【問題】まっくらくらやみ夜が降る

「初めましてみょうじと申します。これからよろしくお願い致します」

にこやかに微笑むわりには何処となく頬が引きつっているように見える表情に緊張しているんだなと思った、そりゃあそうだ、初めて顔を出す職場で緊張するなという方が無理な話。
それから彼女は毎日真剣な顔つきで熱心に仕事に取り組み、分からないところはすぐに俺や同僚に質問し、また、他人の仕事する姿を見てはどんどん覚えていく、そのためか周りの同僚達はいつも一生懸命の彼女をかわいがっていた。
そうして彼女が入社してから一月ほど経とうとした頃だ、今の彼女は入社当時のかわいさは残っているが、俺に対してはかわいくないのである。


駅前に建ち並ぶ数々の店の一つに俺の職場があった。
白い壁と緑の扉が特徴の小さな店、扉を開けると所狭しに並んでいる洋服の数々。
この店は小さな店のわりに婦人服だけではなく紳士服と子供服も取り扱っている。
価格は個人商店に似つかわしくないほどの安さで近所でも県外でも口コミのおかげで評判がいい。
何より、店の最大の売りはレジの奥にある小さな事務所にあった。

「おはようございます、お疲れ様です」

店の裏口から入り事務所にいる同僚達に挨拶するといくつもの声が返ってくる。
六畳くらいのスペースに三人の従業員がいて、テーブルの上には様々な柄の生地が広がり、何枚ものデザイン画がテーブルの下まで崩れ落ちていた。
要するにこの店にはデザイナーが勤務しているのだ。
店の奥で服や靴のデザインの構想を練り、できあがったデザインを委託している工場で形にしてもらい、そうして店頭に並ぶ。
そのおかげで常に新しいデザインの服で店の中を埋め尽くしていた。
ちなみに、俺は紳士服と男児服の担当である。

「あ!虹村さん!おはようございます!」

売場から顔を出してきた彼女に俺は思わず顔を顰める、そんな俺に対し彼女は特に気にすることもなく同僚に電話を取り次いだ。
それからパタパタと売場に戻っていく彼女の背中を追いかけ俺も売場に行くとレジが置かれたカウンターの上に送状と漢字辞典を見つけてしまった。

「おまえはまた漢字が分からねえのかよ」

「分かりますよ!何となくだけどこんな形だったかなって!」

「それ分かねえと言ってるのと同じだ」

結局何が分からないのかと聞けば発注先の住所である埼玉県という字が書けないとのことだ。
ちなみに、二日くらい前には鹿児島県が書けないと俺に泣きついてきた、本当に呆れる。

「小学生の漢字ドリルからやり直してこい。ったく」

俺がそう言うと彼女は虹村さん酷いと言いながら両手で顔を覆い泣き真似をする。
その彼女の姿を見た同僚が一生懸命やってるんだから泣かしたらダメよと俺に笑いながら言ってくるので困ったものだ。
あまり彼女を甘やかすな、さらにバカになるから。

「でもいいです、私勉強嫌いだし」

「やれこの野郎」

「それに虹村さんに聞けば何でも教えてくれますから。まるで歩く辞書みたいです」

えへへと悪びれず言ってのける彼女に腹立たしく思うのに、それ以上言葉が出てこなかった。
そんな俺に対し彼女が耳まで真っ赤だと笑ってくるので彼女の頬をムニッと抓る。
あ、彼女が怒った。

「お化粧落ちたらどうしてくれるんですか!?」

怒る彼女を見つめながらしみじみ思う。
きっと、妹がいたらこんな感じだったんだろうな。
荷物を持たせれば少し歩いた先ですっ転ぶし、ラッピング用の包装紙をカッターで切り分けていたら指先を切るし、漢字は分からないし、でも、何かを教えれば一つ一つ頷きながらきちんと聞いている。
結局俺はこの出来の悪い妹のような彼女のことが放っておけず、また構うのが好きらしい、認めたくはないが。

「あ、お客さんだ。いらっしゃいませ!」

彼女がカランカランとベルの音を鳴らしながら店内に入ってくるお客さんの姿にすぐ反応し、店員の表情に早変わりする。
先程までの出来の悪い妹の雰囲気はそこにはなく、すっかり店の洋服を着こなすお洒落な店員さんになっていた。
ちなみに彼女がこの店に雇われた理由は、元々販売員もデザイナーが勤めていたのだが、衣服のデザインにもう少し時間を割きたいということで販売員専門の求人を出し、そして彼女を採用したというわけである。
実際、彼女はこの店に雇われる前まではサービス業に携わっており、お客さんとのやりとりは店の誰よりも上手い、認めたくないが。
これでお客さん以外に見せる顔もしっかりしてくれればいいのにと何度思ったことやら。


