dream | ナノ

それは唐突に、本当になんの前触れもなく起きてしまった。

「手前が死ねえええええっ!!」

――ちょっと、おい。
――ちょっと待ってくれ平和島静雄。

「うわ、シズちゃん本当ちょっとタンマ。俺休日も君に構ってあげれるほど暇じゃな…っと危なっ」

穏やかな平和など、もしかしたら狐か狸に化かされていたのではないかと思ってしまうような。

「こいつに絡んでた時点で時間なんか有り余ってんだろうがよお。まあ良い時間なんて取らせねえ、大人しくしてりゃコンマ0.00000001秒でさくっとまるっと即行瞬殺してやるから動くんじゃねえノミ蟲……さっさと俺に殺されろ!」

そんな明らかな変貌に、どうしようもない『理不尽』の真骨頂を垣間見た名前は思わず真顔になるしかなかった。

「あ、ねえ君…ちょっと君だよ名前ちゃん!時期外れの転入生でさっそくシズちゃん手懐けたとか付き合ってるとか可哀想過ぎてヘドが出そうな噂を流されてる名字名前ちゃん!君ならこんな猛獣よりも質の悪いシズちゃんをまるで従順に従う猿のように操れるって聞いたんだけどもしソレが本当なら、うわっ……この化物何とかしてくれない?」

――いや、無理でしょ。
目の前で繰り広げられる非常識に呆然と、しかし表には出さず無表情に見つめる名前は公園の端で無反応に過ごしていた。
いや、正確に言えば。
反応できるほどの余裕がまったく無かっただけなのだが。

「うわー、名前ちゃんシカトはちょーっと俺も傷つ、」

「名字に話しかけんじゃねえクソ蟲っ!」

「うっわー…なにそれ化物が一丁前に独占欲?やだやだこれだから自分の立ち位置を理解してない単細胞は、とっ」

「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」

――だから落ち着け平和島静雄。
名前負けという言葉がこんなにも当てはまりすぎる人物が居たのかと、名前は今初めて知ることとなった。
見知らぬ青年が急に饒舌になり知りもしなかった噂話を語ったことも驚くが、それよりも際立つ見知った青年が顕にした本性に名前はどうしようもなく意識を向けていた。
それが始まった原因を辿るなら、時間はほんの数分前に遡る。

池袋中央公園で和んでいた二人は、静雄が立ち上がったことにより場の進展を見せていた。

「悪い、ちょっと便所」

「ん。行ってらー」

少し離れた距離にある公衆トイレにゆったりと歩いていく後ろ姿を眺めたあと、手持ち無沙汰となった名前は空になったペットボトルを玩んでいた。
移り変わる人波を眺めるのも面白いが、静雄と会話しながらも散々眺めていただけに飽き性な彼女は他に何か無いかと思案する。
会話するだけならこのまま此処でまったりしているのも悪くはないが、久方ぶりに学校以外の場所に赴いたためそれだけではなんだか味気ない。
静雄が戻ってきたならまた散策を開始して、お礼に夕飯くらいは奢らないとと考えがまとまった頃。
自らを覆った唐突な影に、誰かが目の前にいることを察した名前はペットボトルから視線を外した。
結構距離がある公衆トイレから戻ってくるには早すぎじゃないかと、影の人物は静雄だと疑いもなく思っていた名前は緩やかに目線を上げる。
――…えーと。
目の前の影の主を視界に入れれば、予想していた人物とはまったく異なる姿をした青年が自分を見ていて名前は一瞬思考が止まった。
数秒固まったまま見つめ合う形になるが、爽やかな笑みを顔に張り付けた人物は見覚えがなくて眉間にシワを寄せる。
――あー……え?なんか用?
目の前に居るため見知らぬ青年が自分に用があるのは明白なのだが、いかんせんやはり覚えがない。
年の頃は静雄と同じだろうか。
それはつまり名前とも同年代ということになるのだが、記憶のままでは二十代前半な彼女はその考えが浮かばない。
見た目でいうなら――腹黒そう。
見目が麗しく優等生風な青年、大半の人は好印象を抱きそうな雰囲気ではあるがなまじ無駄に鋭い勘を持ち合わせる名前はまだ一言も発していない彼をそう印象付けた。
基本的に名前は人間なんて誰しもが一物もっていると考えている上、目の前の青年は微笑みを浮かべたままこちらを見ているだけ。
どう見ても怪しいとしか思えない。
――この時期にファーコートって…。
薄手ではあるが、六月中旬の今黒のファーコートを着ている見た目暑苦しい男に名前は白けた目を向けた。

