dream | ナノ

目的地がわからなくなるたび道行く人を呼び止め、時折来るナンパは話に乗ったフリをしながらそれとなく所在地を聞き出し逃走する。
そんな面倒なことを繰り返しようやっと辿り着いた露西亜寿司の前で、名前は見るからに戸惑っていた。

「オー、静雄まだ来ないネ。女の子待たせる悪イ、女の子身体冷やしちゃ駄目ヨ。お店入ると良いネ、外寒いケドお店はポカポカ。お寿司食べればお腹もポカポカ。静雄のガールフレンド安くするヨー、静雄来たら二人で安いヨー」

「いやサイモンさん、本当まだ大丈夫なんで…」

「ンー、でも連絡無い、イコールまだまだネ。静雄なら大丈夫、名前が外に居れば静雄も心配するヨー。お店に入れば静雄もハッピー名前もハッピーお店もハッピー。みんながハッピー平和的解決ネー」

「なんかよくわかんないけどたぶんそれ違う」

「オー」

大柄の黒人に絡まれる女子高生の図とは怪しさ満点ではあるが、そこに疚しさが見えないのは飛び交う片言の日本語と黒人の服装、そしてその場に意味がある。
寿司屋の和装に身を包みニコニコと話をしている黒人は何処に話が逸れようと最終的には来客へ繋げようとしている客引きのそれであり、この場を立ち止まってしまったなら誰しもが体験することなので道行く人は誰も気にしていなかった。
目的地を変え露西亜寿司の前を待ち合わせ場所に選択した本人はその客引きにあい大いに戸惑う。
サイモンと接触してみたいという煩悩がなかったわけではないが、ここまで猛烈な客引きに出会ったことの無い彼女は内心冷や汗を流していた。
なにより規格外なその体型は迫力満点であり、いくら笑みを張り付けていようと黒人との接触が初の名前は圧されてしまう。
――はやまったかも。
店内に入らなければ梃子でも店に戻りそうにないサイモン、引き吊り笑いでそれを流そうと奮起している名前。
ここを待ち合わせ場所に指定したのだから露西亜寿司を堪能する気は満々なのだが、静雄が来るまで店内に入る気が毛頭無いため彼女は困っていた。
お客のお見送りのためかなんなのか、繁盛時だというのに外に出てきたサイモンにうっかり見付かり、そしてうっかり静雄を待っていることを名前が話してしまいこうなったわけだが。
休日の繁盛時、飲食店ともなれば猫の手も借りたくなるほどお店が込み合うことを理解している元飲食店員はどうやってもサイモンを店に戻したかった。
主に露西亜寿司店員さんの為に。

「静雄来たら入りますって、そしたら美味しいお寿司よろしく」

「オー、本当ネ?嘘ナイナイ?」

「ナイナイよー、安くしてね。ほら戻った戻った」

「合点承知。…Ты впорядке?」

「え…ごめんまったくわかんない」

「…ダイジョブそうネ」

「う?うん」

何処と無く微笑ましいといった眼差しを向けられた気がして首を傾げた名前だが、店内に戻るサイモンを確認すればホッと安堵の息を吐いた。
静雄が来る前に先に店内に入り一人でぬくぬくと待つつもりはないし、その我儘のせいでお店の人を困らせるつもりもない。
なにより、いまだに連絡が来ないことを考えればサイモンの言う通りまだまだ静雄は来ないのではないかと名前は思っている。
どこで何をしているかはわからない、もしかしたら着信やメールに気付いていないかもしれない。
それとも自分のことが面倒になり帰ってしまったのかも、と自虐的な言葉が浮かんだが名前は首を左右に振ることによってその考えを否定した。
もし本当に帰っていたとしても、彼がメールの一つも寄越さずそれを実行するような無責任には思えない。
この考えは静雄に失礼だと自分を戒めれば、無責任なのは自分の方だと彼女は少し落ち込んだ。
便りが無いのは元気な証拠だと言うが、この短い時間の中でもその言葉は当てはまるのかと本気で考えてしまう。
静雄から何の音沙汰もない今、嫌な予感しか浮かばない名前は相当ネガティブに陥っていた。
――無事なら良いけど…。
その心配は臨也と接触したことについてなのか、はたまた無駄な勘違いをしているのではないかという懸念なのか。
どちらも当てはまっているだろう言葉に自分で苦笑しながら、名前はほんの少しだけ肌寒い夜空を仰いだ。
星も見えない夜空は地上とは違い静寂を留めている。
都会の空は寂しいという言葉に妙に納得しながら思考を逸らしていれば、何処からか呼ばれた自分の名に名前はバッと視線を人波に戻した。
聞きたかった声、望んでいた声。
嫌な予感に押し潰されそうになっていたせいか、本性を隠す仮面すら忘れて涙腺が緩んだ名前は確かに不安定だった。
一人は寂しい。
誰も知らない、何処かもわからない、帰りたくても帰れない。
初めて感じた完全な孤独感。
二回か三回は誰かと行動しなければ都会のように要り組んだ場所が覚えられない微妙な方向音痴を恨むしかないが、それでも唯一の希望を見つけた名前はその希望に盛大に飛び付いた。

