dream | ナノ

池袋にある某路地裏、その片隅で息を潜めている男が居た。
瞼を閉じたまま耳を澄まし、辺りに人の気配がないかを探る。
隠れるには些か成長しすぎたと言って良い体躯を出来るだけ縮めながら、彼は膝を抱えて座り込んでいた。
立てた膝の間に顔を埋め、若干乱れた息を整える。
――だああっ、畜生…っ!
苛立ちに苛まれている男はそれを発散するかのように地面に拳を突き立てた。
コンクリートの上に力一杯拳を打ちつけるなど常人では自滅行為にしかならないが、彼の場合常識を覆し地面の方が打撃を受ける。
皹の入った地面を確認することなく傷一つついていない拳をそこから離せば、男は俯いていた顔を空に向けた。
ビルの狭間に覗く空は既に闇に染まり星さえ見えない。
すぐ傍にある繁華街の光が外れのそこをも照らすため、暗闇でしかない空を見詰めながら男は盛大に溜め息を吐いた。
――どうなってんだ…。
東池袋中央公園から逃げ出したまま街中を奔走していた静雄は、自分が陥っている状況に内心頭を抱えていた。

無事に公園を抜け出し、完全に警官を振り払えたなら名前と合流しようと思案していた矢先。
逃げ切れたと思い一息吐けば、前方に先回りするかのような形で存在する警官の姿を数人彼は見つけた。
自分とは別件かと思いつつ、野生の勘が働いた彼は即座にその場からも逃げ出す。
背後から聞こえた『居たぞ!』という声に静雄は走りながら振り替えった。
確実に自分を追ってくるその数人の姿を確認すれば、まったく根拠の無い怨み言を浮かべながら静雄は走る速度を上げていた。
――あのノミ蟲野郎…っ!ふざけやがって…っ!
あれだけあっさりと大人しく退いていった仇敵は、やはりそうあっさりと自分から退くような奴では無いとわかっているだけに静雄は余計腹が立つ。
証拠など何もないが、野生とも言える鋭い勘と先程の臨也を思えば彼の中ではその推測は決定付けられた確信があり、静雄の怒りの矛先は全てそちらに向かっていた。
縦横無尽に街中を走り抜け、自分を追う姿がなくなれば一度立ち止まり辺りを窺う。
すると、今度は先程とはまた違う方向から自分を指差す警官の姿を見つけた。
そしてまた駆け出すのだが、終わりの見えない鼬ごっこに苛立ちが募っていく。
警官の五人や十人、どうこうするのは物理的には簡単だがいくら沸点が低くとも理性が少し残っている今警官相手に何かするほど馬鹿ではない。
どうやっているか仕掛けはわからないが、自分を追い詰めようとしている輩が誰なのかは明白過ぎて静雄は頭の欠陥が切れそうだった。
――次は殺す、絶対殺す、即行殺す、スパッと殺す。
苛立ちにより沸き上がる力を暴力ではなく逃走の方に全力で向ければ、誰も彼に追い付けはしない。

振り切れば見つかりまた振り切るを数回繰り返した末、人目があるところでは確実に先回りされていることに気付いた静雄は冒頭、路地裏の隅で息を潜めていた。
休んでいるうちに冷静になった頭はこの先どうするかを考え始める。
街中に居続けるのは得策ではないが、しかし勝手に自分の都合で帰るという選択は出来ない。
ここで静雄はやっと忘れかけていた名前の姿を頭に思い浮かべた。
臨也が彼女に話しかけているのを目撃した瞬間キレたため、それ以降の姿を静雄は見た覚えがない。
辛うじて覚えているのは『あとでマック来て』という凡庸であの場には相応しくない簡単な一言。
それについて思い出せば曖昧なその口約束に静雄は頭を悩ませた。
――ブクロにマック何店あると思ってんだよ…どのマックだ…。
懸念していた本性を見られた後に言われた『後でね』という言葉。
それを自分に言うということは彼女は本当に『大丈夫な人間』なのだろうと判断した静雄はもうそこについてはどうでも良かった。
――…待ってる、よな。
現在進行形だが、陽が暮れるほど放置してしまっていることに改めて罪悪感が沸く。
連絡もなしに待ち人が来ないというのはどういう気持ちになるか、と考えたところで静雄はハタッ、と気が付いた。
連絡という手段なら自分だって持っている。
完全に存在を忘れていた携帯電話をズボンのポケットから取り出せば、着信履歴を意味する光が点滅していた。
連絡来てたのか、と走っていたせいかまったく気付かなかったそれを開く。
メール一件と着信二件。
履歴画面にすれば二件連続で連なっていた名字名前という文字に静雄はフッ、と小さく笑んだ。
笑ってる場合ではないのは重々承知だが、荒んでいた気持ちが凪いでいく気がしてどうにも顔が緩む。
メールも確認しようと受信箱を開けば、思った通り名前からの物だったため静雄は躊躇なくそれを開いた。
そして。

