dream | ナノ

人が溢れる街並みを二人の男女がゆったりとした速度で歩き続ける。
躓けば高い確率で誰かにぶつかってしまいそうなほど人が犇めく光景は見慣れないもので、名前は嫌気も通り越して感心したようにその光景を目にしていた。
嫌いな筈の人混みはまるで都会そのものを象徴する一つの外観のように感じられて、その物珍しい姿に興味が沸く。
ガヤガヤと活気のある人波は街の一部なのだろうと理解すれば、そんな嫌悪の対象もこの池袋を理解する上で必要なのだろうと彼女は楽しげに眺める。
周囲の建物を把握する任務の方が重要だが、こうして雑踏を闊歩するのも悪くはない。
住んでいた地方の街並みとはまったく違った真新しいビルや可愛い雑貨屋、気になる店が多すぎて名前は自分のテンションが自然と上がっていくのを感じた。

「おい、名字!」

「うわっ」

目についたお店に惹かれながら何も考えずにフラフラーと近付こうとすれば、後ろから掛けられた声と急に掴まれた襟首に驚いて我に返る。
勢いよく振り向き襟首にある腕を掴みながらその張本人を見やれば、呆れた表情を向けられていたのに気付いて名前はヤベ、と呟いた。
学校指定の学ランとは違う私服を身に纏った唯一の友人。
はたして相手が自分のことを友人だと思っているかは貞かではないが、一先ず友人なのだと認識している名前はその人物に焦った様子で言葉を投げ掛けた。

「うっわごめんごめん、またやっちゃった」

「ったく、どんだけ好奇心旺盛なんだお前……はぐれたくないならもっと気を付けて歩け」

「うん」

襟を掴まれたままという情けない格好で掛けられた注意に彼女は素直に頷く。
興味深く池袋の街並みを歩いていた名前の姿を見ながら、それに付き合う形で一緒に歩いていた静雄は思わず溜め息を吐いた。
休日なのだからと極力出たくなかった外に呼び出された挙げ句、道案内してよ、ついでに遊ぼうと言われたためこの状態に陥っているのだが。
事の経緯が彼にはよくわからなかった。
――なんでよりによって俺なんかに道案内頼むんだこいつ…もっと他に声掛けるべき友達でも居るだろうによ。
愚痴のような文句のような、それでいて自虐的でもある言葉を頭に浮かべた静雄は動きを止める程度に軽く掴んでいた襟をパッと簡単に離した。
加減しなければ持ち上げてしまうため、名前を驚かせないためにも静雄にとってはかなり力を抜いていたのは言うまでもない。
中断してしまった街の散策を続行すれば、何事もなかったかのように二人は平行して人波を進む。
二日あるか無いかという短い交流のなか、何故か変になつかれてしまった気がして嬉しくもあるが消化しきれない違和感を静雄は感じていた。
普段、外出すればことある毎に不快な気分に陥るため休日は用がない限り家からは出ない。
最近は尚更そうだったため計画では今日も一日家で平穏に過ごす予定だったが、急な連絡に驚いたどころか遊びに誘われるということ事態が久々過ぎて少しだけ浮き上がってしまった心が誘いを断るという道を選ばなかった。
急な誘いに驚いたとはいえ選んだのは自分であり、こうして事実一緒に街中を散策しているのだからしょうがないとは思い始めている。
自業自得かとあっさり思い直せば、チラリと隣を窺い見るため視線をわずかに下げた。
誰かになつかれる、というとどこぞの変態を思い浮かべてしまうわけだが、それとはまた違ったなつかれ方だということも理解はしていて、だから尚更違和感を拭えない。
なつかれたり普通に接することができる人間が増えるのは悪いことではないというより良いことだと思いはするけれど。
最近の出来事のせいで若干過敏になっている彼は素直に受け止めることが出来ないでいた。
確かに名前は普通だ。
なにか裏があるようにも見えないし、態度は荒いがこんな自分にもどこか優しくて一緒にいると居心地の良さを感じる。
自分勝手で、言い方を変えれば唯我独尊であり自分の行動に素直な性格なのだということは表面だけでもこの短い期間で理解でき、わかりやすいため傍に居ても苦ではない。
しかし、入学してからほぼ毎日ろくなことが無いのだ。
実際、乱闘後の場面を見ても恐がったりするどころか逆に近づいてきた女は初めてだったため胡散臭く感じてしまう。
注意したばかりだというのに既にキョロキョロと注意力散漫に歩いているその姿はまたいつ離れてしまうかわかったものじゃなく、静雄は少しだけ不機嫌になった。
道案内を頼まれたというのに特に会話もすること無く歩いているだけの状況、不満はないが自分の必要性を考えて眉間にシワを寄せる。
会話をしたい、構ってほしいといった感情はない。
ただ単に、彼女が選択した無数にいるであろう知り合いの中、よりによって自分が選ばれた理由が一切見当たらなくてそのモヤモヤとした疑問が気持ち悪かった。
興味深げに周囲を見渡すその姿は本当にここらに越して来たのが最近なんだと腑に落ちるところもあるが、いかんせんやはり何か胡散臭いと感じてしまう。
思春期特有の複雑さだろうか、静雄本人はわかっていないが人はそれを『戸惑い』という。