「名字…っておわ?!」

「うああマイスウィートエンジェル静雄ー!」

「ばっ、ちょっ、何わけわかんねえことっ……ってか離……あ?」

「うおー…しーずんごめんー…」

「…いや、なに泣いてんだよ迷子くらいで…」

構えるどころか予想すらしていなかった名前の奇襲を真正面から受け止めてしまった静雄は余りの不意打ちに面食らう。
今までの態度からしててっきり不遜な態度で待ち構えているか、控えめなら苦笑しながら謝罪してくるかの二択だと思っていたので涙目で抱き着いてくるなど予想外すぎて静雄はかなり面食らってしまう。
往来の場で感動の再会という喜劇を繰り出している二人。
引き剥がそうと躍起になる寸前、名前の声が本格的に涙混じりなのに気付いた静雄は何故か熱が上った顔を誤魔化すようにそれを指摘した。
抱き着かれたままだが平静を装い胸元に押し付けられた名前の頭に手を置く。
頭を一撫でするよう上から下に置いた手を移動させれば、力が抜けたのか体重を掛けてきた名前に静雄は小さく息を飲んだ。
――んなとこでなにしてくれてんだこいつは…。
ここでなければ良いという問題でも無いのだが、どうやら参っているらしい彼女を正気に戻そうと静雄は取り敢えず名前の好きにさせる。
別に離したくないわけじゃない、と誰にしているのかもわからない言い訳が頭に浮かぶが、それに気付いて更に恥ずかしくなるという失態を犯さない程度には彼も混乱していた。

「その優しさが身に染みる…連絡遅くなってごめんよ。いや本当こんな時間だなんてまったく気付かなくてさ…本当ごめん、マジごめん、怒って良いから友達やめないで」

「……待て、話が見えねえ」

「いや、だから一時間近く放置しちゃって…」

「そりゃ俺のセリフだろ?」

「…ん?」

「ん?」

点、点、点、間。
二人同時に首を傾げて互いの顔を見つめる。
どちらもどっちで連絡という文明の利器を忘れていた者同士、話がまったく噛み合わない。
名前の方は静雄が逃走劇を繰り広げていたことなど知る由もないし、静雄は静雄で連絡が来るまでの空白の時間など一通の迷子宣言メールにより気にする余裕もなかった。
話が擦れ違っていることに一早く気付いた名前は、またもや互いに認識の違いが生じているのだろうと理解する。
一時間近く放置、からの俺のセリフという会話の流れ。
もしや、と一つの仮説が浮かんだ名前は自分の事を棚に上げて涙も引っ込み呆れた目線を彼に向けた。

「…もしかして今の今まで取り込み中だった?」

「おう」

「もしかして私の事忘れてたとか…」

「あー、いや……悪い」

「……」

名前の頭に乗せていた手で頬を掻きながら静雄は目を泳がせる。
――あ、完全に忘れてたなこいつ。
分かりやすい反応と向けられた謝罪に、彼がここに至るまでどうなっていたか大体の予測がついた名前は一気に全身の力を抜いた。
グデー、という音が聞こえそうなほど静雄に抱き着いたまま彼に体重を掛ける。
――なーんだ…ああ。
――ああ、本当に良かった。
彼が自分の存在を忘れていたという事実に、名前は心底安堵した。
それなら、変な勘繰りをされることも無かっただろう。
それなら、自分はそこまで重要視されていないということだ。
名前の懸念はただの恥ずかしい自意識過剰という言葉で処理できてしまったが、彼女はそれが心底嬉しかった。
自分が大切だと思う相手が嫌な心境に陥らなければ、相手がどれだけ自分を茅の外として見ていても寂しさはあるが気にしない。
たとえ忘れられようと、会ったときに思い出せる程度存在を認めて貰えれば彼女はそれで満足だった。
静雄は孤独を緩和させてくれる存在であるため名前の方は執着を見せるが、相手にそれを望むのは烏滸がましいにも程があると彼女は常に思っている。
自分が良ければそれで良い。
他人を気遣う言葉も態度も、全ては最終的に自分を護る手段になる。
そんな考えを持ち合わせている彼女は安堵の溜め息を漏らした。
独りは嫌な癖に重要視されるほどの人物ではないと諦め半分、保身半分の矛盾した気持ちは自身の首を締め付ける。
名前にとってはたった一人の友人だが、静雄には他にも友人が居るのを思い出した今彼女は茅の外が良かった。
何れは離れていくのが『友人』だと名前は思っている。
先に諦めてしまえば後が楽なのを知っている彼女は今の事実が嬉しいのだ。

「あー…良かった」

「いや良くねえだろ。しかもんな時間まで放置しちまって……悪い」

「いや、もう良いよ。気にしてないなら全然まったく問題ないや」

「……てかなんで急に友達やめないでとか言ってんだお前、何かあったか?」

「迷子でネガティブなってただけー、ごめん」

自分の懸念を消化すれば名前にはもう怖いものがない。
ヘラヘラと笑いながら彼女が更に抱きついてくるせいで余計隙間が無くなった身体に静雄はドギマギしていた。
嫌な予感が消え去った以上、そんな相手の変化も彼女にとってはどうでも良かった。

「暴れてお腹空いたんじゃね?今日のお礼に奢るから寿司食おうよ、寿司」

「マックじゃなくて良いのか?」

「マックはまた今度ねー」

「まあ良いけど……あ、奢りはやめろ。むしろ俺が奢る」

「なんでさ。なら今度奢ってよ、今日は私」

現状を忘れ抱き合ったまま笑顔で会話を進める。
なんやかんやで頭が残念な二人だった。

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