「…はあ?」

メールの内容を確認すれば自分が陥っている状況も忘れて静雄は声をあげた。
――あんの馬鹿…!
受信時刻を確認すれば十分前のそれは静雄に行動を起こさせるには充分だったようで。
急いで立ち上がり路地から抜け出そうと駆け出せば、急に飛び出してきた男とぶつかり静雄は思わず足を止めた。
少年と青年の中間辺りのその男は携帯片手に地面に転がっている。
イテッと小さく呻いた後ぶつかった先を思い切り睨み付けるが、その相手が誰かを認識した男は瞬時に顔を蒼白に染めた。

「あ…っ」

「ん?ああすんません、急いでたもんだか――」

「う、うわあ…っ!すみませんごめんなさい殺さないで!!」

「……あ?」

ぶつかったことにより尻餅をついた男が急に土下座してくるという異様な光景に静雄は眉を潜める。
確かに急に飛び出してきたあっちも悪いが、前を余り見ていなかった自分も悪いと自覚している静雄は目の前の土下座の意味がわからない。

「おい。別にそこまで――」

「ほ、本当すんません…っ!確かに俺達がやったことだけど断れなかっただけなんです、少なくとも俺は、俺だけは断れなかっただけでっ!死にたくねえ…っ!」

「………手前よお、何に対して謝ってんだあ?」

聞いてもいないことをベラベラと捲し立てる男を静雄は睨み付けた。
話を聞くうちに大体察しはついたのだが、確信を得るために彼は静かに、けれど凄みながら男に問い掛ける。
忘れかけていた苛立ちが急激に沸騰する感覚が身体を支配するが、目の前で喋り続ける男はそんな静雄の様子に気付かない。
ただの偶然ぶつかった一般人のフリをして謝罪をしたあと直ぐに退散すれば良かったものを、余計なことまで言い訳のように男は言葉を連ねていた。
アドリブが苦手なうえターゲットとの予定外な接触にパニックに陥った男はそれはもう助かることしか頭にない。
残念なことに、許しを請うどころかそれは何も気付いていなかった静雄に自分を殺してくださいと言っているのと同然な行為だと男はまったく気付いていなかった。

「で、でももうサツは来ねぇよ、俺達が通報しまくったせいであっちも悪戯だって処理したみてえで退散したからよ!な!だ、だから…」

「ほう…で?誰の指図だ?」

「お…オリハライザヤ」

「…そうか」

「ひ、ひいいいっ」

――よし、殺す。
腹の据わった怒りを溜め込み、静雄は男の襟首を片手で掴みながら軽々と持ち上げた。
男は自分の足が地面から離れ逃げ切れない状況に陥ると、墓穴を自ら掘ったのだと漸く気付き顔の筋肉がこれでもかと引き吊る。
男は自分が失禁していないのが奇跡だと感じるほど恐怖していた。
そして、お手軽なバイトだと、数枚の福沢諭吉を見せられてホイホイ話に乗ってしまった過去の自分を心底後悔していた。
至るところに紛れていた臨也の信者、男のように簡単に雇われた青少年が静雄を見かける度に通報を繰り返していたわけなのだが、静雄はそこまで理解しても内心そんなことはどうでも良い。
犯人は臨也で、目の前の男はそれに荷担していた挙げ句自分の行方を確認するためにこんな路地裏にまで足を踏み込んだ。
男の事情や言い訳など自分を嵌めたという事実がある以上まったく、これっぽっちも関係無い。
静雄はそれさえわかれば充分だった。

「俺は今忙しいから手前の相手をする暇なんざこれっぽっちもねえんだがよお…」

「ひ…っ」

「このままだと俺の内側に溜まりに溜まった噴火しそうな怒りが手前を逃せば更に歯止めが効かなくなりそうだからなあ」

「ひいえええっ」

「うるせえ!」

「ガ…ッ」

ガヅンッと、おおよそ人体が発したとは思えないような音が辺りに響く。
頭と腕を同時に使い威力が倍増しした頭突きを食らわせれば、額が割れたのか血を流しながら白目を向いた男に舌打ちしたあと静雄はパッと掴んでいた手を離した。
ズシャッと無様に崩れ落ちた男はこの先数時間は目覚めないだろう。

「大人しく寝てろ」

額どころか頭が割れてもおかしくない威力の頭突きを食らわせた張本人は何事もなかったかのように言葉を吐き捨てる。
さて、と思い直し、平素に戻った静雄は男から目を逸らした。

「よし、行くか」

ポツンと一人取り残された男はこの後、自分が倒れていた数時間の記憶が吹っ飛び金髪を見るたび怯えるようになるという後遺症が残るのだが、それはまた別の話。

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