが、唐突に四楓院も口を挟んで来て。それから一悶着あったのだが、上のセリフに思わず目を見開いてしまった。俺は、自分で言うのもなんだが表情はあまり表に出さない。それにこの女とはそんなに長い間接触をしていないはずだ。なのに寸分違わず俺の考えを言い当てられた。
しかも、
「一さんがそのような反応になるのは当然ですよねぇ。彼は異世界浪士のことを聞かされていたのですから」
限定的に話しているヤツのことまで。
人の考えが読めるのか、この女は。ただ、寒気を覚えた。あの沈着冷静な斎藤でさえ表情を変えているのが、その証拠だろう。千鶴はまた別のことを考えていたらしいが、それも読まれたようだ。
「歳三さん」
「…何だ」
「風車を…刀を返して頂けると有難いのですが」
「駄目だ。お前は不確かな部分が多過ぎる」
「んー…困りましたねぇ」
「勝手に困ってろ。俺らに何ら、害はない」
「あら、随分甘く見られたものですね」
「…どういう意味だ」
「分かりませんか?あなた方を同時にお相手することなど、」
造作もないことですが。
にっこりと笑って女がそう言った瞬間、俺の前を何かが横切った。
「!さ、斎藤さん!!名前さんは怪我をしておられるんです!そんなこと…」
「雪村。あんた、何も感じなかったのか?」
「そ、それは…」
「こいつは明らかに俺らに対して殺意を向けた。これは、然るべき行為だ」
俺の前を横切った何か。それは斎藤だったワケだが、その斎藤が言った通り確かにこいつは殺意を向けた。それを危険と判断した斎藤は迷いもなく刀を抜き、四楓院の怪我をしている右腕を左膝で抑えながら覆い被さるように首に突き付けた。
「千鶴の言う通り、私は怪我人なんですがねぇ…退いてくれませんか?」
「その殺気を仕舞うのなら退こう」
「おかしなことを仰いますね。私は"今は"殺気など出しておりませんが」
「…は、?…」
そう言われて初めて気付いた。
確かに四楓院から殺気は出ていない。斎藤もそれに気付いたのか慌てて身を起こし、四楓院に謝りながら彼女の体を助け起こしていた。しかし誰が、一体何処から出しているのか。こいつでないとしても大問題であり、直ぐに対処すべき事柄だ。そう思い、出処を探ろうとしていると、不意に声が飛んで来た。
「副長!!」
「土方さん!!」
「何…!?」
そんな切迫詰まった声を出してどうしたと思えば何時の間にか目前にまで迫っていた、何か尖ったモノの先。しかし、それが剣先だと認識出来た時にはもう遅く。咄嗟に刀へ手を伸ばしながらも、来るであろう痛みに思わず目を瞑った。
が。その瞬間、小さな声が耳に入った。
「【六杖光牢】」
りくじょうこうろう?
今の自分の状況は正に絶体絶命だ。全力で急所から避けなければならないし、余計なことを考える暇もない。だが、この瞬間は何故か四楓院の声が耳に入ってきて、更にそれに対する疑問を過ぎらせる余裕まであった。
この時、無意識に自分は無傷で済むということが分かっていたのだと思う。でなければ、こんなことを考えてる余裕など絶対に出来る筈がない。
「よく、間に合ったな」
「……何用だ」
床の間の方から、という部屋の中のあり得ない場所からの攻撃だった。後から斎藤と千鶴から聞いたのだが、そいつは突然黒い穴のような所から出て来たらしい。その攻撃に冷静に対処出来たのは四楓院だけだった。その上、何時の間に盗ったのか四楓院の手には俺の刀が握られていて、そいつの刀を受け止めていた。
そして上の会話の直後、
「え、…?」
「何が…」
ガチャン、という金属音と同時に四楓院の前に刀が落ちた。別に彼女が落としたわけでは無い。突如現れた人物の刀が落ちた音だ。…だが。その刀を持っていた人物の姿は、そこには既になかった。こんなのいっぺんに受け入れられる筈がない。昨日からあり得ないこと続きな上、女の異常な読みに俺の、俺らの頭は限界に近かった。千鶴なんて実際に頭を抱えている。しかし、更に追い討ちをかけるようなことをこの女は言いやがった。
「…歳三さん」
「あ、ああ…何だ」
「分かって頂けたと思いますが、私はこうやって此方の世界に来たのですよ」
「……は…?」
しゃがんで落ちている刀を拾い上げ、じっと何かを考えるようにしていた四楓院。不意にそんなことを言いながら、俺の方を向いた顔には、当然分かるでしょうと言わんばかりの表情を浮かべていた。
何なんだ、この女。
(こいつの上司は一体どんなヤツなのか)
(こいつを従わせるだけの力量があることに)
(俺は複雑な感情を抱いた)
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