ヴィーナスの片思い中篇


「・・・あっつい!」

 保健室の扉をノックもしないで開いたラビの開口一番。
 一階の部屋だから階段を上がることもないが、マンモス校の性か高等部は正門から保健室は直進なのに10分は掛る。
 ラビは全力で走ったせいで汗だくになった額を拭った。
 もうティキから着信があって一時間がたっていた。

「はやかったね、ラビ」
「誰かさんが、あんな時間に起すから、こんな早い時間に学校にいるんさ」
「電車20分は乗るのにね、本当にハヤイ」

 さっきまでの調子で軽く流されるとばかり思っていたのに、ラビが慌てていた事実を容赦なく突っ込むから口を噤むしかなくなった。
 もう、二・三小言を言ってやろうと思ったのに。

「こんな早朝に呼び出したの誰だっつの!」

 クーラーの効いたまっ白い部屋。
 黒が基調のこの学園の中でこんなに清楚な部屋は、きっと此処だけだろう。
 部屋の責任者は別として。

「埋め合わせしようかなって」

 約束をしていた。
 二人で、お祝いをする約束だ。
 8月10日はラビの誕生日。
 実際、お祝いをしようとしていたのは日曜だったから3日は過ぎていたのだけれど。
 当日はアレンやユウ、リナリーが一緒にお祝いしてくれていた。
 4人でそれぞれの誕生日を祝うのは通例で、だから18歳にもなったけど凄く嬉しいことでもあって。
 だけど、その場にティキはいなかった。
 ティキとラビは付き合っている。
 26歳のティキが、どうして18歳のラビと付き合うことにしたのか、正直定かじゃない。
 そんなこと、ラビからは怖くて聞けるわけがない。

「良いって、そんなの」

 ティキのチェアの目の前に並ぶクッションの効いたベットに座って、ラビは笑って首を横に振るう。
 ティキには、仕事がある。
 学校の保険医だけがティキの職業じゃないのだ、と知ったのはティキと付き合うことになってからだ。
 夏休みはその副業・・・なんとまあ、理事長直々の勅命らしいけど・・・が凄く忙しくて、学校にいるときより逢えなくなっていた。
 なんとかして日曜に時間を捻出してくれていたらしく二人っきりの誕生日会を行うことになったけど、当日キャンセルになった。
 ティキに急用が入ったから。仕事だった。

「仕事じゃ、しょうがないじゃん。〜・・・だいじょぶさ。予定も、入れたし」

 わがままを言っちゃいけないと思う。ただでさえ、ティキとは年齢っていう差があって、世間体だって芳しいものじゃない。教師と生徒なのだ。
 周囲にばれればティキは未成年をたぶらかした犯罪者になりかねない。
 それにラビは、今までティキが付き合ってきた女性の中できっと一番幼いし、色気もないし、何より"女"でもなかった。
 理解を示して、ティキの分が悪くならないように、ラビが背伸びをして付かず離れずで大人ぶるしかない。
 たまには嘘をついて、寂しくないとも言ってみせる。
 だから予定なんか入ってなくても、入っているぐらい簡単に言える。
 ベットの淵で楽しげに足を揺らす。お互い様っしょ?と、明るく笑って。
 ティキは肩を竦めた。

「・・・ラビ、今日部活でしょ?」
「ん、そうそう」

 両足を止めて俯きがちだった顎を持ち上げて視界に入ったティキは目の前で立っていた。
 足音をさせない男だ。ちなみにラビの足のサイズさえ知っている抜け目ない男でもある。
 月曜・水曜・金曜は高等部から入部した部活の集合日だ。
 小学部から帰宅部、という名の図書部だったラビが、友人であるリナリーに無理やり入部させられることになった料理部だ。
 寮出のラビが突然独り暮らしをすることになって不安だったらしい。確かに、ラビは本を読み出すと食事を忘れる。それどころか、独りだと食事は不要なものになりかねない。
 ダイエットなどという贅沢な志向ではなく、ただ単に面倒なだけで。
 バイトの合間に参加を義務付けられていて、今日は活動日だ。

「ラビが終わるの、此処で待ってよ」

 ティキがラビを見下ろしたまま言う。

「は?いいって、あんた仕事は?」
「有休」

 ラビは首を傾げる。
 夏休みに入ってから二人で一度も逢ってなかった。
 声を聞いたのも今日の朝を抜かせば10日の夜電話でしゃべって以来だ。
 その時、ラビとティキは約束をした。

『ケーキを買おう。ラビの大好きなチョコレートケーキ。普通のお店のじゃなくて、あそこだ、駅前のタルトの美味しい店の、3600円の生チョコのケーキ。前ラビは贅沢だからってかわなかったっしょ?
 料理はオレがするよ。ラビの好きなもの作ってあげるから、一緒に材料買いに行こう。
 それと、プレゼントがあるんだよ。ラビにしかあげられない。

 楽しみにしてて。
 楽しみにしているね。』



 初めてだった。
 大事な友達以外の人に誕生日を祝ってもらうのは。
 10日は一緒にいれなかったけど、ティキのその言葉と過ごせる時間があるという事実だけで、気持ちが胸から溢れてしまいそうだった。

 12日の朝、ティキから仕事が入ったというメールがきた。
 夜にはいけるかもしれない、って追記されていて、ケーキも料理の食材も独りで買いに行った。
 選んでいる間、寂しくないって言えばそんなことはなかったけど、でも充分幸せだった。
 ティキが走ってきてくれる、それを想像するだけで、外だというのに目尻が涙が溜まってしまった。
 楽しみにしているのは自分だけではなくて、ティキもなのだと耳に残る声に独り蹲って。

「昨日待たせちゃった分、今日は待っているよ」 
「ちょ・・・折角の休みなのに、わざわざ自分から待ちぼうけ喰らわなくても!」
「少しは罰が必要じゃない?」

 首を傾げたティキが、目を細めると一緒に眉が下がる。
 頼りない顔。
 ラビは幾らか顎を引いた。
 どうして。

「良いって。折角の休みなんだし買い物とか、寝ているとか出来るだろ」
「これぐらいが少しも気がすまないけどね」
「気が済むって。別にオレはなんともおもってないって!ぁ、プレゼントあるんだろ!逸れ呉れたら充分!」
「・・・今あげて良いなら、あげるけど」

 静かな声で凄まれる。気に障ったのだろうか。
 それとも話を蒸し返したから?
 ラビは肩を掴まれる。

「・・・ちょ、ティキ?」
















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