「……あの、なんですか」

「いや、君名字名前ちゃんだよね?」

「え、誰、きしょい」

「いや、君と俺は初対面だよ。ていうか二言目できしょいって…凄いね」

「あ、ごめん。ちゃんとか付けられると鳥肌立つからつい」

「まあ良いけど。ちょっと偶然見かけたものだからつい、ね。俺も来神生なんだ」

「ふーん」

――だからどうした。
同じ学校に通う、見覚えはあるが話したこともない人物を偶然見つけたから声をかけるといった常識など聞いたことも行ったこともない名前は冷めた視線を青年に向けた。
もしかしてナンパか、と見た目のせいで声を掛けられる頻度が高い彼女は現状を冷静に推察する。
名前を知っているし外見年齢から同じ高校生なのは自分の今の年齢を思い出したので納得はするが、浮かぶ疑問は不可解という一言。
――校内で話し掛けてくるならまだわかるけど、わざわざこんな往来で見かけたからって近付いてくる?
答えは否。
彼女の中にそんな常識は存在しない。

「なにか用ですか」

「…あれ?もしかして俺、警戒されちゃってるかな」

「うん」

はは、と苦笑染みた笑いを溢しながら頬を掻く青年は思ったよりも普通で、名前は小さく首を傾げた。
まるで爽やかな高校生を具現化したような態度。
そんな彼の雰囲気にあれ?と名前は疑問を感じた。
普段なら、ナンパという単語が浮かんだ時点で相手に興味を惹かれることはない。
しかし、疑問を向けるという対象があらわれた今、機嫌が良いためか普段はしない行動をとってしまった。
尚早かもしれないが、珍しく勘が外れるという不確かな物に興味をもった彼女は、その対象の青年にまで興味を向けてしまったのだ。
その興味が薄れてしまうのも、存外早すぎではあったが。

「名前なんてーの?」

「あれ、良いの?俺怪しいんでしょ?」

「まったく接点無いならあれだけど学校同じならまあ、良いんじゃない」

「嘘ついてるかもよ」

「…暇だしもうどうでも良いわ」

「はは、素直だね。じゃあ気を取り直して、俺は――」

ぞくり。
青年の声に耳を傾けていた名前は、前触れもなく急に自分を襲った寒気にビクッと体を揺らした。
ぞくり、ぞくり、ぞわぞわ、ざわざわ。
何が起きているのかわからないが最近感じた覚えのあるこの感覚、いや、その何倍もの嫌な空気に名前は思わず立ち上がる。
目の前の青年を見てみれば、彼もこの異様な空気を感じ取ったのかタラリ、冷や汗が伝っているような様子が雰囲気で見てとれた。
先程とは違う、口角をヒクッと上げながらヤバイと訴えている青年のその表情は笑顔なのに焦りを隠せていない。

「あー…名前ちゃんもしかして…」

もしかして、と仮定の言葉を口に出すも、彼の瞳は肯定をすでに理解していた。

「シズちゃんとここに居た、とかそんな馬鹿なことしてないよね?」

ヒュンッ。
青年の言葉を理解するよりも前に、名前の耳は空気を切り裂く鋭い音を明確に拾い上げる。
――え。
音を拾った瞬間、急に目の前に現れた岩に名前は目を丸くした。
まるで青年を吹き飛ばそうという意思があるかのように飛んできた岩は形が滑らかな弧を描いており、東池袋中央公園と彫られたそれは明らかに公園に設置されている物だと表面からは理解できる。
鈍い音を経てながら地面との摩擦で止まったその岩は、煙を上げながらもはや元からそこにあったかのように堂々と鎮座していていた。
しかし、だ。
――?……?ん?
そんなことを理解する余裕など名前にはまったく、これっぽちもありはしなかった。
急に吹っ飛んできた謎の物体、巻き上がる砂ぼこりに衝撃から起こった風で名前の髪がバサバサと舞い上がる。
砂ぼこりの奥で咳をしている青年の声が聞こえたことで彼の無事は確認できたが、正直そんなこと名前にはどうでも良かった。
―なん、だこれ……なんだこれ…?!
――え?!いったい何が起きた?!
混乱した頭は同じ言葉を繰り返す。
ゆらり、砂ぼこりが収まったところで揺らいだ空気の奥。
多分、恐らく、この事態の元凶なのだろう金髪を目にした名前は、まともな言葉すら思い付かないままの頭でその姿を目に捉えた。
普通なら、常識的に考えたなら、持ち上げるどころか一人で動かすことすら難しいであろう物が一人の男の手によって飛ばされてきたなど思いもしない。
しかし、名前は知っていた。
兄から聞いた、信憑性が皆無な突飛だと思っていた噂の中で、名前は確かに事実を耳にしていた。
だからこそ、うまく働かない頭だからこそ、覚えていた知識を本能的に浮かべた彼女は疑いもなく犯人を凝視したのだ。

「いーざーやーくーんーよお……なんでんなとこに居んだ手前」

「うわ……やあ、シズちゃん。手荒な歓迎ありがとう」

「おー、礼なんざいらねえ、手前が死んでくれるっつーなら仕方なく受け取ってやっても良いがなあ」

「休日でも相変わらずみたいで安心したよ…死ねば良いのに」

そして冒頭に至る。

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