01 はじまりの朝

カーラはその日、いつもより三時間も早く目を覚ました。

二階の角部屋には気持ちの良い風が吹き抜けている。八月の暖かな気温は二度寝にはうってつけだったが、この日ばかりはまどろみもせずに、ふかふかのベッドから飛び起きた。もう一週間も前からこの日──すなわちホグワーツ魔法魔術学校から手紙が届く日を心待ちにしていたのだ。五年前に学校を卒業したロスメルタからホグワーツのことは散々聞いていたので、もう何度もホグワーツ生として過ごす自分の夢を見たほどだった。

カーラはパジャマからお気に入りのワンピースに着替えて階段を駆け下り、「三本の箒」の厨房にひょこっと顔を出した。

「おはよう!ねぇ、ホグワーツからの手紙はまだ届いてない?」
「残念ながらまだよ。おはよう、早起きさん」

つまづきながら階段を駆け下りてくる足音で質問の予想がついていたらしく、ロスメルタはランチに出すポトフの仕込みを続けながら笑った。

「私の時はお昼頃に来たわねぇ……まだ時間があるでしょうから、まずは顔を洗って髪をとかしてきなさいな。そうしたら朝食にしましょう」

カーラはまだ手紙が来ていないことにがっかりしつつも、はあいとロスメルタに返事をして洗面所に向かった。

カーラがここホグズミード村のパブ「三本の箒」の二階に間借りするようになってから、もう三年が経つ。当初見習いだったロスメルタも今やオーナーから店を任され、ほとんど一人で切り盛りしている。ロスメルタは曲線美が魅力的な女性だというだけでなく料理のセンスも抜群で、日々新しいメニューを生み出していたが、カーラとロスメルタ二人で食べる朝食のメニューだけは三年前から変わらなかった。ふわふわのスクランブルエッグにハーブ入りのチポラータ・ソーセージ、ほんのり甘いくるみパンにトマトで煮込んだベイクドビーンズ。そして食後は砂糖とミルクをたっぷり注いだイングリッシュブレックファースト・ティーが定番だ。冷たい水で目をこじ開けながら、カーラはお腹がぐうと鳴るのを感じた。

カーラは身支度を済ませて、まだお客の入っていないホールでいつものカウンター席に身体を滑り込ませた。十一歳の中でもカーラはどちらかというと小柄な方で、大人用のカウンター椅子はちょっぴり背が高く足が浮いてしまうのだ。カーラは不安な気持ちを抑えきれずに、軽やかに杖を振って朝食用の皿を棚から取り出すロスメルタを見上げた。

「ねぇロスメルタ。両親が魔法族でも、手紙が来ないってことあるのかな?」
「そうねえ。両親が魔法族だからといって必ずしも魔法が使えるって訳じゃないから、中にはホグワーツからの手紙が来ない子だっているけれど、カーラ。あなたはしっかり魔女の素質があるんだから心配いらないと思うわ」

ロスメルタはこれでその質問は八回目だなどとは言わず、カーラに優しく微笑んだ。もう何度も同じ答えを貰ってはいたが、ロスメルタに励まされるとカーラは安心して頬が緩んだ。

「ありがとう」
「さぁさ、今日は三時間も早起きしたんだからお昼まで長いわよ。しっかりかき込んじゃいなさい」

カーラはくるみパンを頬張りながら、もごもごと返事をした。美味しい朝食でお腹を膨らませた後、カーラはマグルのやり方で二人分の紅茶を淹れた。食後の紅茶を煎れるのはカーラの仕事だった。ここ数年でずいぶんと紅茶の種類にも詳しくなり、カーラは美味しい紅茶を淹れることなら誰にも負けない自信がある。

「今日はリーマスがお昼前に遊びに来るの。魔法史の勉強で分からないところを教え合う約束をしたから」

ロスメルタは洒落た模様のティーカップを片手に、作業を一休みしてカーラの向かいに座った。

「あら、そういえばそうだったわね。あの子の好きなチョコレート・プディングを用意しておかなくっちゃ」

ロスメルタは姪っ子のように可愛がっているカーラとその友人のために、どんなランチを用意しようかとうきうきして腕まくりをした。カーラはそんなロスメルタを見ながら、リーマスが来るまでに手紙が届くだろうかと考えていた。




* * *




カーラとリーマス・ルーピンは二年前に知り合った同い年の友達同士だ。

二年前、カーラがハニーデュークスの店主からサービスしてもらったアイス・キャンディーをペロペロ舐めながら村をなんとなしに歩いていたとき、向かいの角から両親とともに大急ぎで現れカーラと正面衝突した男の子がリーマスだった。リーマスとルーピン夫妻は相当に驚いていたのだが、すぐにリーマスがごめん、と謝りながらカーラを助け起こした。そしてルーピン氏は落ちて泥だらけになったアイス・キャンディーに杖を一振りし、新品のアイス・キャンディーをカーラの手に戻してくれた。カーラとルーピン一家はすぐに別れたが、その後カーラが三本の箒に戻ったとき、隣の「アーバスノット魔法薬品店」の前で両親の買い物を待っていたリーマスと小一時間ぶりの再会を果たしたのだった。

