絶望はいつも少し
やさしい


「ねえ、精市くん。話があるの」

それに気づいたのは、いつだっただろうか。ふとしたときの彼女の表情には、紛れもない真実が浮かび上がっていた。悲しい真実に気づいたとき、俺は彼女から目をそらした。何も気づかないふりをして。
長い睫毛が邪魔をして、伏せた彼女の瞳は俺には見えない。それでも、彼女の言う話がなんなのかを悟っていた俺は、

「そうだ、俺もきみに話したいことがあったんだ。もちろんきみから話してくれていいよ」

彼女にそれを言わせなかった。優しくて遠慮がちな彼女の性格を利用して、俺は彼女の本音を押さえつけた。そうすれば彼女は、困ったように眉を下げるのだった。「精市くんから話して?」と決まり文句のように言い、俺の話が終わって彼女に「それで、何の話だったの?」とまるで気づいていないふりをして訊けば、なんでもないよ、と首を振る。そうやって、何度も彼女の言葉を遮った。


「みょうじさん」

中庭で彼女と楽しいお昼の時間を過ごしていると、爽やかな感じの、イケメンと言っても差し支えない男が彼女の名前を呼んだ。なんだこの男は、と少し攻撃的な瞳を向けたのは、ほとんど無意識だった。
優しい彼女は、俺を気にしながらも男と話し始めた。ああ、と少し情けなくなる。こんなにも些細なことで俺はどす黒い感情を抱いてしまうのだから、面倒くさい。聞いていると、どうやら委員会のことのようで、彼女を疑わなくてもいいのはわかる。わかっている、けれど。
俺はどこかで、この男と自分を比べていた。馬鹿な話だとは思うけれど、今日初めて会って名前も知らない男に対して、勝手に、一方的に激しいライバル心を抱いたのだった。嫉妬なんて、こんなに醜い感情。

やがて2人は話し終えて、俺がこんな思いでいることはもちろん知らずに、笑顔で軽く手を振り合う。その爽やかな立ち居振る舞いが、どうにも気に入らなかった。いや、悔しかったのだ。彼女の笑顔を向けてもらえる彼が。なまえは俺の彼女で、俺はなまえの彼氏で、それはあの男にはないものなのに、どうしようもなく負けた気になった。彼が彼女のことを好きなわけでも、彼女が彼のことを好きなわけでもなかったのに。
まだ、このときは。


嘘がつけないタイプだと、彼女は自分でそう言っていたし、俺もそうだろうと思っていた。嘘がつけないと自覚している彼女は俺に隠しごとをしようともしなかったし、何か隠していても俺はそれがすぐにわかった。もっとも、彼女が大きな隠しごとをしていたことはなく、いつも必死に隠すものは俺にとっては大したことではなくて。隠しててごめんね、なんて可愛い彼女に謝られれば、俺は笑いながら彼女の頭を撫でるのだった。

ある日、彼女は俺に隠しごとをした。いつものような小さな可愛い隠しごとだと思っていた俺は、その隠しごとが何かを知ったとき、何も言わなかった。黙っていた。何も気づいてないよ、という顔をしながら俺は、彼女を縛りつけた。
彼のことを好きになったんだね。そう確認しなくても、彼女を見ていればわかった。わかりたくなかったのに。このまま、何も知らないままでいられたら、どんなによかっただろうか。何か言いたそうにする彼女を見ないようにして、俺は彼女に「きみが大事だ」と伝え続けた。知らないよ、きみの本当の気持ちなんて。気づいてないよ、きみが彼に惹かれていたなんて。
彼と楽しそうに話していた横顔を思い出す。彼女の心を変えてしまった男を、憎く思う。彼女を渡したくないと思う、たとえ彼女が願っていても。
思えば俺は、あの男と初めて会ったときからこのことを予感していたのかもしれない。だからあんなにも気に入らなかったのだ。きっともう、俺が何をしたって彼女の心を取り戻すことはできない。

「精市くん、」

きみの声を、聞かないようにして。耳を塞いで、俺に都合の悪い言葉を封じ込めて。きみの視線を追わないように、目を閉じて。何も見えなくてもいいから、聞こえなくてもいいから、だから、なまえ。

「そばにいてね、なまえ」

たとえそれが彼女を不幸にしようとも、俺の願いが叶うならそれでいい。そんなことを思ってしまう俺には、彼女を好きだと言う資格も大切にする資格もないのかもしれない。そうだとしても、俺はどうしても彼女を手放したくはないのだから、どうか神様。愚かな俺の罪をお許しください。

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