dream | ナノ

ポツリ、コンクリートの地面に黒い斑点が浮き上がる。
鼻先の濡れた感触に腕を伸ばしながら空を見上げれば、掌に感じた水滴に気付き名前はゆったりと立ち上がった。

「降ってきたー」

「…中入るか」

「そだね」

泣き出した空の下ではいつまでも屋上にいるわけにはいかない。
徐々に強まる雨足に追い立てられるよう校舎に入れば、この後はどうしようかとむぅ、と名前は微かに唸った。
校庭が静かになっても姿を表さない静雄が気になり、退屈だった為授業を抜け出して居そうな屋上に足を運び無事に見付けこうなったわけだが。
計画性が皆無なためこのまま授業に戻るか、それともこの踊り場でサボり続けるかを天秤にかける。
自分はまだしも、静雄のことを思えば教室に戻り授業に参加した方が良いことはわかるのだが、如何せんその本人が教室に来なかったのだから行きたくないのかもしれない。
じゃあこのままで、と直ぐに結論を出した名前は屋上に続く扉の前にある下り階段に腰を下ろした。
当たり前のように隣に座った静雄を見て、やはりサボり続行かと内心呟く。
確かにあれだけの人数を吹っ飛ばした後、教室に行くのは抵抗があるかもしれない。
彼が気にするとは正直余り思っていないが、不躾な視線を向けられるのは避けられないだろう。
気にしていようがいまいが、好奇の目を向けられることに悦楽を感じるような性格ではないということは名前も理解しているつもりだ。

「ていうかよ」

「あん?」

「お前何しに来たんだ?」

数秒の沈黙を破ったのは襲撃に驚いていたため後回しになっていた疑問についてだった。
首を傾げる静雄に可愛いなあと思いながら、特に何も考えずに彼を捜していた名前は苦笑を溢す。
気になったから来た、ここに居ると思ったから訪ねた。
思ったままの行動をしただけの彼女に明確な理由など存在しなかった。

「あー…教室から見えてたのに中々来ないから、なんか気になって捜してただけなんだよねえ……特に用はない」

「んだその理由。今授業中だぞ…大抵サボってねえかお前」

「あんたもな。てかまあ、兄貴から聞いたけどこの学校サボっても卒業できるらしいし?なら少しは良いかなって」

「…それデマだぞ」

「え」

デマ、という一言に反応した名前は目をパチクリと瞬かせる。
兄から聞いた話では、クラスの何人かにも問題児が存在していて彼等は生活習慣を正すことなくこの二年間きちんと進級しているらしい。
三年生になった今もそれは変わることもなく、兄曰くこの学校は進級も卒業するのもとてつもなく楽な所だ、と。
兄が情報源ということもありそんな話を鵜呑みにしていた名前だったが、目の前に居るサボり仲間だと勝手に思い込んでいた友人に否定されたとなればとてもじゃないが焦らずにはいられない。
兄からの説明を簡潔に静雄に話せば、心底呆れたという眼差しを向けられる。
その反応だけで自分が聞いた話は全てデマだと確信した名前は青ざめながら口角をピクリと引き吊らせた。

「うっわマジかよ…いやでも今の所午後しかサボってないし…大丈夫、か?」

「因みに俺は一応なんとかカリキュラムってやつやってるから、全部出席扱いだ。その先輩達も進級してるならちゃんと補習受けてるんじゃねえか?」

「なんとかってなんだ。つか、え、マジで?ズルくない?マジで?私終わりじゃん。兄貴殺す」

「まだ一週間くらいだろ?今から真面目に出れば問題ねえよ」

「あー…卒業はしたいからそうするわ」

「そうしとけ」

「…あんた意外とちゃっかりしてんのね!びっくりだわ!!」

「俺も出来りゃこんな生活したくない」

「でも今は普通にサボりじゃん」

「あー…まあ、うん…そこについては何も言えねえ」

ガシ、と自分の頭を掻きながら静雄は小さく呻く。
どうやら彼の中にも何かしら葛藤があるらしいと見た名前はそれ以上話を突つくのをやめた。
静雄自身、目立つ行動のせいか余り知られてはいないが常識的な思考の持ち主である。
その常識に対して理想に似た思想も持ち合わせているせいか若干偏り気味なところが顕著であるが、今はそれも置いておく。
生活態度はキレなければ優等生とも言えるだろうが、その特徴をまったく生かすことの出来ない彼の日常は確かに憂うものがあるのかもしれない。
――…前々から思ってたんだけど。
不意に、静雄の生活を思い浮かべていた名前は以前から引っ掛かりを感じていた疑問を思い出した。

