dream | ナノ
学業から解放される学生達にとっては麗らかな休日、土曜日。
そんな素晴らしい日、外も燦々と光輝く御天道様が眩しい見事な春晴れ。
外出するには持ってこいな条件を全て満たした日にも関わらず、とある兄妹は午前中から黙々と対戦ゲームに心血を注ぐという堕落した生活を過ごしていた。
昼が近づき、少しだけお腹減ったかもと兄の方が内心で呟く。
そんな兄の腹事情も知らず、急にそういえば、と溢した隣に座りコントローラーを操作しながら画面に食い入っていた妹の言葉に兄は一瞬言葉を失った。
「ねえねえ兄ちゃん、平和島静雄って知ってる?」
「………は?」
――へいわじましずお……平和島静雄?
兄はその唐突な質問に、たっぷりと間を開け疑問だけを口から落とす。
その言葉の文字を頭の中で漢字に脳内変換、そして出来上がったそれを理解した瞬間に兄の表情は瞬く間に氷付いた。
その反応を画面に食い入りながらも空気で感じ取った妹、名前。
――やっぱ知ってんだなー。
忙しなく動かす指の操作を、画面に表示されたWINNER!!という文字を最後に止めた彼女は未だに固まったままの兄に向けてチラッと視線を向けた。
口角をひくひくと痙攣させながら微妙な表情で自分を見ている目の前の男に冷めた視線を浴びせる。
――ダメだこいつ。
一向に復活しない兄を見捨てたのは言うまでもなく、名前は終わったままの状態で固定された画面に意識を戻し再度指を動かした。
「おい…名前お前…」
「あ?」
いつもなら自分に負けた悔しさにギャーギャーと煩く喚く兄がまったくゲームを気にした素振りもなく、寧ろ恐る恐る声をかけてきたことに首を傾げる。
生き返ったのかと若干失礼なことを考えたあと、未だにこちらを凝視したままの兄に焦れて名前は思い切り溜め息を吐いた。
「なに」
「いや、なにじゃねえよ…え?お前なんなの、関係ねーじゃん…なんか交流あんの?」
「友達」
「と……はあ?!」
「なんだようっせえな」
「お兄様に向かってうっせえとはなんだてめえ」
「いだ…っ!痛えよこの馬鹿野郎!」
「デブが調子づいてんじゃねえよ」
「んだとケツ毛」
「ボコッぞくそアマ」
話は逸れに逸れて兄妹喧嘩へと発展するがそれはまあいつものこと。
低レベルな口喧嘩を続けた挙げ句、口では妹に勝てないと自負している兄がゲームで勝敗を決しようと提案したところで一先ずまた話が戻った。
「ちくしょう、遠距離攻撃の連打はズルいだろてめえ…っ」
「ふ…オタクなめんなよあんちゃん」
実に仲の良い兄妹に見える。
「で、だ。話戻すけど」
「うん?」
「なんであんな奴と友達なったの?お前最強?」
心底ありえない、という表情を向けられ彼女は思わず頬をかいた。
――やっぱりなあ。
口は親からの遺伝のためかなり悪いが、それ以外は妙に人懐っこい兄は同じく転校生だというのにもう既に名前とは比べ物になら無いほど友達が多い。
それ故噂話などの情報も入りやすい上に、なにか気になることを聞いたところで変に勘ぐるような間柄でもない。
唯一安心していろんな話ができる他人が兄というのも少しずれた所ではあるが、今の状況からしても自他共に認めるブラコンシスコン同士なのでもはや仕方なかった。
「なんでって…こう、流れ?」
「どう流れたんだよ」
「可愛いんだよあいつ、癒される」
「癒し……え、癒し?お前の癒しってなんなの?馬鹿なの?」
「馬鹿に言われたくない」
言葉を返しながらゲーム画面を変えていく。
変な噂が流れている上、こちらに来てから学校以外はずっと家に引きこもった状態の妹をなにげに心配していた兄からすれば今の報告は聞き捨てならないものだった。
「…あいつ半端無い化け物だってダチが言ってたけど」
「そうなの?」
「お前な…俺が初日から聞いた近づいちゃヤバイ奴ランキングぶっちぎり一位の男だぞそいつ、あの学校でぶっちぎり一位ってかなりヤバイだろ、存在がヤバイだろ」
「なんでうちらそんなとこ通ってんだろうねー」
素朴な疑問のつもりで名前が呟いた言葉に、兄はピクリと反応する。
そりゃお前…と続けようとした言葉を彼は寸出で飲み込み黙りこんだ。
そりゃお前のせいだろうが、というセリフは間違っても言えない。
中学時代、素行が悪いどころかもはやなぜ補導されたり訴えられなかったのか不思議なくらいに名前は暴れていた。
家に居れば比較的今と変わらず普通だったが、外に出たかと思えば怪我を作り帰ってくる。
厳格でいてどこからどう見ても仁義の世界で生きているような恐面一般人の父は単身赴任のため一年に三回会えば良い方で、そんな父とは正反対の母は元ヤンでいて精神年齢小学生の所謂ちゃらんぽらんな友達ママというものだったためそんな外の名前を本当の意味で知るのは家族では兄しかいない。
