dream | ナノ

静寂に包まれる屋上の片隅、広がる曇り空をぼんやり見つめながら溜め息を吐く。
数分前に片した乱闘で、体力はともかく精神的なダメージを負っていた静雄は自身を囲む環境にうんざりしていた。
家から学校に向かう途中は確かに何もなかったのだ。
久々にこのまま何事もなく教室まで辿り着けば良いと考えていた矢先、見慣れた校舎を目にすればそれと同時に見たくもない現実を直視してしまったため彼はその時点で既にキレてしまっていた。
数に物を言わせたのか馬鹿みたいにうじゃうじゃと向かってくる輩をいつものように全員沈めたわけだが、本日も遅刻をしてしまったという事実が彼に重くのし掛かる。
今の時点で普通なら退学になってもおかしくはないが、そこは来神高校の特殊な所。
ただでさえ問題児が増えてしまった今年度、それを受け入れているのだから滞りなく教育費を支払い続ければ自主的に申請しないかぎり自宅謹慎や停学はあろうと退学には滅多にならない。
静雄の場合は自らが絡まれてしまう側ということもあるが、それを抜きにしても前例が無さすぎる生徒な為学校側がどのような処遇を下すべきか判断がついていない状態だ。
風紀の乱れが顕著になってしまった昨今、遅刻など学校側からすれば可愛いものでしかないのだが、静雄の場合本人の若干ずれた道徳意識がそれを許さない。
健康体を持つ学生でいる限り生徒は日々勉学に励む義務がある。
そんな常識を頭の片隅に置いていても、自分の現実ではその常識さえ叶うことが難しいと彼は痛いほど理解していた。
本人は望まない現実だが、その望まない日々が日常化している時点で彼は自分の暴力と同じくその常識さえ諦めている節がある。
しかし、それでも。
完全に諦めきれないが故に感じてしまうその後悔は彼の本質を表していた。
彼は自分の現実を日常だと認めたくなかった。
悪足掻きだとわかってはいるが、いくら遅くなろうと毎日学校まで辿り着き出席を取るのはこの理不尽な現実へ彼なりの抵抗である。
放課後であっても、申請したあと出された宿題のプリント等を提出すれば出席扱いにしてくれるようになった教師陣に感謝しつつ、静雄は今にも降りだしそうな空をぼんやり見ていた。
遅刻することはほぼ毎日なのでもう完全に諦めた方が良いのかもしれないと思うが、今こうして教室に向かわない自分の矛盾が彼の心を掻き乱す。
自分がどう行動したいのか、彼はそれさえわからなかった。
このままの生活を過ごしても、教師陣の好意的な態度が変わらない限り卒業することは可能だろう。
しかし、それを理由に取り巻く環境、自分を煙たがる他者と関わることから逃げているだけの卑怯な心を彼は心底嫌悪していた。
――今は誰にも会いたくねえ。
弱い心は視線の暴力にも酷く反応する。
思春期特有の心の機敏さは彼にとって猛毒なのだ。

「――わっ!」

「うおっ?!」

考え込んでいた末上の空になっていたならば、唐突すぎる奇襲に静雄は全身をビクッと素直に反応させた。
声をあげ目を丸くしながら奇襲をしてきた人物を反射的に見れば、すぐ隣に仁王立ちしながら爆笑している女がそこにいる。
まったく気づかなかった、と驚きでドキドキと音を立てた心臓を確かめるように彼は胸に手を当てた。
高鳴る鼓動は犯人を確認したところでやむ気配を見せない。

「び…っくりしただろうが手前、急に何すんだ俺の心臓止める気か?ああ?手前の心臓止めるぞこら」

「あっふ、ぶふっ…ちょっ、ごめんまじごめんそんなに反応すっと思ってなかっ……ブフッ」

「笑うな。…おら、デコ出せ」

「ふっ、フフフッ……へ?なにブハァッ」

「あ……ワリィ」

羞恥心と止まない笑い声にイラッとした静雄は、笑いすぎで隣に座り込んだため距離が近くなった無防備な女の額に軽くデコピンをした。
思いきり殴るわけにもいかず、かなりの手加減をしたのだが身構えてすらいなかった女はその一つのデコピンで頭を地面にぶつけるほど上半身に衝撃を受ける。
頭を抱えながらスカートだというのになりふり構わずのたうち回るその姿はもはや痛みしか頭にない。

