dream | ナノ
「来い」
所有物、と言うものなのだろうか。私に手を差し伸べ薄く笑みを浮かべている紅い瞳の吸血鬼は、そんなものを見るような目で私を見据えていた。情があるのかさえわからない。私が目の前の吸血鬼について知っていることなんて、片手で足りてしまうほど些細なことでしかないのだから。
「…どうかしましたか」
「黙れ。…来い」
余計な言葉を発したためか、薄ら笑いを浮かべていた表情が機嫌の悪い色に染まってしまった。黙って彼に近づいていたなら、機嫌を壊すこともなかったのだろうに。言葉を放つだけで不機嫌になってしまう彼の前では、私に発言権が無いのは見ての通り。普通の会話ならばともかく、命令の形で私に指示を出すときの彼は、私の些細な言葉も不愉快に感じるらしい。黙って言うことを聞けと、簡単に言えばそういう意味だ。長年の間一人で過ごしてきた孤独な吸血鬼は、他人とのコミュニケーションに多少なりとも難がある。まったくもって、面倒な性格をしているものだ。
「嫌です」
「…あ゙?」
「凄んでも、嫌なものは嫌です」
素直に言うことを聞けば良いものを、そんなことすら出来ない私の性格もまったくもって、面倒なものだ。不機嫌顔にプラスされた眉間のシワに嫌な予感はするけれど、最終的に言うことを聞かなければいけなくなるのは私なので、このくらいの小さな抵抗は許してほしい。それでなくても我儘なのだ、彼は。世の中自分の思い通りには行かないということを思い知るべきだと思う。
私の何十倍も生きてる彼にとって、それは身に染みてわかっているような気もするけれど。
「干からびてーのか?」
「いいえ、まったく。出来もしないことは言わないほうが良いですよ」
「はっ…自惚れやがって」
別に自惚れているわけではなく、彼はそんなことをしないと知っているだけだ。言葉では物騒極まりないことを遠慮もなしに言う彼は、私に対してそれを実行したことは一度もなかった。それは何故かと、考えてみても答えは不明瞭だけれど。
「…名前」
常に威厳に満ちている彼は、私の名を呼ぶときは何故かその影を霞めてしまう。己以外の名に触れることに慣れていないからだろうか。彼が孤独に過ごした期間など私は知らないので、すべてが想像にすぎないから何とも言えないのだけれど。
差し伸べられたままの彼の手がチョイチョイ、と招くような形で指を動かした。その動きに合わせて、私の足が勝手に彼に向かって動き始める。ああ、またか。数か月間この吸血鬼のテリトリーで過ごしてきた私にとっては既に慣れ切ってしまった感覚。
吸血鬼の特性なのか魔術なのかはわからないけれど、一度でも血を吸われた人はその後は吸血鬼の傀儡となり、体の自由を奪われる。つまりどれだけ私が反抗を示したところで、彼が私に命令をすれば自決させることすら他愛無いことなのだ。なんとも、恐ろしい。頭の中は支配されることがないのだから心の中で文句を言い続ける。恐ろしいと言っても、自決する気が無い私はこの状態でもそんなことするわけがないと一応、思ってはいるが。
自分の意志で手足を動かせない今、その時が来たら逆らえるかと聞かれれば、自信は微塵もないけれど。
「煩わせるんじゃねぇよ」
「…ほとんど動かないんですからこのくらい良いじゃないですか」
「良くねぇ」
「……我儘」
私を自分に引き寄せる彼は何を思ってそうするのだろう。
四人は座れるであろうソファの端で肘掛に体重をかけながら斜めに座っていた彼が、私の腕を掴んでから態勢を整えた。普通に腰掛けるようにしてから、腕を掴んでいるのとは反対の手で空中にくるりと円を描くと、私の体が半周して彼に背を向けるようにしながら腰かける。必然的に彼の足の間に座るような形におさまってしまい、私は吐いてしまいそうな溜息を押し殺した。後ろから覆いかぶさるように腕を回してきた彼にやれやれと思いながら、既に支配から溶けている体を彼に向けて傾けた。
「ねえ」
「なんだ」
「…なんでもない」
首元に埋められた彼の頭、黒髪がゆらゆらと視界の端から見えた。
私を抱き締めるその力は、何故か泣いてしまいたくなるほど優しい。首筋にかかる彼の吐息に時折ぴくりと反応しながら、私は静かに深呼吸をしながら瞼を閉じた。
「XANXUS」
可哀想な、可愛そうな、孤独に染まる吸血鬼。
首筋にかかる息が荒々しいものとなり、口を開いたらしい彼の生暖かな吐息が私の心搏数を上げる。不意に感じた硬い牙の感触に、訪れる儀式を想像して汗が滲んだ。
彼の掌が牙を添えている方とは逆の私の頬を撫で、そのまま首筋を愛撫するかのように行き来する。背筋が震えた瞬間、感じた鋭い痛みとそのあとのひどい快楽に思わず口を掌で押さえた。
「…んっ」
「名前」
切ないその声は何故なのか、私は知らない。真祖であるため血を吸わなくても生きていける彼が、わざわざ私に牙をたてるその理由も。
「名前…っ」
けれど、ただ一つ確かだと言えるならば。
私を抱き締める彼は、私と、人と変わらない温もりがあるというその事実。
それだけ。
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