dream | ナノ

「名前、居るか?」

「あー……名前さんはただいま不在ですのでどうぞお引き取り下さいー」

「あーん?なら俺様の目の前に居る貴様はなんだ?」

「幻」

「馬鹿か。行くぞ、来い」

馬鹿って言った方が馬鹿なんだぞ!と首もとまで競り上がった文句を押し留めてうわーめんどくせーと内心だけで一人ごちる。
行くぞ、と言ったわりには中々教室から出ていかない景吾に、やり過ごし作戦を早々看破された私は仕方なしに渋々椅子から立ち上がった。
彼が教室に入ってきた頃から痛いほど響いていた黄色とピンクの姦しい声が、今にはヒソヒソとした疑惑と嫌悪と好奇心のささやかなざわめきへ変貌している事になんだかなーと頭痛を感じた気がする。
この男、自分の立場がわかってないのか……いやむしろわかってないわけがないんだよなこいつの場合。

「行くぞキング」

「あーん?なんだ、いつもみたいに景吾って呼、」

「ちょっ、おま…良いから行くぞアホべ!」

「アホ…っ?!貴様待ちやがれこの雌猫…!」

不意打ちの爆弾発言による周囲の反応に嫌気がさす。
こんな公衆の面前で普段は景吾呼びだということがバレたならきっと私に明日は訪れないだろう。
いやガチで、良くて社会的に抹殺、悪くて物理的に抹殺という不穏な選択肢しかないこの現状はどう足掻いても絶望だ。
教室内の生徒達が意味を理解する前に勢いよく廊下に飛び出て私はひたすら逃亡した。
背後で久々に向けられた雌猫という言葉にむず痒い何かを感じながら、どうせ行き先は決まっている上現役運動部の彼に追い付かれないわけがないと容赦なく足を動かす。
ああこのままじゃもしかしたら午後の授業はサボりになるかもしれない。
すべての行動に意味がある、というほど頭を使う男ではないけれど、さっきの行動はどう考えてもわざとでしかなかったため走り続けながら盛大に溜め息を吐いた。
一昨日の土曜日辺りから私達は付き合い始めたわけだが、もちろん休日の間起こった出来事なので流石の氷帝生徒たちは知るよしもない。
雪と麗奈、テニマネは双方が教えたので知っているがその三人だけなら別になんの支障もないから知っていても全然良い。
しかし、だ。
平日のお昼休みな今、朝から少し様子が怪しかったこいつが何かをやらかす気がしないでもなかったのだが。
何かをやらかさなくともその存在だけで注目の的となる彼の影響力を私は完全に見誤っていた。

「名前!」

「うおっ、と」

「どこまで行く気だ、馬鹿」

「……とりあえず誰も居ないとこまで」

後ろから捕まれた腕をぐいっと引っ張られ、ポスッという間抜けな音をたてながら背後から抱き締められる形になった現状にこれまた私は絶望した。
生徒達がチラホラと行き交う広い廊下、そのど真ん中で氷帝一の有名人が女を抱き締めているこの図。
あ、私詰んだ。
周囲から響き渡る阿鼻叫喚に此処は地獄かとツッコミたいが、最早言い訳すら浮かばない周りの現状にチキンな心がうすらと涙を浮かべた。
いや、この場合私と一部の方にとっては確かのこの状況は地獄でしかないんだけどな。

「あの女一体何様なの?!」

「跡部様が…っ!跡部様が…っ!」

「だ、だ、抱き、抱き締め、」

「い、いやあああっ!いやあああっ!」

「私の跡部様が…っ!私だけの跡部様が…っ!」

「ちょっとあんた!跡部様が誰の跡部様だって?!ふざけるんじゃないわよ!」

「いや私よりあの女に言ってよ!」

「そうよ貴方!私達の跡部様に抱きつくんじゃないわよ!抱きつくんじゃ……抱きつくんじゃ…?…………あ、た、大変よみんな!跡部様があの女を抱き締めているわ!」

「そんなのわかってるわよ!きっと跡部様はあの女に脅されていらっしゃるのよ、でないとこんな羨まし……じゃなかったこんな現実起こるわけがない!」

「そうよ!貴方跡部様に何をしたの?!教えなさい!」

「跡部様私も抱き締めて!」

「跡部様あああっ」

もういっそ殺してくれ。

「ふ…悪いなお前達。俺様が抱き締めるのは生涯こいつただ一人だ。俺を諦めろと無茶なことは言わねえし、こいつを罵倒するなと無理なことも言わねえ。名前はどう見ても罵倒したくなるような女だからな、仕方ない。だが、危害だけは加えるな。それ以外なら俺様を独り占めした罪だ、存分に罵声を浴びせてやれ。それくらいのことは甘んじて受けなきゃ行けねえくらいに、こいつは罪深い女だからな……なあ、名前?」

その自分に酔ったドヤ顔に拳を埋めても私は許される気がするのだが、本当にやっても良いだろうか。


2013.8.26

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