風の中。壱
「退の所為だからね」
「お、俺ェエ!?なんで!?」
「うるさいな。早く会計してきなよ。ほら、財布」
「わっ、と…じゃあ、行ってくるからその間に旦那、ちゃんと呼んでおきなよ?それと、物は投げないの。特に財布。罰が当たるってあれ程口を酸っぱくして言ったでしょ?」
「お母さん?」
煉獄関事件の翌々日。
朝っぱらから警察庁長官の参上で屯所のある一部は地獄と化していた。銃声と局長の叫び声を聞いて容易に目に浮かんだ光景に自室で苦笑していると、急に肩を叩かれた。
『ぅわァアッ!!』
『退。ちょっと付き合ってくれない?』
『あ、う、うん』
名前ちゃんだった。部屋の襖が開いた音も気配もなく急に後ろに現れたものだから、かなりのリアクションをとったのに彼女は普通の受け答えでちょっと寂しかったのは秘密だ。
四楓院名前。
彼女の正体というか、馬鹿強い戦闘力の秘密を知ったのは昨日のこと。そりゃあ驚いた。少なくとも俺の理解を超えた話だった。特に“尸魂界”のある場所が死後の世界だというのが信じられなくて、最後の最後まで疑ってかかったら、名前ちゃんに笑顔で怒られた。あれは怖かった。泣きそうな顔してたら万事屋の旦那にドンマイって肩を叩かれた。ていうか旦那方、名前ちゃんが死神って知ってたんですね。まぁあのカミングアウト後、詳しくは万事屋で話すからと名前ちゃんに言われた時からなんとなく分かってたけど、そうなんですぅーと自慢げに言われてイラっときたのは気のせいなんかじゃないと断言できる。
俺らのいるこの世を“現世”と言って話す彼女からは確かに、俺達とは何か違った“モノ”が感じられた。ちなみに此処と尸魂界では文明が随分違うらしい。例えば通貨。未だに大きい買い物には苦労しているようで。一人で行った時の会計は必ず一万円札しか出さず、小銭などは出したことがないと言っていた。
だから今も俺が会計を任されたわけで。案の定、名前ちゃんの財布を開けてみれば、小銭入れの部分はパンパン、お札入れの部分には万札のみが30枚程。
「名前ちゃん…これは流石に…」
気持ちは分からなくもないが、流石に可笑しい。思わず笑いを零しつつ会計を済ませて店の外に出ると、携帯を耳に当てながら名前ちゃんは呆れたように怒鳴っていた。
「…なんで日本人ともあろう人間が障子の貼り替えをしたことがないわけ!?」
それを聞いて俺はほらね、という顔になった。買い物に連れ出されて、行く道中で障子の貼り替えを万事屋に頼むと言い出した名前ちゃんに俺は最後まで反対していた。だって万年金欠のダメ天パに一般常識なんてあると思ってなかったから。その推測は当たっていたようで。現に名前ちゃんはこうして怒鳴るハメになっている。
「…もう、いいから…うん。…新八に代わって。あの子なら知ってるでしょ…あ、新八?障子の貼り替えって……あーやっぱね。妙ちゃんと二人暮らしだもんね。そんぐらい出来るよねぇ…で、時間なんだけど…」
暫くして最後に無理言ってごめんって銀時に言っといてと言って電話は終わった。…大人だ。名前ちゃん、やっぱり旦那なんかよりよっぽど大人だ。
「…名前ちゃん。買えたよ、障子の紙と糊」
「あ、退。ありがと」
「いいえ。それより旦那、来てくれるって?」
「うん。午後から」
じゃ帰ろっか。と言うと、そうだねと言って名前ちゃんはにっこりと笑った。
「…さてと。私は仕事あるから、後は新八お願いしていいかな?」
「はい。任せて下さい」
「歌舞伎町の女王神楽にお任せヨ!障子の貼り替えなんて朝飯前アル!!…………あ」
「オイぃぃい!!なに破いてんの!?直すどころかなに被害増大させてんのォ!?」
「大丈夫ですよ、銀さん。全部貼り替えるんで。むしろ今のうちに気が済むまで破って下さい。貼り替えの最中に破かれても迷惑なんで」
「ちょ、新八ィィイ!?お前今日どうしてそんなに毒舌ゥウ!?なんかした!?銀さんなんかしたっけェェエ!?」