「ぐあああ…っ!何コレやべえ脳細胞億単位で死滅したコレ絶対やべえ死ぬ…っ」

「あー………うん。手前が悪い。てことでこれに懲りたら二度とあんなことすんじゃねえぞ」

「うおお…っ」

「聞けよ」

「聞いてる!聞いてるから!てかある意味効いてるからその手下ろして!次こそ死ぬ!ごめんなさい!」

再度親指と中指をくっつけた状態で迫ってきた手に名前は全力で謝罪した。
内心ドエスか!とツッこんでいるがこれを言ったが最後、謝罪しても許されそうにないため言葉は喉の奥に押し込む。
呆然と空を見ていた静雄に沸き出た悪戯心をありのまま仕掛けてしまった名前は、予想以上の反撃に痛む額と後頭部をさすり続けた。
痛みのせいで涙目になりながら静雄を見上げる。
視線で本気の謝罪を伝えようとしっかり見つめるが、今にも溢れ落ちそうな涙目で上目使いをされた本人としては、視線で向けられる謝罪を汲み取る余裕がまったくなくなるほどの衝撃を全身に受けてしまっていた。
――…おいおい。
ゾクッとした甘い感覚が背筋を過り、無意識に飲み込んだ唾の音が頭の中を反響する。
涙目で潤んだ瞳、それを縁取る長い睫毛が至近距離で彼にこれでもかと存在を強調していた。
痛みに歪んだ半開きの唇はリップクリームでも塗っているのか、美味しそうに艶めいていて名前の今まで意識していなかったその色香に静雄は脳髄が痺れる。
――…ちょっ…え?
急に意識してしまったその『女』の姿に彼は混乱した。
少し前まで地面にのたうち回っていた女と言えない女が、今は妙に違う目線で見えてしまう自分が己のことながら信じられない。
――…よし、冷静になれ俺。
脈打つ鼓動がバクバクと違う音を奏で始めたが、気のせいだと強く心に言い聞かせる。
自分の好みは落ち着いた年上でありこんな女はこれっぽっちもタイプではない、と暗示を掛ければ静雄は幾分気分が落ち着いたのを感じた。

「…ごめんなさい!」

「…おう」

額に当てた手を離さないまま謝罪する間抜けな女を冷静に見つめる。
さっきのあれはなんだったんだ、と完全に正気に戻った静雄は深い溜め息を吐き出した。
――…どうかしてるぞ俺。
次々と起こった様々な現象に、自分が落ち込んでいたことを忘れた彼は名前の額に手を当てた。

「手どけろ」

「うむ」

「…よし、腫れてはねぇな」

「うん。……てかむしろ地面にぶつかった方が痛いんだけど」

「あ?…意外と丈夫だなお前」

頭ジンジンする、と言いながら後頭部をさする名前に静雄は内心驚く。
コブが出来ていないか確認するため自身も彼女の後頭部に手をやれば、肌触りの良い毛並みを確認しただけでコブのような不自然な出っ張りは感じない。

「……おい」

「ん?」

「何してんだよ」

「いや、やりたくなったからつい」

「ついって…」

「髪の毛思ったより痛んでないねー。なんで?こんな金髪めっさ脱色しなきゃならんだろうに……羨ましいわ」

静雄の真似でもしたくなったのか、それとも以前から思っていた撫でたいという欲望に忠実になっただけなのか。
端から見れば撫で合いをしている奇妙な光景。
名前は痛みも忘れたかのような笑顔で、彼の頭を堪能するように優しく優しく撫でていた。
慈愛すら感じてしまいそうなその動作に、静雄の落ち着いていた胸騒ぎがまた反応を示す。
撫でられるのも撫でるのも好きな彼女は癒しを感じているのか、気の抜けた笑みを浮かべてその動作を繰り返していた。

「良い子良い子」

「なに言ってんだバカ。やめろバカ。…もういいだろ」

「なんか遠慮なくなったなあんた…まあ良いけど。静雄がやめたらやめたげる」

いまだに彼女の頭に乗せたままの手を見詰めて静雄は暫し考えた。
数秒固まりながら考え込んだあと、考えがまとまったのか緩く動きを再開する。
ハネッ毛が多い割にはさらりとした感触の心地好さを堪能すれば、この手を離すのが惜しく感じた。

「ふへへ」

「…うるせえ」

「うん」

動作で了承を確認した名前が嬉しそうに声を溢す。
呑気な笑顔を見ている内に、緩やかに波打つ鼓動が安堵感に変わった気がした。
頭を撫でられる心地よさを二人で同時に堪能する。

「こんなとこ誰かに見られたら恥ずかしすぎてヤバいねー」

「誰にも言うなよ」

「私言う人居ないからそりゃこっちのセリフなんだけどねえ」

「…言えるわけないだろ」

「しーずん良い子ー」

「やめろ」

「とか言いながらそっちもやめない癖に」

穏やかな光景は曇天の下で繰り広げられる。
懸念通りその二人の光景を眺めながら一人面白くない顔をしている人物がいるのだが、それは後々知ることであり今の二人は知る由もない。

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