「ねー静雄」

「あ?なんだ?」

「あれなに?」

クイッと服の袖を小さく握られて意識を戻せば、名前が指差す方向がなにか気付いて彼は若干顔をしかめた。
ド派手な外装に客引きをしている体長二メートルはあるだろう大柄な黒人、目立つ看板に書かれているのは『露西亜寿司』の豪勢な文字。
怪しい日本語でニコニコとチラシ配りをしている黒人を見て、静雄は思い出したくもない嫌な記憶まで浮かべてしまう。

「あ、寿司屋か。奇抜すぎて看板見てなかった」

「次行くぞ」

「え、ちょっ」

早くこの場を離れようと、不思議そうな顔で服の端を掴んだままの名前の腕を掴めば静雄はそれを引っ張った。
これまたなにも考えずに露西亜寿司に近付こうとしていた名前を引き摺るように早歩きで進む。
自分の本性をわかっていない彼女と居る今、出来るだけ自分がキレてしまいそうな可能性のある場所に近付きたくなかった。
昨日は目の前に存在しない輩を勝手に思いだし勝手にキレてしまったが、それでも態度を変えなかった名前に心底静雄は安堵した。
しかし、それは理不尽すぎる『力』を彼女がまだ見ていないからかもしれない。
もし何かしらがきっかけで力がバレたなら、彼女が怪我を負ってしまったなら。
――怖いのかもしれない。
何が怖いのか、それは言葉に出来るほどちゃんとした形で浮かびはしないが、確かにあるのはその恐怖。
眼前を見つめながらズンズンと彼女のことなどお構いなしに歩き続ければ、数十メートル過ぎた辺りで掴んでいない方のもう一つの手でグイッと力一杯引っ張られ静雄はやっと名前の方に意識を向けた。
振り返れば、繋がれた方の腕がすがるような形で彼女に両手で掴まれている。
若干不機嫌そうに焦っている彼女の姿に、今度は静雄がヤベ、と内心呟いた。

「ちょっ、おまっ、足の長さ考えろよ私短いんだから、これ以上は転ぶ」

「あー…悪い」

若干肩で息をしている名前にこいつ体力ねぇな、と関係ないことを考える。
その場で立ち止まり数回深呼吸を繰り返す彼女の腕を見てみれば、強く引っ張りすぎたのか赤みがさしているそこを見つけて静雄はパッと腕を離した。
くっきりとついた赤い手形、嫌なことを思い出していたため握る力が強くなっていたことに気付いて表情を暗くさせる。

「ふう、落ち着いた…ん?どしたの」

「…腕」

「腕?」

指摘されたそこを見て名前はああ、と納得した声を出す。
離された腕はうっすら赤く色付いていて、そこだけ見れば大層痛々しく目立っていた。
見た目に反してまったく痛くない腕は気にするほどのことではないのだが、落ち込んでいるらしい沈んだ青年の表情を見て名前はフッと笑みを溢す。
こんな、時間が経てば直ぐに消えるような痕にまで罪悪感を感じている彼のどこが恐ろしいというのか。
今は傷痕すらない綺麗な腕に見えるが、実際若返る前名前の腕はバイトの調理が原因で火傷痕だらけだった。
その時のあまりに悲惨な状況と比べれば、彼女の中では数分もすれば綺麗さっぱり消え失せるこんな赤み罪悪感どころか気にすることさえ無駄なもの。
落ち込んでいる様子の静雄の姿が耳の垂れた犬のように見えて、不謹慎だがとても和んでしまう。
離していなかった静雄の腕をギュッと力一杯握れば、それに気付いた彼が首を傾げながら目を合わせてきたので名前はニカリと笑みを浮かべた。

「今のこれ私の全力」

「…女にしちゃまあまあ強いな」

「痕ついちゃうかもね」

意図のわからない言葉に頭上で『?』を浮かべた静雄に、彼女はことさら笑みを深めた。

「でもそんなのすぐ消えるだろうから、許してちょーだいな」

「…あ」

「わかった?」

「…おう」

遠回しな表現だが、これでおあいこだし赤みなんてすぐに消えるからあんたも気にすんな、と言われた気がした。
気の置かない彼女の笑顔を見ていれば、ムズリ、蠢いた心につり上がっていた静雄の眉が少しだけ下に垂れる。
遠回しでややこしい言動はわかりづらいから嫌いだ。
しかし、どこか楽しそうに、けれど確かな気遣いが滲んでいるそれは苛立ちからはほど遠い。
数秒の沈黙の中掴まれたままの腕を見ているうちに、服越しの温い体温が心の波を落ち着かせる。
凪いだ心で名前を改めて見つめてみれば、能天気なその顔に静雄はなんだかすべてどうでも良くなった気がした。
――ま、良いか。
どんなに名前を疑おうが、どれだけ違和感が自分を襲おうが相手はまったく歯牙にもかけないようなそんな予感が頭をよぎる。
だからだろうか。

「ありがとう」

「う?うん」

素直に口から零れた、様々な意味が詰まった感謝の言葉。
何に対してなのか理解しきれていないだろうに相槌だけでそれを受け取った名前に、静雄は彼女の前で初めて心から笑った。
――本当、笑っちまうくらい変な奴だ。
握られた腕はそのままに、笑い会う二人は人波に紛れていた。

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