「ね、話変わるけどさ」

「ん?」

「朝から喧嘩吹っ掛けられるって前からあったわけ?」

「……いや、ここ最近」

「なんかそれおかしくない?」

「……どこが?」

キョトンと虚を突かれる質問に静雄は首を傾げた。
納得出来ない、といった表情で疑問を投げつけられたところで、自分から喧嘩を売るわけではないのだから相手側の事情など考えたことすらない。
何か変だろうかと多少考え込んでみるも、理不尽な暴力と不愉快な気分、自己嫌悪を思い出しただけなので彼は即座に考えることをやめた。
考えていたことを切り替えるために頭を何度か左右に振れば、考えが纏まったらしい名前が徐に口を開いたのでそちらに意識を集中させる。

「だってさ、不良って大体夜更かしじゃん?行動時間なんて昼間ごろからがデフォじゃん?放課後ならまだしもあいつらだって人間なんだし、朝って眠いしダルくない?そう考えるとあいつらがなんかすんごい早起きする健康的な良い子ちゃんにも思えてくんだけど、どうよ?」

「…いや、どうよって言われても」

「静雄って朝苦手?」

「場合によるけど普通だ」

「ならなんでわざわざ健康的に朝っぱらから来るんだろうねー、現状は変わんないのに」

「…さーな」

浮かんですらいなかったその指摘に関心半分、何か引っ掛かるものが半分の心境で神妙な顔をする。
朝喧嘩を売られる事象は二週間程前から始まったものであり、確かにそれ以前を思い返せばほぼ放課後であった上さすがにこう毎日というのも違和感がある。
喧嘩を売られるという行為事態は不本意ながらも昔から何の変化もない日常となってしまっているため気付きもしなかったが、今の状態は確かに異常と言えるだろう。
ちらり、と自分と同じくらい神妙な顔で何かを考え込んでいるらしい名前を盗み見る。
勘で喋っているのか、それとも何か詳しい事情でも知っているのか。
一昨日の一件もあり前者の可能性の方が高いのは明白ではあるが、何か釈然としない物が引っ掛かる。
力を制御できない状態に陥ってから、このように普通に接された覚えがないため何処か戸惑う部分があるのも自覚はしているが、それとはまた違う違和感。
他人とのコミュニケーション不足が災いしているのかと適当な答えを浮かべたなら、自分の考えすぎかと簡素な結論を出しはしたがそれでも納得いかない違和感に静雄は僅かに眉をしかめた。

「なんかあんたって複雑な環境で生きてんだねえ」

「…思ったんだけどよ」

「ん?」

「お前、俺が周りに喧嘩売ってるとは思わないのか?」

訝しげな表情に変化した静雄を名前は目を瞬かせながら凝視した。
まったく予測していなかった話の展開に、驚きも通り越して彼女はポカンと口を開く。

「俺は暴力が嫌いだ。出来れば喧嘩なんてやらずに平穏に暮らしたいって思ってる。だからこんな風に毎朝喧嘩して遅刻したりサボんのは確かに不本意だし望んでねえ」

「…」

「でもさ、んなこと言わなきゃ誰もわかんないだろ?普段の俺があんなだからな」

「…そだね」

「…じゃあなんでお前は俺が一方的に喧嘩を売られてるって思うんだ?」

静雄って意外と饒舌だよな、とまったく関係無いことを考えながら呆けた名前は若干現実逃避を謀った。
確かに、あんな暴力を振るうような男は不良だとみなされて喧嘩などむしろ自ら進んでやっていると思われるのが普通だろう。
暴力が嫌いで自身は望んでいない、と彼が主張したところであれだけ容赦なく人を吹っ飛ばす奴が何をバカな、と思われるのも少なくない筈だ。
ならなぜ彼女は本人から聞いたわけでもないのにそれらを知ったような口をしたのか?
簡単に言えば『知っている』からだ。
しかし、と。
名前は現実逃避を謀っていた頭を正気に戻して呟く。
確かに彼の日常は小説やアニメで『観た』事があるから知った風にしてしまったが、それはそんなに問題だろうか。
目の前に存在して確かに会話を交え自分に疑問を感じている彼が、このような違和感に反応してくるとは思ってもみなかった。
そういう勘の良さは彼女も知らなかったのだ。
確かに本人に言われたわけでも他から知らされたわけでもない彼女が断言するようにあんな発言をすれば疑問を感じるだろう。
バカではないんだなあと染々、失礼なことを頭の中で呟く。
失礼なことを思いながらも名前はここで自分は何を言うべきかと若干頭を悩ませた。
ここで自分が知っていた、と言った所でそれは人を寄せ付けない己がどうやって知り得たのかという無駄な疑惑が浮かぶかもしれない。
彼にそんな聡いところがあるなど兄も言っていなかったためやはり周りはそんな静雄の内情など知りもしないのだろう。
しかし、と。
己の一方的な知識とはまた別に、彼女には察することが出来る特性は確かに存在していた。

