dream | ナノ

ご飯時に会話をする習慣が無いため無言のまま食べ続けた結果、綺麗に空になった弁当箱を名前は片付けていた。
お茶を飲み干してペットボトルも空にすれば、始終上の空に見えた目の前の男にやっと意識を向ける。
ボーッとした表情を張り付けながら些か手持ちぶさたな気持ちになれば、意を決した名前は頬杖をつきながら彼に声を掛けた。

「ねえ」

「…あ?」

「さすがに名前教えてよ、金髪君のままで良いなら別に良いけど」

聞きたいことが多々あるなか、一番気になっていたことはやはり名前。
クラスが一緒だと判明したのだからこうして喋るような知り合いがいない今、名前はとりあえずどうにか知り合い以上の関係くらいは此処で築いておきたかった。
出来れば同性の友達が欲しいところだが、贅沢は言えないうえ昨日今日と関わった彼とは縁がある、とそんな気がする。
関わることが出来るなら、自分と普通に接してくれるなら。
それを手離すような真似をしたくはない。
簡単に言えば無性に人恋しいのだ。
数日もたてば意味のわからない現状の把握よりも周りに意識を傾ける余裕が出てくる。
これだけ誰とも交流がないのは昔なら、それこそ本当に中学生の時だったならまだ大丈夫だったかもしれない。
けれど今は違う。
昔の、それこそ反抗期の時なら寂しくてもとある理由で喧嘩に明け暮れていたので気にする余裕が無かった。
実際は地元の友達がいたのでそれほど寂しいという現状にはならなかったため、完全に孤立した経験が名前にはない。
しかしこの数日間、短いながらも家の外では完全に彼女は独りきりだった。
知り合いは居ない、会話をしようものならあちらから逃げる、むしろ近付いてこない。
そんな環境は見る分では楽しいが、さすがに数日続くと物悲しさが強くなる。
会話らしい会話をしたのは久々であり、普通のなんともない交流がこんなに嬉しいものだったのかと。
今の状態なら多分興味がない人物でも話しかけられさえすればてこでも離さないかもしれない、それほどまでに名前はある意味で飢餓状態だった。
――独りってこんなに寂しかったんだねえ…。
彼女の価値観はこの数日の体験が切っ掛けで随分と変化していた。

「…静雄」

「シズオ?」

「平和島静雄」

「ヘイワジマシズオ……ふーん…なんだか随分と穏やかな名前だねえ」

「そうか?」

ふっ、と微かに表情が和らいだ男、もとい静雄の様子を見て名前はお、と少し反応する。
これは…少し警戒が溶けたってことかも、と嬉しさが胸に込み上げた。
たまに感じる不穏な空気は、何やら良からぬ違和感として彼女に警鐘を鳴らしていたためこうして穏やかな雰囲気になるとホッとしてしまう。
違和感の正体は自分が怪しいから警戒されているのだろうと思っている名前にとって、その警戒は唯一友達になれそうな人材をも逃してしまうかもしれないという不安を彼女に掻き立てていた。
実際は会話と認識の擦れ違いによる苛つきが理由なのだが、そんなこと名前には知る由もない。
この状態に陥ってから初めて興味をもった相手、しかも同じクラスで会話をしてくれる存在となれば名前は仲良くなりたいという考えしかなかった。
以前なら去る者追わずがモットーだったが、そんな考えもはや微塵も無い。
――こんな繊細な心持ってたのか…。
自分に対して恥ずかしくなるが、その羞恥心は今は置いておいた方が良いだろう。
狙った獲物は逃さないを今からモットーにしようと関係ないことを考えつつ、名前は物覚えの悪い頭で彼の名前を何度も繰り返した。

「シズオね、シズオ。よし覚えた」

「お前は?」

「え、言ったじゃん」

「名字としか聞いてねえよ」

「マジか」

自分の適当具合を再認識した気がしてあははは、と苦笑混じりな笑いを溢す。
フルネームでの自己紹介など、普段生活している上で滅多にすることがないため失念していたと言って良い。
バイトの時も下の名前で呼ばれるということが余りない上、普段の自己紹介は名字に次いで名前も聞かれるため余り意識したことがないのだ。
失態に気づいたのは進歩かもしれないが、改善する期待は持たない方が賢明だろう。

「名前だよ、名字名前。仲良くしたいから出来れば覚えてくれると嬉しい、かも」

「…」

「つーか覚えてね」

仲良くする気しかないから、とニコニコしながら断言したその言葉は自己中の塊である。
名前は今この数日で一番楽しい状況に居た。
昨日屋上で見たキラキラと印象に残る後ろ姿、寄る者皆に噛み付きそうな疑心、近寄れば近寄るほど困惑している静雄の様子は見ていて飽きないし、可愛い。
それどころか退屈ばかりで楽しみが枯渇していた彼女にとって、静雄はやっと見つけた『対象』だった。
昨日は仲良くなれないだろうと思いはしたものの、こうやって一緒に過ごしてくれるのならその杞憂も無駄に終わる。
――なんか癒されるなーこの子。
名前はテンションが上がっているときは暇すぎて死ぬ!と普段の態度をかなぐり捨てて豪語するような女だ。
むしろテンションが下がっていても楽しいことを見つければ好き勝手自己中をやらかす自分勝手とも言える。
意味がわからない現状に放置されながらも、暇すぎて退屈すぎて言葉通り枯れていた名前にとって静雄は彼女の普段を取り戻す『対象』でもあった。
厄介で何も解決しないことがあるなら、それよりもまた別な方向に興味を向ければ良い。
誰とも話さない、なんにも興味を示さない一匹狼を気取っていたつもりも彼女にはまったく無い。
やっと見つけた、その対象。
それを彼女の中では『友達』という。

「よろしくして頂戴よ平和島。……いや長いな…和島?いやいっそしーくん…しーずん…」

「…静雄で良い」

名前が付けようと呟く渾名に何かうすら寒いものを感じたのか、どこか諦めた様子で静雄は名前呼びを肯定した。
上から目線の言葉も、突拍子の無い行動も、悪意の無い呑気な笑顔を向けられてしまえば彼は怒りを感じるのが何故か馬鹿馬鹿しく思えてしまう。
喧嘩を売ろうとしているわけではないとは思うし、横柄な態度と女としてその言葉使いはどうなんだ、という胸中の文句もあるにはある、のだが。
けれど、なにかが違うのだと、よくわからない感情のまま静雄は名前を眺めていた。
――……よくわかんねえ。
頭に過るのは安らかな寝顔と、自分に触れても微動だにしない呑気な笑顔、穏やかな体温、呼吸。
その全てを一度の交流で静雄に強く印象づけた名前は『他とはなにか違う』という勘違いを彼の奥深くに植え付けていた。
初対面の印象というのは、強ければ強いほど相手の心に影響を与える。
名前との出会いは、彼からすれば衝撃的だった。
彼女は寝惚けていたためあんなに大胆な行動をとってしまったわけだが、それを理解していても彼の中に植え付けられた安堵感が消えることはない。
相手の何かを知っているわけでも、それほど話したわけでもないというのに。
考えることを嫌う彼は単純に、名前の温もりから感じる安堵感に自分でも認識していない所で気を許してしまっていた。

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