カーラとリーマスはそれからすぐに友達になった。リーマスはどこか遠慮がちで、最初は距離が縮まることを拒むような様子もあったが、お互いに初めて出来た年の近い友達だったので仲良くなるのに時間はかからなかった。ルーピン家はホグズミード村には住んでいなかったのでそう度々会える訳ではなかったが、ルーピン夫妻が定期的に魔法薬を求めにホグズミード村にやってくるタイミングでリーマスとカーラは交流を深めることが出来た。直接会って遊ぶことが出来ない分、ふくろうでの手紙のやり取りは頻繁に交わしていた。

遠慮がちなのはリーマスだけでなくルーピン夫妻も同じで、ルーピン夫人はまるでリーマスがとんでもない暴れん坊であるかのように、カーラに迷惑をかけたらいけませんよといつもリーマスに念押しをする。リーマスの印象は暴れん坊とはほど遠く、いつも穏やかでユーモアがある男の子だったのでカーラにはその理由が分からなかったが、普通の親子はそういうものなのかもしれないとさして気に留めたことはなかった。

カーラは普通の家族というものを経験したことがなかった。

カーラは魔法界でも指折りの名家の血を引いていたが、それらしい扱いを受けたことは今までで一度もない。父親はアブラクサス・マルフォイという純血一族の当主であったが、母親はマグル出身の魔女でしかも正式な妻ではなく、アブラクサスの愛人という立場だった。そのような事情から、カーラはマルフォイでなく母親の旧姓を名乗っている。母親は元々身体が弱く病気がちで、カーラが一歳になる前に亡くなっている。そのためカーラは母親というものの記憶がほとんどなく、知っているのは写真で見た赤ん坊のカーラを抱く優しい眼差しの女性が母親であるということ、名前がオリヴィア・グレイということだけだった。

カーラは外見だけでいうと、両親の特徴を見事に受け継いでいた。父親からはプラチナ・ブロンドの豊かな髪を、母親からは琥珀色の瞳と薔薇色の頬をそっくりそのまま写したようだったが、複雑な家庭環境を思いやってか誰も両親にそっくりだとはカーラには言わなかった。

父親であるアブラクサス・マルフォイやその息子ルシウスからはカーラは冷遇されていた。母オリヴィアが亡くなってから七つまではマルフォイ家に同居していたのだが、アブラクサスからは顔を見たくないとでも言うように接触を避けられ、正妻であるマルフォイ夫人からは疎んじられ(立場を考えると当然とも言えるが)、ルシウスからはことあるごとに小突かれるという環境の中で育ったため幼い頃のことはあまり思い出したくはない。

それで厄介者扱いのカーラが押し付けられたのが、三本の箒のオーナーであるホプキンス氏というわけだった。ホプキンス氏とアブラクサスはホグワーツではスリザリン寮の先輩後輩だったらしく、アブラクサスは店の二階の空き部屋を貸し出そうとしていたホプキンス氏に親族の子を住まわせたいと言って強引にカーラを押し付けた。当然相場よりも色を付けてカーラが成人するまで、つまりホグワーツを卒業するまでの数年分の部屋代と諸々の生活費を渡したに違いないが、それを差し引いたとしてもホプキンス氏とその娘であるロスメルタはカーラにとても優しくしてくれた。厄介払いができてマルフォイ家としては万々歳だったろうが、カーラにとっても三本の箒に住まうようになったことは最高の転機だった。マルフォイ家で散々な扱いを受けてきたカーラはホグズミード村に来た当初、表情も乏しくあまり喋らなかったが、ホプキンス父娘とホグズミード村の楽しい面々のおかげで明るく人懐っこい少女に育っていった。

村に買い物や観光でやって来た魔法使いや魔女たちが、カーラのことを愛人の子だとか捨てられた子と噂するのを耳にすることも時々あったが、カーラは全く気にならなかった。楽しい魔法の村で育ち、姉のように慕うロスメルタと二人で暮らしている。ホグズミード村の店主たちは皆カーラに優しくしてくれたし、リーマスという仲の良い友達もいるこの環境がカーラは最高に気に入っており、何の不満もなかった。

何かの手違いやダンブルドアに素質がないと判断されるということがなければ、今年からリーマスと一緒にホグワーツに通うことになることも心から楽しみだった。ホグワーツにはルシウスもいてきっと目を付けられるだろうという悩みも吹き飛ぶほど、わくわくする気持ちの方が強かった。




* * *




カーラは紅茶を飲み終え、リーマスが来る前に部屋の片付けをするとロスメルタに伝えて自室に戻った。きちんと片付けられた部屋の机の上に、さっきまではなかった封筒が無造作に置かれている。カーラが封筒をひっつかんで裏返すと「ホグワーツ魔法魔術学校」と緑色のインクで書かれている……。カーラは飛び上がってロスメルタ!と叫んだ。そして封筒を手に再び階段を駆け下りた。

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