「さ、神楽ちゃん。始めよっか。日本人としての常識を教えてあげるね」
「無視はヤメテェェェエ!!」
午後になってやってきた万事屋3人。相変わらず騒がしい連中だけど、終わったら大福あるからって名前ちゃんが笑顔で言っているからまぁ良しとしよう。
「良くねェェェエ!!」
「い゛っ…ちょ、副長!?なにも殴ることないじゃないですか!?つーか、エスパァァア!?」
なんていう俺の文句はもう副長の耳に入ってなんかいない。既に旦那と小学五年生レベルの喧嘩を始めてて周りなんぞ見えなくなってるからだ。ていうかこの流れって確実に沖田隊長も入ってきて…って、ほらね。言ってる側から取っ組み合いの喧嘩だよ。新八君なんて何も言わずに一人で黙々と作業始めちゃったし。
「副長、落ち着いて下さい。銀時達を呼んだのは私です。私をお叱りになるのなら分かりますが、銀時に文句を言うのはお門違いというやつですよ。それにこの書類、今日中に終わらせないと大変なことになります」
「……わァったよ。オイ、万事屋サボるんじゃねぇぞ」
「ププ。副官に口負けしてやんの」
「んだとコラァア!?」
##ちゃんのフォローも虚しく再び始まる副長と旦那のガキの喧嘩。沖田隊長とチャイナさんの喧嘩は最早死闘。新八君は順調に糊を枠組みに付けている。そんな状況を見て溜め息を吐く名前ちゃん。あー…そんなに深い溜め息吐いたら幸せが逃げちゃうよ。なんて思っていると、不意に後ろから肩を叩かれた。
「きょ、局長!お帰りなさ…って、どうしたんですか!?その格好は!」
「いやぁ、ドーナツ作りに失敗しただけだ!心配いらん!!」
本日二回目。だからもう驚きはしなかったが、代わりにボロッボロの局長が立っていたことに驚いた。
「心配いらん、って…服装はともかくその顔の傷は姐さんですよね?手当てしますから取り敢えず医務室行きましょう」
「オゥ、悪いなザキ。というかなんで万事屋が…」
「局長!!」
「おお、名前!」
「お怪我は…妙ちゃんのだけですね…ご無事で何よりです」
「ワハハ!そんな大げさな!」
珍しく焦ったような声を上げて心配する彼女に局長は大袈裟だと言って笑い飛ばしているが、笑いごとでもない。内心俺もかなり心配していた。あの日名前ちゃんが天導衆と取り引きをしたお陰で真選組は潰れないですんだ。だが、相手は天人。約束を破られる可能性だって大いにある。
でも、名前ちゃんが取り付けた約束はどうやら守られたようで。良かったですともう一度言うと、彼女は俺の方を意味ありげにチラリと見た。やっぱり行くのか。
「副長ートイレ行ってきまーす。私が戻って来るまでにこの書類の山、片付けといて下さいねー」
「できるかァァア!!」
緊張感の欠片もない台詞と共に後ろ手を振った名前ちゃんは、本当に厠の方へと向かっている。きっと、そこから瞬歩ってやつで消えるつもりなんだろう。と、思っているとまた肩を叩かれた。今度は副長だ。
「茶、淹れてきてくんねぇか?」
「あ、はい」
あれ?旦那は…と庭を見てみれば、姿はない。沖田隊長とチャイナさんが髪やら頬やらを引っ張り合ってるだけ。どこに行ったのか少し気になるが、下手なこと言って副長に殴られるのも嫌なので俺は大人しく食堂に向かうことにした。その途中で名前ちゃんに行ってらっしゃいってメールを打ったら直ぐ返事が返ってきて嬉しかったことは、秘密にしようと思う。
(オイ、名前)
(あら、銀時。副長とのじゃれ合いはもういいの?)
(気持ち悪りーこと言ってんじゃねぇよ。それよりどこ行くつもりだ)
(ちょっと散歩)
(…斬魄刀置いて、か)
(ただ歩くのに刀はいらないでしょう。ああ、でも)
(なんだよ)
(迎えに来てくれてもいいよ、風車持って)
(……分かった)
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