オオカミ少年。
昼間は少し怒りすぎたかもしれない。ふざけてはいるが、喜助の話が無駄だったことは過去に一度としてない。わざわざ仕事中に携帯にかけてくる時は尚更だ。なのに、彼に反論の余地もなく問答無用で電話を切ってしまった。
「…掛け直そうかな」
ワケのわからないことを言う副長を適当にあしらって書類を渡し、自分は夕飯を終えて、風呂場に向かう廊下を歩きながら思わずそう呟いていた。書類に手こずっていたので通常の夕飯の時間より大幅にズレてしまい、今の時刻は夜九時少し前。私が真選組に入るのと同時に、女子専用の大浴場も出来たので時間を気にせず入ることが出来るのが有難い。隊員全員が入った後やその前など言われたら風呂に入った気にはならないだろう。その辺りは松平長官に感謝である。
「栗子のデートを尾行してたのはいただけないけどね」
そもそもそれによって副長はあんな奇怪なことを言い始めたのだし、仕事の進行に大幅な遅れが生じたのだ。迷惑もいい所である。
そうやって内心文句を垂れながら髪と体を洗い、外の露天風呂に浸かると一気に息を吐き出した。尸魂界でも現世でもこの瞬間が一番疲れがとれるような気がするのはきっと間違いではないと思う。…と、そんな時。ふと視界の右を黒い影が横切った。
「誰?」
女子風呂は男子風呂と隣接している。一応女子風呂の入口に鍵がついているが、こんな時間に堂々と入って来れる男子もいないだろうと思って鍵をかけなかった。なので誰かが入って来ても不思議はないが、問題はある。瞬間、桶に入っていたスポンジを投げつけると瞬歩で移動し、蹴り飛ばす為に足を振り上げた…が。
「!え、っうわァ!!」
その足を掴まれ逆に浴槽に投げ飛ばされてしまった。
風車は、何処だ?
お湯に叩きつけられて咄嗟に頭を過ったのはそれだった。人間しかいない現世で斬魄刀が思わず欲しくなる状況は殆どない。それ程焦っているのだと頭の片隅で思っていれば、上から人が降って来るのが分かった。咄嗟に浴槽から飛び退いて膝を着いたその瞬間、視界を何かが遮り前から両腕を掴まれてそのまま押し倒された。
「っ、…離…………はい?」
まさかここまで一方的にやられるとは思わなくて、ついベタな台詞が出かかったのだが、湯煙の隙間から見えた顔に思わず間抜けな言葉が零れた。だってそれは、
「今のはなんじゃ、名前。手足も出んとは情けない」
「よ、夜一…」
私の義母、四楓院夜一だったのだから。そういえば最初に視界を横切った黒いモノは猫に見えなくもない。つい最近我が義母上様が習得した所謂変化の術を思い出して安堵のため息が零れた。だが、それはまずかったとすぐに察知した。夜一はあからさまに眉を潜めている。
「…安心した、と言いたげな表情じゃな」
「ぅ…そ、そんなことは…」
「あるじゃろ。それに、斬魄刀はここらにはないようじゃな?」
「……うん」
「あれ程肌身離さず持てと喜助に言われておったじゃろ。勿論、儂も言うた筈じゃ」
「…はい、言うてはりました」
露天風呂の床で夜一に押し倒されて、且つ二人は全裸。一歩間違えれば変な方にも解釈できるこの状況だが、決して笑えない。夜一が怒っているからと言うのもあるが、それより彼女から伝わる真剣さの方が大きい。夜一にしては珍しいと思って訝しげに眉を潜めた。
「…なんかあったの?」
「藍染のことじゃ」
「じゃあ、昼間の電話は…」
「そうじゃ」
やっぱり私が我慢するべきだったのだ。喜助の冗談なんていつも聞いてるじゃないか。何故、我慢が出来なかったんだろ。きっと喜助は困ってるだろうし、夜一にも手間をかけさせてしまった。
「そんな顔をするでない。悪いのは全て彼奴じゃ」
「でも、私は…」
「あの巫山戯た言動は誤解を招くからやめろと言うておるのに、忠告を聞かなかった罰が当たったんじゃよ」
気にするでない。そう言うと、腕から手を離し私を引っ張り起こしてくれた。
ああ、説教タイムは終わりなんだなと思いながらくしゃみを一つすると夜一は私の手を引いて湯船に入った。
「藍染は儂らの正確な位置を把握出来ておらん。喜助はそう言っとったじゃろ」
「うん」
「それは本当なんじゃよ」
「…俄死神達に会ってるのに?」
「名前。おぬしは現世、江戸を守護する警察じゃ。故にここらにしか目を向けていないのは分からんでもないが、コレは儂ら死神に関しての話題じゃ。少し視野を、範囲を広げて考えてみろ」
夜一の言葉に知らずと眉を潜めてしまった。現世の警察で江戸にしか目を向けていないのは分かった。でも、死神で視野を広げろと言われてもなんのことだかよう分からない。そんな私を見て夜一は困ったような表情を浮かべた。
「言い方を変えようかのう。現世とは何処を指す?」
「…現世、は江戸だけじゃない」
「そうじゃ。日本全土、ひいては地球全体、銀河全体を指すんじゃないのか?」
「……あ、」
「気付いたようじゃのう」
そうだ。あの夜私達は追われていた身だったから、喜助の霊圧遮断型義骸が完成次第、兎に角現世に降りることが第一だった。それに正式な穿界門を通るわけにはいかず、拘流の固定もしてる暇もなく、座軸指定なんて以ての外。つまり、私達は何処だか分からない所へ落ちたのだ。そんな考えに辿り着いた私を見て夜一は笑みを浮かべた。
「…故意的にならまだしも、無作為だったから尸魂界の痕跡を辿っても分からない」
「そうじゃ。恐らく藍染らが見つけたのは、兎に角現世に降りたと言う痕跡だけだった」
「だから、居場所が分からない。…なら、どうして俄死神はうちらを狙ったの?」
「……名前。そこからが本題なんじゃが…」
微かに笑みを浮かべていた夜一が不意に真剣な顔になった。なんかとんでもないことを今から言われるのではないかと少し不安になりながら頷いた私の直感は、ボンゴレ並だと後から思った。
「……俄死神は藍染と直接は無関係なんじゃよ」
…こんな事を言われたのだから。
(でもなんだか、不思議としっくり来る様な感じがした)
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