ある日のことだった。
空はすっかり暗くなり外は帰宅する人々で少しの賑わいをみせる頃、俺は閉店作業を終えて近所のスーパーに買い物で立ち寄る。
一人暮らしの男の買物と言えば専らインスタントラーメンやレトルト食品ばかりだ。
何処ぞのオリーブオイル使いのように今時料理ができる男子はかっこいいとかで料理が得意な独身男が増えているみたいだが、ファッション関連の店に勤めているくせに流行りに興味がない俺には関係ない話である。
カップラーメンうめえけど、何か文句あるか。
と心の中で悪態つきつつ買物カゴの中に適当に放り込んでいくと、ふと、見慣れた姿を視界に捉えた。
思わず俺はパスタコーナーの売場に入っていった彼女の背中を追いかける、しかし、売場には入らず俺は足を止める。
いや、正しくは止めることしかできなかった。
パスタコーナーにいたのは彼女だけではなく、親しく彼女と話す男の姿がある。
何を食べたいか何をいつ作ろうかという内容の二人の会話はたまに顔をあわせる恋人というよりはいつも一緒にいる夫婦を連想させた。
彼女の横顔は子供っぽく笑っているのに、でも、俺の知らない表情みたいに思える。
結局俺は彼女に声をかけることなくまるで逃げるようにスーパーをあとにしたのだった。


次の日の朝、出勤早々店の前で彼女と出会した。
今日にかぎって彼女と出勤のタイミングが重なってしまったらしい。
何も知らない彼女はパタパタと俺の側にかけ寄りにこやかに挨拶してくる。
ダメだ、なんだかむしゃくしゃして仕方がない。
自分はもう立派な大人のはずなのに今にも彼女に対して感情を剥き出しにしてしまいそうだった。
最も、どんな感情からかは俺にも分からず、彼女に対して何をぶつけたいのかも分からない。
ただイライラする、それだけだ。
結局その日は極力彼女から避けて仕事し、また彼女も何かを察したのか俺にあまり話しかけてこず同僚達の輪にずっといたのだった。
時折俺と目があう彼女の表情は少しだけ寂しそうな色を含み、俺はこの状況を作ったのは俺が原因なのに彼女のその表情を見るたびに胸が痛んだ。
案外歳の離れた後輩とやっていくのは難しいことなのかもしれない。


彼女とギクシャクした関係になりつつある数日後の夜、俺は彼女と帰宅する時間が重なった。
なんだか気まずくて彼女から目を逸らす俺に彼女は曖昧に微笑みながら話しかけてくる。

「何処にお住みなんですか?私はすぐ近所なんですよ」

あまり反応の薄い俺に彼女はいつもの人懐こい態度で次々と質問を投げつけては会話を続けようとする。
その彼女の気遣いに不思議と心が軽くなった。

「俺に気をつかってんな」

ガシガシと彼女の頭を乱暴に撫でてやると彼女は花が綻ぶような笑顔をみせた。
やっぱりかわいい、俺は彼女の笑顔が好きだ。

「だって虹村さん、ここ最近ずっと元気なかったから」

「年中能天気のおまえと一緒にするな。俺は毎日考えることが山程あって忙しいんだよ」

「わーん!虹村さんが虐める!」

「おいコラ」

彼女がふざけて泣き真似をする。
こうして軽口を叩ける間柄ということは、彼女も俺を兄のように慕ってくれているということだ、そう自覚した瞬間、頭の奥がスッと冷え代わりに瞼の裏が熱くなった。
でも、胸の中はあたたかい。

「それじゃあ、私はこの辺で」

例のスーパーの近くに差し掛かったところで彼女は別れの言葉を告げた。
俺がまた明日と返事すれば彼女はにっこり笑ってすぐ横の通りを歩いていく。
彼女が俺の隣からいなくなった瞬間、夜のネオンが眩しいはずなのに全てがモノクロの世界のように俺の視界に焼きついた。
ただ一つだけ色があったのはこの数日前にはなかった銀色が彼女の左手の薬指に彩り、それを俺は無意識に目で追っていたわけだ。

「妹、か」

雑踏に紛れた俺の呟きは誰にも聞こえず、彼女にも届かない。
彼女は出来の悪い妹、だけど、一つだけはなまるをあげるとしたら。
そこまで考えてからフッと表情が緩む、それから俺は帰路を歩き出した。
そして次の日、朝一で仕事に行った俺は彼女の定位置となりつつあるレジを置いたカウンターに一つのデザイン画を置く。
いつも一生懸命な彼女に俺が兄として精一杯できること、それは彼女に似合う洋服をデザインしてやることだった。
認めたくないが彼女はうちの看板娘としては、はなまるだから。
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