「まあ…見てりゃわかるよ」

「…」

「あんたの場合さ、別に喧嘩するからって不良で不真面目ってわけじゃないじゃん?不真面目な奴が授業でノートとったりしないし。さっきもなんか落ち込んでるっぽいから私驚かしたんだよ、意味わかる?」

「…ああ、あれか」

「理由は知らんけど落ち込んでたのは確かだからさ、あの後だったからもしかして反省でもしてんのかな、と思ったわけ。喧嘩強いから喧嘩が好き、なんての考えたことないし。私だって別に喧嘩好きなわけじゃあないし」

「ああ…あ?」

「あー…なんか頭こんがらがってきた……」

纏まらない思考では支離滅裂で脱線してきたような中身に冷静さをフル活動させる。
漠然とした感覚しかないため言葉にするのが難しい。
きっと自分が暴力的な喧嘩をしたことがないと思っているだろう静雄に、それを伏せたまま理由を話すのは困難なことに思えた。
説明するにしても、今までの経験上そういった人を見る目が肥えてるとしか名前には言い様がない。
経験則とでもいうべきか。
いくら能天気に過ごしてきたとしても伊達に年長者として生きてきたわけではないし、年若い青年の葛藤を理解できないほど名前も子供ではないのだ。

「…簡単に言えば」

「うん」

「あんたがこういうことを好きこのんでやるような奴には見えなかったっつう、それだけなんだけど」

納得してるのかしていないのか、考え込んだ表情を崩さない静雄に名前は何度目かわからない苦笑を溢した。
トリップしてきた、と言った所で益々怪しい奴でしかない事を理解しているだけあり、ここ数日で感じた些細な印象から汲み取るしか手がない。
嘘はついてないが、本心でもないこの言葉は説得力に欠けるだろう。
勘が鋭いらしい彼がこれで納得するとはあまり思えなかったが、納得されなければ彼女も打つ手がない。

「はい、終わり、この話終了!そんなに気にすんなよ、ほぼ勘で話してるだけだし」

「…聞くがよ」

「うん」

「臨也は関係ねえんだよなあ?」

「……は?」

唐突な発言に次こそ名前は完全にポカンと呆けた。
折原臨也?え?なんで?と首を傾げながら困惑の表情で大量の疑問符を頭に浮かべる。
一昨日初めて出会した人物であり、彼女にとっては名前も聞く前に強制的に対話を中断してしまったとるに足らない人物。
本気で意味がわからないと全身で主張している名前を見て、納得がいったのか訝しげな成を消した静雄は彼女の頭に手を乗せた。
一人だけ納得したらしいその様子に名前は益々困惑する。

「いや、関係ねえなら良い。俺の事どうこうよりまあ、なんかそれが引っ掛かってただけみたいだからよ」

「…は」

頭をわしゃわしゃと撫でられながら言われたそれに、意味を理解してきた彼女は段々目が据わっていった。
悪かったな、とでもいうように乱される頭髪の感覚に意識を向けつつ、それはつまり、と会話の確信に勘づいていく。

「一昨日、お前あいつと喋ってただろ。色々詳しいみたいだしもしかしてなんか関係あんのかと思ったけどまあ、違うよなあ…悪い」

「…あれ勝手に話し掛けられただけだよ」

「そうか。ならあとで殺してくるわ」

よしスッキリした、と言っている男をジト目で睨む。
臨也のことが引っ掛かりなっていたらしい静雄に気付いた名前はかなりの重量で脱力感を覚えた。
何故か下ろされない掌を眺めつつ、この男は一つのこと以外では思考を働かせないんだなとなんとなく理解する。
――うーん…最初もっと重要な話してた気がするんだけどな…。
そう思いはするものの、撫でられる感触に意識が向けばどうでも良くなってしまった。
――ま、良いか。
心地良い空間が戻れば、彼女は基本的にどうでも良かった。

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