引っ越しに着いてこなかったため今は居ないが、地方で一緒に暮らしていた祖父母は老人会の会長と補佐をやっていたため多忙で多分名前がグレていたことすら知らないだろう。
おじいちゃん子の彼女は祖父母を大切に思っているし、兄だけではなく家族を大切にする名前はそんな時期でもそれはもう家族には甘かったからだ。
しかし家を一歩出ればそんな姿は微塵もなくなるほどの暴れっぷりを披露していた。
自身が通う中学ではもはや三歳頃からの付き合いな腐れ縁が多いため行けばただの小生意気な女子中学生だったが、むしろ学校にはほとんど社長出勤ばかりで午前は校外乱闘に日々明け暮れていたため他校ではかなりの問題児扱いをされていただろう。
母校では暴れなくとも噂は広がるため、彼女の地元での呼び名は『番長』という女にあるまじき渾名であった。
地元の友人間では笑いのネタでしかなく、名前自身面倒という理由で訂正せずに一緒に笑っていたが他校では笑い話どころではない。
お前の妹の名前ちゃん番長って呼ばれてっぞ、まあ付けたの俺の弟だけど、と爆笑されながら親友に言われた時の驚きは今でも忘れられないほど衝撃だった、と兄は語る。
そんなこんなで色々やらかしていた名前の内申は出席日数等色々と考慮した上で、母校でも非常に悪いどころではなかったため簡単に言えばそんな彼女とそれを妹に持つ兄を受け入れてくれた高校がここ以外芳しくなかった、というのが理由だ。
転校の手続きで見た書類で初めて親にその所業がバレたわけだが、無言で正座三時間という罰を与えられただけで入れる学校があるならもう不問だ、と解決したこの家族もいささかおかしい。
厳格な癖にちゃらんぽらんな母にはめっぽう弱い父もうまく言いくるめられた上、やはり単身赴任で余り会えない娘は可愛くて仕方ないらしく。
今は厳格だが母と同じ元ヤンという経歴を持つ父はやはり普通の親父ではなかった。
――今後自分から喧嘩は売るな、怪我をするな、怪我をさせるな。だが売られた喧嘩なら容赦なく打ちのめせ。
若干ずれた約束をさせただけの今、やっと家族皆で暮らせるこの状況に娘の悪行を知りながらも父はここ数日大層機嫌が良かった。
むしろベタベタである。
そんな家族が名前に来神高校転入の理由を内緒にしているのは、単に兄をも巻き込んだからだ。
スポーツ優待の高校から声をかけられるほどサッカー少年だった彼は、もちろん転入先もスポーツが盛んな高校に行くつもりだった。
しかし、地元での個人入学はまだしも、共に転入先を探す上で名前の内申は悪目立ちすぎていた。
故に、兄は妹に巻き込まれる形で将来の進路を諦めざるえなかったのだ。
様々な中学から問題児だけを集めたような印象を受けるほど来神の今年の新入生は問題があるらしく、そんな学校での部活動内容など、想像するに容易すぎる。
「…言えねえなあ」
「んあ?何が?」
「別に。てか腹減った」
「あっそ」
ババアになんか頼めば?とケラケラ笑う妹の姿は憎らしくも愛しい。
お前のせいだと、責めるのは至極簡単だ。
夢の高校サッカー全国大会に向けて汗水垂らした半生が無駄になったのだからその権利はある。
しかし、それでも。
血走った目で次々と他人の血に濡れていく妹の姿を見たことがある彼からすれば、どんな事態があろうと彼女を傷つけたくなかった。
なにがあったかは知らないが、何かしら理由がなければ、傷付かなければ人はああはならない。
今、笑っているなら。
あの時の名前を知らない人間の中で、笑って過ごしてくれるなら。
目撃してしまった余りに変貌した妹の光景が強烈すぎて、彼の優先順位は変わってしまっていた。
「誰がババアだこんの小娘が」
「いやんお母様、さすがの地獄耳ですこと」
「当たり前だろ。たくっ、いったい誰に似たんだか…」
「間違いなくお前だよ」
「まさかー!私に似たんならもっと可愛いはずだしー」
「あり得ねー」
「こっちこそあり得ねー」
てか飯だぞオタク共、と言い残し出ていった母を見ながら、忠実すぎる遺伝子を再確認したあとあれ、こんなに考えすぎてんの俺だけ?と確実に父譲りな思考に兄は些かげんなりした。
しかし、と。
新しい環境でさえ馴染めていない妹の不器用さを再確認しながら、しかも厄介な噂をも耳にし、その上やっと報告してきた友達というのが危険人物だというのだから兄の心労は絶えない。
「お前はこうなんでさあ…」
「ん?」
「普通に生きてくんないかなあ」
「はあ?なに言ってんの」
飯食うぞ、と促されるがままに立ち上がり、そこで笑いながら言われた言葉に兄は思わず足を止めた。
「普通ってよくわかんない」
能天気な笑顔で言われたその言葉。
お前の普通は普通じゃないんだよ、と言えないそれは愛情なのだろうか。